僕らのヒーロー | ナノ





ムガル区といえば、アイジエン大陸の中でも屈指の危険区域だ。
それはあたしの箱庭と同じ、金と性と暴力とが蔓延る汚い世界。
スラムにも似たその環境にクロロが一人囲まれているのだとすれば、早く助けてやらなければ。


(早く、もっと――動け!)


臨海の近場へ白龍から飛び降りたあたしは、"円"でロイドの気配を探りながら走り回る。
現時点での円の範囲は約500メートルと誤差の1、2メートル程しかない。
仮にロイドの捕まる地下倉庫が500メートル以上下にあれば認知することができないということだ。
すぐにわかると豪語した割りに全く気配を感じ取れないので、あたしの頭の中に、"死"という単語が連想される。



「こうなったらしかたがない」



極力拘束されないよう祈らねば。
ある計画を立てたあたしは一抹の不安を胸に手当たり次第に臨海の物置小屋の重い扉を蹴破る。
すると、なんとも運の良いことに、三回目にして政府直属の軍の制服を身に纏った数人の男が痒い殺気と共に出迎えてくれた。
具現化した槍を突き出してきたので逆にそれをつかみ取って、瞬時に内のほうへに巻き、素早く手首の骨を折る。
悲鳴をあげかけた男の喉を蹴り潰し、今しがた享楽で使っていただろうトランプに"周"を施して二人目の首を跳ねた。
ここまでおおよそ4秒前後。
ラストの一人が逃げようとしたのを見逃さず、その脳天へとトランプを投げると、頭蓋を砕く音と脳が抉れた不快な水音が不協和音を響かせる。



「地下通路はどこだ」



手についた血はそのままで、あたしは喉を潰された男の前まで歩みより、震える肩を掴んで笑う。
戦意喪失している男へ軽い殺気を当てると、顔色を蒼白くし、あからさまに怯えた顔をしてあたしの後ろを指し示した。


(ふむ、どうやら……)


一種の賭けに似た作戦は成功したらしい。
バレない程度の堅で頭部を保護した刹那、鈍い痛みと衝撃。
クロロを助けられるかはこの後のあたしの回復力にかかっている。


(早く、目覚めてくれよ。頼むから)


ロイドと同じ部屋に入れられるのは勘弁したい。
浮遊感と共に高くなった滲む視界。
堪えず目蓋を下ろすと、半ば眠るようにしてあたしは意識を飛ばした。




▽△▽△




先程まで煩く聞こえていた波の音を耳にしなくなってからどれくらいの時間がたったのだろうか。
手足を拘束する麻縄は、数分前に俺へとかけられた水を吸い込み固くなっている。
縄脱けはほとんど不可能に近しい状態の中、なんとか希望を見いだそうと足掻いていると、見張りの男の一人が俺へ声をかけた。



「お前、何してる」

「品性の欠片もない野郎の顔を見るのは飽き飽きでな」

「糞ガキ――!」

「はいはい。やめとけアンブ。お前じゃこのガキに言い負かされるだけだって」



額に青筋を浮かべたアンブとやらは、忌々しげに俺を睨み付け、デカイだけの図体を革張りのソファーの上へと投げ出す。
人のいい笑みを浮かべるリーダー格の……たしかフィルとかいう男が、手にした銃をくるくると弄びながら、本日何回目かの定時連絡を取るのをなんとなく眺めていると、その顔色がだんだん険しくなっていくのに気が付いた。



「ああ、わかった。その女の顔を見てから判断しようか」

「……フィル、どうした?」



仲間の一人が通話を終えるタイミングを見計らって声をかける。
フィルは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、「ああ……」と言葉を濁した。



「やっかいな奴があの男を助けに来たらしい」

「やっかいな?」

「もうすぐこの場に着く。判断は俺がする」



ずいぶん奥歯に物が挟まった言い方だ。
確証がないのか信じられないのか……どちらも半々といったところだろう。
やっかいな奴、と単数形で言われたことからして、警察組織や役人だとは考えにくい。
むしろ後者はコイツらの属するところなのだから、早々に可能性としては切り捨てていたが。


(クレア……)


俺を助けに来るなら、クレアしかいない。
コイツらがやっかいだと感じる理由は見つからないが、あのクレアのことだから隠していることは五万とあるだろう。それに、あのクレアだ。仕事関係で政府や役人とコネクトがあったとしても可笑しくない。

そこまで思考をフルに働かせていると、数人の人間が土を踏む音が聞こえてきて顔をあげた。
男の影に隠れていて性別すらわからないが、十中八九クレアだ。クレア以外に誰がいるというのだ。



「そいつか」

「ああ。二人も殺りやがった」



俵担ぎされて運ばれたのは、想像通りというかやはりクレアだった。
唯一予想外だったのはクレアの鼻筋を伝う血液で、次々にコンクリートへ赤いシミを作っている。
驚きで息を呑んだ俺へは見向きもせず、「ガキが……」と呟いた男は更に言葉を続けようとしたのだろうが、それは歪な音を立てて阻止された。
後ろから伸ばした右手を、相手の左頬へ沿えたところまでは俺の目にも追えた。だが、何かをしたと認識する頃には男の頭が180°回転し、目玉はぐるりと上を向いて蹴り飛ばされていた。ソイツはおびただしい血痕を遺して壁を力なく伝う。



「お前、起きて――」

「死ね」



息を吸うのも憚れるほどの殺気に身体が硬直する。
男の断末魔と肉を裂く音が何度も響き、的確に首の肉を動脈ごと抉り取っていくその光景は生き地獄とも表現できた。
思わず目を閉じても、美しさを伴った殺戮現場が網膜に焼き付いて、頭を振っても離れない。



「クリス=ロイロード……!」



声が、確かにクレアをそう呼んだ。
クリス=ロイロードという名前に覚えはないが、それが暗にクレアを指しているというのはわかる。
すると、それまで殺伐としていたクレアの空気が途端に解けたので、恐る恐る目を開けると返り血やら何やらで全身を赤黒く染めたクレア。
右腕は名前も知らない奴の腹へと突き刺さっていて、咄嗟に視線を大きく横へ外し、食道に逆流しかけた胃液をなんとか堪え忍んでクレアがそいつの腹を横にかっ裂くの音を茫然として聞いていた。



「光栄だな。まさか政界にまであたしの名前が広がっているなんてね」

「……今やクリス=ロイロードの名前を知らないやつなんて、どこにもいないだろーよ」



この場に立つのはアンブとフィル、それから他三人と、俺とクレアの計七人。
人数的には1対5と不利だが、クレアが負けるとも思わない。



「パソコンへ侵入しあたしとユウトの注意を引き付け、その間にあの似非紳士を拐う……運よくその子どもがいてくれたおかげで楽にここまでアイツを連れてこれただろうな」



額から流れる血を拭ったクレアが不敵に笑う。
アンブは醜く顔を歪め、懐からナイフを取り出してその切っ先をクレアへと向けたが、当事者は素知らぬ顔で動揺した気配もない。普段となんら変わりのない面持ちで刃先を見るクレアは、「一つだけ確証が持てないことがある」とそう言って、フィルたちが何かを言うよりも先に言葉を続ける。



「あたしがわからないのはその目的。お前たち役人が、しょうもない上に下らない理由であたしたちに楯突くとは考えられない。強いてそうした理由は……そうだな。つい最近握った情報なんだが――"少年少女誘拐暴行事件"の口封じ、か?」

「……ッ」

「へえ、フィルくんが動揺を見せるなんて意外だね。ボロをだすのは君以外だと思ってたよ」



当たりかとクレアの口が弧を描き、小さなカード状のものを胸ポケットから取り出した。
ゲームのメモリーカードのような形状をしたそれを人差し指と中指で挟むようにしたかと思うと、見せつけるように宙へ投げて遊ぶ。
しばらくして動きを止めると、明日の新聞の一面が楽しみだねえと頷いた。



「お前らがずっと必死になって隠してきたもんだもんなあ。犯人は巷で有名な頭のおかしい奴……世間じゃそう言われて実際にトチ狂った男が捕まった……だがどうだ? 真相はそんなもんじゃない」

「――……めろ」

「言えないよなあ、実はお前ら政府の人間が性の掃き溜めとして連れてきたさしずめ肉便器――おっと、肉奴隷とでもいうべきか? ともかく表では王子様と持て囃される男も蓋を開ければなんて醜いペドフィリアだなんて、さ」

「やめろおぉぉ!」



最後にフィルを射ぬいた鋭い目が優しげに細められたのと同時に、フィルが叫び、アンブの額にビキリと青筋が浮かんだ。
その巨漢が一歩踏み出し、一思いに息を吸い込んだかと思うとまた一歩、そのまた、と前へ進む。



「待て、行っちゃだめだ!」

「だらああああッ」

「止まれアンブ!」



思わず奴を止めてしまうくらい、クレアとの差は纏う空気によって歴然だった。
フィルが伸ばした手は空を切り、一瞬だけ形状を変えた手が筋肉質のアンブの胸を貫く。
の手に握られたのは心臓。力強く脈打つ筋肉の塊が、仲間の一人へ投げられるが、そのスピードか、恐怖のあまりにそれを避けてしまった。



「あーあ」



――死んじゃった。
無感情な声と吊り上げられた口角のアンバランスさが、クレアの残虐性しかない行為をより一層惨さと狂気を助長させていく。
アンブの心臓は嫌な音をたて、壁へ四散していた。
人形のように崩れ落ちたアンブを蹴り倒し、顔面を踏み潰したクレアが地面を蹴ってまずは近場の一人を細切れにする。
悲鳴をあげて逃げようとしたもう一人は、落ちていたロープを鞭のようにしならせたクレアによって、四肢を切り落とされた。
次にクレアは落ちていたカップを手にとり、一人の額へ命中させて平衡感覚を奪ったあと、膝をついて踞ったところを狙って首を踏む。恐らく頸椎を一発でイカれたのだろう。びくんと一度だけ痙攣したその身体が動かなくなり、ただの死骸に成り変わった様を目の当たりにした女は、訳のわからない言葉を叫びながらクレアへ走った。
だがそれは椅子を支えに軽々と避けられ、そのまま頭と壁とを椅子の足で縫い付けられるというのを最期に、仲間同様ピクリともしなくなった。



「……フィルくんだっけ?」



目測で2分もたたない。いや、1分たったかどうかも微妙なところだ。
それほどまでに圧倒的な力量差を見せられたフィルが、冷や汗を流して俺の腕を掴む。咄嗟に振り払おうと抵抗したが、簡単に押さえられ後頭部へ何かを押し付けられた。



「っわ、」



無機質な温度が冷感を刺激し、それがなんなのか考えを纏める間もないうちに腕を引かれ、みっともない悲鳴が口をついて出ていく。



「クリス=ロイロード。大人しくしろ、さもなくば……」



カチリと音がし、それが銃の安全装置を外した音だと直感的に分かって心臓付近が冷たくなるような錯覚に襲われた。
直接的ではないがフィルのその行為が後に続く言葉を物語っている。
形勢逆転とでも言いたそうな表情を見せたのか、クレアの目の色が変わる。
一気に張り詰めた空気に息苦しさを感じるが、それで現状が変わるわけでもない。
クレアが俺を守ろうと、傷付けまいとしていたのは理解している。だからこそ、この状態をなんとかしたい。
怖い思いをさせたと自責の念に駆られるクレアの姿を見るのは嫌だから、悪くもないのに痛々しい表情で俺に謝るクレアを見たくないから。



「……愚かだな」



状況を打破するために空間を裂いたのは、紛れもなく俺の声だ。
口に出た言葉は微かに震えてはいたけれど、生か死かという極限状態の中で不思議と恐怖心はなく、むしろ言い知れない感情で心が高ぶっていた。



「クリス=ロイロードに人質は通用しない。自分、あるいは他人が危険な状態になればなるほど――強い」



そう言えるだけの根拠や理論や経験なんて俺には備わっていないけれど、きっと俺には完璧に振る舞うクレアのことだから、そう言っておけば俺の身を案じた為だけに行動しないなんてことはないはずだ。
そうだろ、と続けた俺にさっきまでの雰囲気はどこへいったのやら、クレアは肩を竦めて降参だとでも言いたげに両手を上げた。



「、参ったな」



すっかりなりを潜めた敵意――だが、クレアの見せる目はその隙を狙って煌々としている。
そして、そんなクレアの雰囲気に釣られ、俺から見てわかるくらいにフィルが油断した瞬間、その身体が後方にぶっ飛ぶ。



「やっぱり殺さなきゃいけなくなったじゃないか」

「っ化け物が……!」



派手にぶっ飛んだフィルが忌々しげに口を開いてバタフライナイフを片手に、いつか見た真っ白な本を手にしたクレアへと飛び上がった。

迫る鋭い殺意にクレアはいつものポーカーフェイスを崩さず、靴をトン、と鳴らして片手を上げる。
残り数メートルというところでも悠然と直立したままのが、恐ろしいくらいニッコリと笑って指を鳴らすと、鎖の鈍い音がし、部屋中を駆け回ったと思うと一瞬の内に世界を赤く染めた。


(鎖……!?)



地に落ちたフィルの身体は首、胴体、手足のパーツに分けてバラバラにされている。
首から噴き出した血が辺りを汚し、遠いところを見つめたままのビー玉のような目玉と目が合い、図らずしてそれから視線を外してしまった。



「来てくれるって信じてたよ」



そんな肉片を一瞥し、髪を掻きあげたクレアが後ろへと視線を投げると、嗅ぎ慣れたタバコの煙が俺の鼻腔をくすぐって、部屋の奥で黒い修道服が揺れた。



「ったく……おっさん歳も歳なんだけど」



へらっとした顔で俺に手を振ったのは、間違いなくライデンだ。
どうしてここに、と口にしようとしたが、緊張から解放されたせいか足に力が入らずその場にへたりこみ、肺一杯に溜まった血の臭いに顔をしかめた。
「いきなりでビックリしたわ」と変わらぬ笑顔を見せるライデンに、クレアもいくぶん表情を柔らかくして、「ああ」と唐突に口を開く。



「ライデン、ロイドは?」

「生きてるわ。っとにしつこいヤローよ」



「ゴキブリ並みの生命力ね」とライデンが言った直後、軽快なメロディーが響く。手の血を服で拭っていたクレアへ携帯を投げたライデン。何を考えてんだこいつと言わんばかりの訝しげな顔でソレと持ち主を交互に見るクレアへ、ライデンは「いいから出てちょーだい」と言って背を向ける。
納得いかなさそうにため息をついたクレアが、仕方なくといった感じの表情をわざとらしく作って、忙しなく働く携帯を耳に当てた。



「『誰がゴキブリですかこの害虫』」

「うっわ……マジで生きてる……」



携帯からも入り口のほうからも聞こえてきた声に、クレアは携帯を閉じてライデンへ投げ返す。
自然と入り口のほうへ視線をやった俺の視界は、眉を寄せたロイドを映した。



「クレアJr.もご無事なようで」



巻き込んでしまい申し訳ございませんね。そう言って胡散臭い笑みを浮かべたまま恭しく一礼するロイドにジトっとした視線を返すと、横から近付いてきたクレアが俺の肩を掴んでロイドへと得意気に指を突きつける。



「誰の弟だと思ってんのよ」

「それもそうでしたねえ。……にしても、」



はははと愛想笑いで肯定したかと思うとロイドはライデンを一睨みし、「まだ生きてるんですねえ」と忌々しげに吐き捨てる。すると、ライデンのほうも露骨に嫌そうな顔をして「お前こそ」と錫杖を構え、いつでも攻撃ができるように腰を落として迎撃体勢へと入った(どうやらさっきの鎖の音の正体はあの錫杖だったらしい)。



「そういうのいいから」



肩を竦めてそれを見やったクレアは再びため息をついて俺に駆け寄り、後ろ手に拘束された麻縄をナイフで切断して俺の頭を撫でた。
抵抗の果てに擦りきれた両手首はヒリヒリと痛むが我慢できないこともないし、極力コイツの申し訳なさそうな顔は見たくないので、クレアには黙っておくことにする。



「……クレア?」



じーと俺を見つめたままのクレアに首を傾げると、いきなりその腕が後頭部まで回り、そのままぎゅうっと力を籠められる。
驚きに固まる俺の肩に顔を埋めたクレアの身体が震えていたのに気付いて、その大きくて小さい背に腕を回した。



「クレア」

「……うん、大丈夫。別に大丈夫、だけど」



ただでさえ肩に埋もれて聞き辛い声が、掠れているせいで更に聞き取り困難に陥る。血ではないもので濡れた衣服が肩に張り付き、いつもはクレアがしてくれるように頭を撫でた。
後にも先にも、クレアが涙を流したのはこれっきりかもしれない。









--------


というわけで第二章終了です。
どういうふうに終わらせるかすっごいいっぱい悩んでなかなか執筆できませんでした。ごめんなさい。
早く青年クロロと姉様を絡ませたいんですが、あと三章くらい残ってるんで、ショタクロロを犯罪レベルぎりぎりまで絡ませます。必死に絡ませてみせますとも。

今後とも『僕らのヒーロー』をよろしくお願いします。

2013.08.28 鹿乃桃歌