僕らのヒーロー | ナノ





クロロが生まれて3年と10ヶ月。あたしの誕生日とか関係なく、捨てられたことはショックだったけれど、もう、あの汚い感情を向けられなくて済むと思うと悪い気分でもない。
あたしの手荷物は、腕の中の傷だらけの弟と、車に詰め込まれる直前に籠城した両親の部屋から盗ってきた、銀行のキャッシュカード一式とポケットにあったキャンディーが三つ。
人間が生活するには金>衣食住だ。金に関してはカードがある。何度か一緒に行ったときに暗証番号は覚えてるので、カードが無いとアイツらが気付く前にありったけを出すとしてクリア。
衣食住の衣は、今ある服を着ておけばいいし、住は適当なところで雨風さえ避けれればいい。問題なのは食だ。



「……おね、ちゃん」

「うん。お腹空いてるんだよね。キャンディーあげるからそれで我慢して?」

「ぅ、ん」



見渡す限りのゴミの山で、すぐに外への道が見つかるとは限らない。グレープのキャンディーを包装の上から噛んで砕き、欠片を弟の口の中へ入れる。
あたしはそれをポケットへ直し、とりあえずは生きるために歩き出した。

暫くして、あたしは何回目かの景色の移り変わりと、誰かがあたしたちを観察しているのに気が付いた。
ねっとりとした気味の悪い絡み付くような視線。父親のそれと少し似ているその視線に不快感を露にするが、最優先するのは外への道を探すことだ。


(うっとうしいなあ)


まるで品定めをされているようでイライラする。流石に腹立たしかったので、場所はわかってんだ、出てこいと威嚇するために殺気を孕んだ目で思い切り睨むと、相手の視線の色が変わった。
あたしは変わらず相手のいる方を睨み続ける。やがてそこから似合わない真っ黒な修道服を着た30程の男が出てきてあたしを見た――刹那。
ぞわ、と背中が粟立ち、意思に反して身体が震えた。得体の知れない何かが足下から急速に這い上がってくる感じがして、身体中から嫌な汗が吹き出す。
徐々に此方へ近付いてくる男から目を離せず動かずにいると、腕の中の弟が苦しそうに身動ぎしたので慌てて背に隠した。



「おー、この距離でも睨み返してくるか」

「……っ、」



息が詰まるほどの圧力。あたしが認知しない圧倒的な力。
正直立っているのがやっとで、それでも退かないのは意地だ。
だって、あたしが逃げれば後ろのクロロは誰が守るの。
歯を食いしばって一向に退かないあたしに男は纏っていた"何か"を消すと、ふっと笑みを浮かべてあたしの名前を問う。いきなりで突拍子のない質問の意味がわからず警戒を解かないあたしに、何か勘違いした男が、名前ねーのかと眉を寄せたのでびっくりした。このまま黙ってると名付けられそうな勢いだ。いやいや、冗談じゃない、名前くらいある。
あたしは首を横に振って、そうじゃないと口を開くが、これは名前がないことに対しての否定であって、名前を言うつもりは毛頭ない。



「あたしには名前はあるけど、どうして教えなければならない。それに、あんた誰? 何でさっきあたしを見てた?」

「質問の多い嬢ちゃんだな。俺はー……お、そうだ。ライデンとでも呼んでくれ」



なんとも微妙な返事。
あたしの問いには殆ど明確な回答はなく、名前も偽名、と。
いちいち突っ込むのも面倒なのでそれらは見過ごすこととする。
よし、ならば言い方を変えてやろう。



「そう。それでライデン、あたしに何か用?」

「お嬢ちゃん、俺様と一緒に来ねーか? いや、一緒に来い」

「嫌だ。どうしてあたしが、あんたみたいなおっさんについてかなきゃなんないんだ」

「これは提案じゃねえ、命令だ。来い」

「うわ、なに!」



何考えてるんだこの人! 軽く誘拐したよ!
横抱きにされそうだったので、背中にいたクロロを慌てて前に抱え直し、ライデンに持ち上げられたと直後に空いた片手で彼の胸元を殴る。
大した衝撃を与えることはなかったけれど、この変人の気を引くことはできたらしい。
せめてもの抵抗と、下ろせという意味合いを兼ねて睨み付けるがこれも効果はない。



「何をそんなに嫌がんだ」

「初対面関係なくいきなり誘拐されれば誰でも嫌がるだろ! それぐらいわかんねーの!?」

「いいから黙ってろよ。俺らの借宿につれてってやるから」

「質問したのはアンタ! それに頼んでないし、望んでもない!」



抵抗の色を見せれば離してくれると思っていたあたしが間違いだった。
10分も全力で暴れれば疲れるわけで、今は大人しくライデンに抱えられたままである。
くそくそ、と悪態をつこうが現状は変わらないのであたしは黙ってされるがままの状態だ。
まな板の上の鯉の気分。もう好きにしてちょーだい。



「おい、何腐ってんだ。着いたぞ」

「いたっ」



地面に落とされたあたしは悲鳴をあげる。クロロがなんかケガしたらどうするんだよ!
文句の一つや二つ言ってやりたいところだったが、今は周囲の把握だ。
あたしは一際大きな建物を上から下まで眺め、頬をひきつらせる。


(うわあ、やっぱりあの人胡散臭いー)


所々が崩れ落ちた教会。天辺の十字架が逆十字にぶっささってるのは気のせいだ。
ライデンをちら、と見ると、何やら探し物をしているみたいだった。「アイツら、どこに行きやがったんだ」とぼやいているところを見ると、この男の他にも人が住んでいるらしい……が、さしずめこんな風に誘拐してきたんだろう。
仮にも修道服を纏う身なのだから、自ら悪事に飛び込んでいくのは如何なものか。神がいるなら今頃泣いてるだろうよ。
まあ、それはさておき、どうしてあたしたちがここに連れられた(拉致された)のか。


(ふむ、読めたぞ)


あたしたちは、ライデンの計らいでここに住むことになりそうなのか。
もちろん無償、なんてものはないだろうから何かしらの条件付きで。
熟考を重ねている間に探し物が済んだライデンは、頭をがしがし掻いてあたしの方を向く。



「嬢ちゃん、俺は将来性のあるガキを育てんのが趣味でな、ここで預かってんだ」

「つまり、あたしも住めと」

「なんでい、おもしろくねーな」

「あたしは、クロロが生きられるのならそれでいいし、ごみ山だろうが胡散臭いおっさんがいるところだろうが場所は問わない。ただ、その条件としてさっきの非礼を詫びろというなら土下座でもなんでもするし、股を開けというなら別に――」



もが、とあたしの口から不格好な悲鳴が漏れる。原因は明白、ライデンの手のひらがあたしの口を塞いだからだ。
何をする、とライデンを見ると、彼の瞳は怒った風に細められていた。
あたしはそれにびっくりして固まる。だってライデンがどうして怒ってるのかわからない。
首を傾げたあたしに、ライデンが呆れたように嘆息を漏らし、あたしの頬を軽くつねりながら口を開いた。



「いいか、嬢ちゃん。人の好意は素直に受けとるもんだ」

「だって、無償で住まわせるなんて、ライデンには何のメリットがあるの?」

「さっきも言っただろ、趣味だって。裏があると思うのか?」

「だって、大人は簡単に嘘をついて、あたしを騙した。一番の繋がりをもつ肉親にだって、大人は嘘をつく、他人ならもっと簡単に。ライデンだって、きっと」

「それが、嬢ちゃんに嘘をつく理由にはならねえ。大人だけが嘘をつくわけじゃねえだろ。嬢ちゃんの言うそいつは詭弁だ」

「、なら、ライデンはなんでそこまでして、あたしをここに住まわせようとするの。あたしはライデンが言うような将来性はないし、何よりまともじゃない」

「流星街<ここ>には、まともな奴なんざいねーよ。皆生きながら死んでんだ」



ライデンはあたしの頭を掻き回すように撫でて、はっはっは、と豪快に笑った。
大丈夫かこの人、と爆笑するライデンを見上げるあたしに、彼は短い無精髭の生えた顎を触りながら口を開く。



「ただ、気に入ったんだ」



まるで、その台詞がここで使われるべきであるように、自然に流れた。
ライデンが真剣な顔をしていたので、あたしもそれに倣ってしまう。



「お前、あん時逃げなかったろ」

「……?」

「大人の殺気に当てられて、弟を守るためか知らねーが、俺に立ち向かおうとしただろ。そん時のお前の目に惚れた。理由なんざそれだけで十分だ」



ライデンの言葉に腕の中で眠るクロロを凝視する。
あの時、確かにあたしはクロロを守ることだけを考えてた。だけどそれだけ? 本当にそれだけで十分なの? たったそれだけのことで、あたしは無償の何かを受け取ってもいいの?

ふわりと浮遊するあたし。
ライデンがあたしを抱きながら頭を優しく撫でる。



「ここで住むか? どうする」



そんなの、答えなんて一つしか用意してないくせに。