03



初めてこんな形で流した涙を止める術が分からなくて、溢れる感情のままに一頻り泣けるだけ泣いた後、何も考えたくなくて、俯いてぼんやりとさっきまでのボクの心そのものを表すように荒く波打つ水面を眺めていた。
沢山泣いたり、途中叫んだりもしたから目や喉が痛い。けれど、心の中で渦を巻いていた色んな感情はもう治まっていた。
落ち着きを取り戻しつつある今は、

『何で、こんなになるまで泣きたくなったんだろう』

って疑問に思う。

前はこんなことなかったのに。

……そう。

『もう一人のボクがアンズ嬢と結婚する』ってマナから聞くまではこんなことなかった。

だからって、もう一人のボクが結婚するって教えてくれたマナが悪いわけじゃない。
もう一人のボクが好きだっていうアンズ嬢だって、
そのアンズ嬢と結婚を決めたもう一人のボクだって。

みんなは悪くない。

ボクがおかしいだけなんだ。
勝手に具合悪くなったり、意味もなく泣き叫んだりしたから。

どうして、ボクはこんな風になっちゃったんだろう。

「…………」

広げたままぼーっと眺めていた両方の掌で、顔を覆った。
手の平で覆われた真っ暗な視界。その中で感じるのは合わせきれなかった関節と関節の間と両手の薬指と小指との隙間から漏れる僅かな光と近くにあるライオン型の湯口から流れ落ちるお湯の音だけ
その視界の中で目を閉じれば、目蓋の奥であの日から今までの事が一つの映像の様に流れ始めた。


一年前のあの日。


ボクは親愛なる国王への“献上品”として初めて国王に、もう一人のボクに謁見した。

それまでのボクは、この城よりも遥か東にある小さな農村に住んでいた。
幼い頃に両親は流行り病で亡くなったから、ボクは父方の親戚の所に厄介になっていた。
だけど、昨年から続いていた大凶作で町に売りに行く分はおろか、とうとう家族みんなが満足に食べられなくなる程にまで困窮していた。
それで少しでも頭数を減らすために、居候の身のボクが真っ先に“奴隷”として売り飛ばされた。
けれど、ボクはボクを棄てたあの人たちを恨んでなんかいない。
家族の中にはボクよりも小さな子どもや赤ちゃんだって居たから。
ボク一人が出て行って家計がいい方向に大きく変わるとは思えないけど、それでもボクの分だった食べ物で少しでもおチビちゃん達のお腹が満たされるのなら、“農民”から“奴隷”になることなんか厭わなかった。

そうしてボクは“奴隷”になった。

そして、ボクは初めてこの国の丞相に買われた。
何でも、ボクを“愛玩”として国王へ献上してご機嫌を取り、自分は国王の寵愛を賜って確固たる地位を手に入れるために。
そのためだけに、ボクは教育係だという別の女性から教育と云う名の躾を受けた。
訳の分からない礼儀作法から、(国王への大事な“献上品”だからと実践まではしなかったけれども)男を悦ばせる術に至るまでその全てをたった1週間で叩き込まれた。

一週間後。その日は丁度、例の丞相が国王に謁見する日だった。
丞相の命令で何人かのメイドに連れられてボクは風呂に入れられて汚れを落とし、ボロ布の衣服からドレスに着替えさせられ、化粧を施され、いくつかのアクセサリーを着けさせられた。
“愛玩”の名にふさわしく、人形の様に。

そして丞相に連れられて、ボクは初めて国王のもう一人のボクに謁見した。

『お前の顔が見たい。上げてくれ』
『……はい』

目の前に居るだろう国王に促されて顔を上げた時、思わず息が止まりそうになった。
切れ長の鋭い目に吸い込まれてしまいそうな色彩を放つ緋色の瞳。そして燃え盛る紅蓮の炎の様に逆立った髪。

それらが無ければ、

(“もう一人のボク”だ……)

と言ってしまいそうになる程、目の前の国王はボクに似ている‥じゃなくて、ボクが国王に似ていると思った。
身分も性別も全く違う人なのに。

『? どうした? オレの顔に何かついているか?』
『! あ、い、いえ‥。そんなことは…』
『そう怯えるな。取って喰いやしないぜ』

クスッと小さく笑われてボクは俯いた。
恥ずかしくて顔が火照って、目も合わせられなかった。

『其方、名は何と言うんだ?』
『ユ、ユーギでございます…』
『ユーギか……気に入った』

謁見を終えて早々に出ていくもう一人のボクに手を引かれ、ボクの部屋へと案内された。
部屋に連れて来られて早々、もしかしたら抱かれるんじゃないかと身構えたのにも拘らず、ベッドに押し倒されることはおろか口づけをされることもなく『オレの寝室はお前の隣だから、何かあったら呼んでくれ』と言って出て行こうとしたもう一人のボクの腕を咄嗟に掴んだ。
一瞬驚いたその隙をついて腕を引いてボクの元に引き寄せて、教えられた通りに口づけた。
そして、口づけを交わしたまま背後のベッドに押し倒し、目の前で着せられたドレスや下着を脱ぎ捨てたら、もう一人のボクは酷く狼狽えていた。
ボクみたいに初めてじゃあるまいしこういう行為に慣れていると思ってたから、何をそんなに驚いているのかボクには分からなかった。
畳み掛けるように、『親愛なる国王様、私めの身体を如何様にもしてください』と迫った。けれど、もう一人のボクは顔を赤くして首を横に振って、ボクの身体を引き離した。
『初めてなんだろ? 無茶をするな』と言って。

大仰だとは思うけど、そのときに初めてもう一人のボクなりの優しさに触れた。
ボクを気遣って言ってくれた言葉は、本当に嬉しかった。

でもね、そこで「はいそうですか」と引き下がれるほど聞き分けの良い子どもに徹する訳にはいかなかった。
ボクには“国王の夜伽相手になって彼に悦んでもらう”という大切な役目がある。
いくら国王に気に入られたとしても、いざ本番になって肝心の国王に求められなかったら、“愛玩”として献上されたボクが存在する理由もその価値も無い。
そう何度も相手になるつもりはボクにだってないんだ。たった一度、一度だけでいい。
国王の所に売り飛ばされて他に行く宛のないボクが“愛玩”としてこの城に居られるだけの理由が欲しくて、意地を張って頑として退かなかったボクに、『それなら“友達”になってくれないか?』と言ってくれた。『双子みたいにそっくりな容姿と名前の好(よしみ)でよ』と、ウィンク付きで。

今、思えば、何だかもう一人のボクの都合の良いように上手く流された気がしないでもないけど、友情の証に“もう一人のボク”“相棒”という二人だけの愛称をつけて呼び合い、共に生活をするようになってからは、ボクの中で勝手に作り上げたもう一人のボクの印象はガラリと変わっていった。
あっという間にもう一人のボクと打ち解けていって、気が付けば最初の出会いからもう3ケ月が経っていた。


そして、ある日の夜、


『ユーギ……イイか?』
『うん‥来て…?』


ボクは初めて“愛玩”としてもう一人のボクと身体を重ねた。
あの夜以降、勇気を振り絞って毎夜どんなに誘っても適当に流されて相手にされなかったし、ボクも一度でも身体を重ねたと云う事実さえあればよかったから、その時は一夜限りの行為だと思っていた。
けれど、甚くお気に召したのか、次の日もそのまた次の日ももう一人のボクの寝室に呼ばれたり、或いは彼がボクの部屋にやって来て、ボクらは身体を重ねた。

それからは、昼間は執務をサボって会いに来てくれたもう一人のボクに“親友”として接し、夜は“愛玩”として夜伽の相手に徹するという、ある意味二重の生活をしている。
ボクとしては、もう一人のボクを悦んでもらうことが役目で唯一の存在意義だから、生きるために必要なことは十分させてもらえるし、ある時は代わりにしてもらっているこの生活自体に何かしらの疑問も文句もなかった。

……だけど、そんな生活もアンズ嬢がもう一人のボクの正妻―お妃様―として輿入りしてきたら、終わってしまう。
もう一人のボクから見て“親友”のボクでも、アンズ嬢からしてみればただの女の奴隷。そんなボクがいつまでも傍に居て、不愉快に思わないはずがない。
もう一人のボクにしたって、別に彼女と結婚すればボクが夜伽相手じゃなくても十分事足りる。世間体を気にして、ボクを相手にする様に一々避妊具を付けたり、高価で即効性のある避妊薬を飲ませる必要もなくなる。

どんなに足掻いても、昼の“親友”としてのボクの存在も夜の“愛玩”としてのボクの存在も必要なくなる……。

ボクは顔を上げた。
ほんの少し目を閉じていただけなのに、目の前の世界はこんなにも酷く色褪せて見えた。

「もう一人のボク‥ッ」

一人きりの広々とした湯船に浸かりながら、彼を呼ぶ。けれど、もう一人のボクは中庭に居るし、ボクが居る此処はお風呂場。当たり前だけど、距離がありすぎてボクの声が届くはずがない。
その事に気付いたら、もう一人のボクがものすごく遠くに居るような感じがして、さっき涙が枯れるまで泣いたはずなのにまたじわじわと涙が溢れてきた。
頬を伝ったソレが水面に零れ落ちて幾つもの波紋を描いた。暫く幾度か波打った後、そこに映ったボクは涙と鼻水でぐちょぐちょになってもう一人のボクに見せられないほど酷い顔をしていた。
それを誤魔化す様に、濡れタオルで目を擦って小さくため息を吐き、湯船から立ち上がろうとしたその時だった。

「あ…」

急に眩暈がして、グラリと視界が揺れて、さっきまではっきりと見えていた目の前の景色が霞んで見える。

(ど‥しよ……)




「ユーギ様!」

ボクの身体が糸の切れたマリオネットの様に湯船の方へ崩れ落ちる瞬間、どこか遠くでバンッ!と勢いよくドアを開ける音と、此処には居ないはずのマナの声が聞こえた気がした。






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