※加糖さんの『奪われた世界で闇永くんをかばう闇沖さんを見て傷つく永井くん』という、たいへん不憫かわいい萌え……もとい、かわいそうな永井くんねたを書かせていただきました。
※薄暗いです。





 まだ、赤い海の悪夢から脱け出せない。


 赤い空に穿たれた穴のような黒い太陽が君臨するこの世界の異常さには、すぐに気付いた。四角い建物が作る町並み、そこにあるこまごまとした日常の風景は永井の見知ったものに似通っているくせに……人間のものではない。
 街を闊歩するのは闇人だけ、あの島で見たものとそっくりな異形の文字を用い、奇怪な言葉で喋る人間のにせものだけだ。
―― 人間は、何処にいる。
 どこにもいないと、頭のどこかでわかっている。
 永井の姿に怯え逃げ惑い、ろくな抵抗もできずに殺されていく化け物どもは、永井が戦ってきた相手と同種の姿をしているくせに、まるで人間のような反応をするのが違っていた。
 すぐに死んでしまって、それきり起き上がらない。
 そんなところまで人間の真似をして――図々しい連中だと、怒りが湧く。
 人間になりきったにせものたちが人間の持っていたなにもかもを、永井の生きてきた世界をすっかり乗っ取ってしまったのだ。
 黒く汚れた指で、煤けた小銃に弾を籠める。
 これが最後の三十発だ。
 弾が尽きたら、ナイフで仕留めたって、殴り殺したっていい。
 今までだって、そうしてきた。殺す方法はいくらでもある、なんだってやれる。
 仲間の、沖田の屍を辱しめただけでは飽きたらず、人間から奪いとった世界を我が物顔で占拠するばけものを一匹でも多く道連れにしてやる。
 それが、永井の命を救って死んでいった沖田に対する手向けであり、謝罪だ。
「そうでしょう、沖田さん」
 独り呟く言葉にこたえる者などない――永井の周りに転がる、恐怖と絶望にひきつった表情の、人間もどきの死体の群れも、行儀よく沈黙したままだ。
「待っててくださいね、沖田さん。やってやりますから……みんな殺して、殺して、殺して、殺しきって、取り返しますから。沖田さん、おきたさん」
 誰と交わす言葉のない、殺戮だけの世界で、ときおり口に出していないと忘れてしまいそうな音の連なりを、抑揚なく口にする。
 ほかの言葉が、永井自身の耳にさえ意味のないものに成り果ててしまっても、たったひとつの名前だけは忘れたくなかった。
「おきたさん、おきたさん……」
 繰り返す音を抱き締めるように、銃を抱えて目を閉じる。
 血の臭いまで人間とそっくりな偽物たちのなかにいると、沖田のことをよく思い出せる。


 最後に会ったときと、同じにおいだから。


 錆びの浮いたフェンスと鉄条網に囲まれた、どことなく工場や倉庫を思わせる四角い建物が立ち並ぶ区画。
 次は、あそこを潰す。
 町に入り込むのは危険が多いが、身を隠す場所か多いという利点がある。
 地の利が向こうにあるとしても……ここのにせもの達が武器を持っていないのは、わかっていた。島にいた時より映像が不鮮明で、長く使うと頭が痛くなってくるが、視界を盗んで状況は把握できている。
 民間人、という言葉が脳裏に浮かんで唇を歪める。
 やつらは人間のにせもの、化け物の類いだ。うようよと地上にのさばり、人間から奪った平和を謳歌するなど許されるものではない。
 永井は肉食獣の静けさで、鉄条網の切れ目から、何も知らない獲物たちが蠢く狩猟場へと侵入した。


 最初にまず、外にいる獲物を片付ける。映画で見たゲリラのように、背後から近付いてナイフで喉を掻き切ってやるのが、声を立てられもしなくて良いのだが、なかなか上手くはいかない。
 物陰からバネのように飛び出し、喉を切ってやれたのは最初の一匹。何が起きたかまるで理解をしていない表情で、倒れる仲間をぼんやりと見ていたもう一匹は、背中から胸を突き刺し、蹴り倒してやった。
 毎日きちんと整備しているおかげで切れ味の鈍らないナイフは、弾薬の節約にとても役立つ。
 足を止めず、見えている影に向かう。三匹目は布ごとうなじを突き、賢明にも逃げようとした四匹目は落ち着いて射撃で倒す。
 精神の高揚とは裏腹に、頭の中は冴えきっていた。
 建物の中にはいると、やはり工場であったらしく、なにやら機械を点検している五匹めが永井に気付いて棒立ちになっている間に喉を裂いた――どんどん手際が良くなっている自分を、沖田はきっと褒めてくれる。
 ようやく何が起きているか理解できたようで、布を引き裂くような不快な悲鳴をあげた化け物に、永井は親しげに笑ってみせた。
 逃げたって無駄だ。
 この建物に出口がひとつしかないことは知っている。



 三時の方向。物置らしく、ごたごたと物が積まれた棚が並ぶ、狭い部屋。
 視界の主はひどく動揺していて、呼吸が乱れている。ときおり小さく、引き攣った声を漏らすのは泣いてでもいるのか。
―― 人間ぶりやがって。
 低くおさえた声がもうひとつ。
 なにを言っているかはまるでわからない、水を通したように不明瞭なそれは、視界の主を落ち着かせようとしているようだ。景色が揺れて流れ、誰かの肩が見えた。抱き寄せて、抱き締めて、大丈夫だと慰めている――。
「沖田さん……」
 視界を手放して、割れた声で呟く。
 輸送機が墜落するときも、瀕死の沖田を前にした時も、永井はただ怯えて泣くことしかできなかった。
 だから、沖田は死んだ。
 だからいま、自分はひとりだ。
 理不尽を前に嘆き、庇いあうならそれでもいい。どちらかが残されないように、一緒に葬ってやるだけだ。
 にせものたちが隠れている場所へ、永井はゆっくりと歩を進めた。
 鉄の階段を下りて、廊下のさき――うずくまっていた化け物は頭を撃てばあっさりと倒れた、弾が勿体なかった――扉を押し開ける。
 黒い笠のついた電球の、気味の悪い赤い光でぼんやりと照らされた物置のどこかに、先刻の視界の持ち主がいる。
 七、八列の棚のあいだに段ボール箱が雑然と積み上がっているせいで圧迫感があるのだろう。視界から受けた印象よりは広い部屋だが、それ以上の逃げ場はない。
―― まいごのまいごの、こねこちゃん。
 ふと、頭のなかに童謡の一節が浮かんだ。帰る場所など、永井にはもう見当たらないものだが、ここにいる奴らもすぐ同じになる。
 なんだかおかしくなって、鼻唄を歌いながら奥に踏み込んでいく。
 どうやって殺そうか。
 無駄に苦しめたりしない。そんな残酷なことをしたら、沖田は悲しむだろう。できるだけ素早く――。
 軋む物音を捉え、認識よりはやく体が動いた。通路を形成していた棚が、自分に向かって倒れてくる。素早く身を伏せて、向かいの棚を遮蔽物にしたおかげで直撃は免れたが、棚に詰まれていた塗料らしき缶が肩や腰に当たり、鈍く痛んだ。けたたましい音を立てる缶が転がるむこう、棚を蹴り倒した化け物がもう一匹の手を引き、逃げていくのが見える。
「逃がすかよ……」
 埃臭い床を這いずって隙間を脱げ出し、銃を掴んで後を追う。
 階段のうえ、黒い影に向けて撃った銃弾は左足を貫いた――逃げるから、一発で終わらせられなかった。
「□□□!」
 よろめき倒れたにせものを、手を引いていた奴が助け起こそうとする。
 叫んだのは、名前だろうか。
 倒れた奴、少し小柄なほうは、その手を振り払い、何事かを早口に告げる。
「□□□□□……□□□」

 おきたさん、にげて。

 掠れた声に、盗んでもいない視界がぐらりとぶれた。
 恐怖にひきつり、黒い涙を流す横顔、は、見覚えがある。
 手を引いていたほうは仲間に呼び掛け、振り払われた手でもう一度、今度は強引に腕を引っ張りあげ、肩を貸す。
 ちらと、こちらを振り向いたのは一瞬だったが、見間違えるはずもない。

―― 沖田の顔を、していた。

 靴音を響かせて追うと、庇われている仲間……永井の顔をしたにせものが泣き声をあげ、沖田の顔をしたにせものを振りほどこうとする。

 いやだ、おきたさんにげてください、ころされる、にげて!

 ふたりの行く手、赤い照明を撃って砕くと、逃げ切れないとおもったか、“沖田”は“永井”を下ろし、こちらに向き直った。
 蒼白な……いや、最初から真っ白な顔に浮かぶのは恐怖と決意。背中に庇った存在だけは守りとおすと、全身が叫んでいる。

 にげろ、ながい。

 やだ、おきたさん、ころされます、やめて。

 “沖田”が無力なりに盾になろうとしているのに、“永井”は動かずに泣くだけだ。
 ゆっくりと、向こうからもこちらの顔が見える距離までくると、“沖田”は“永井”を胸に抱き締め、なおも庇う。


「……っはは、なんだよ、それ」
 我知らず、永井は笑っていた。
 笑いながら、涙を流していた。
「それじゃあ、お前らが本物で、俺がにせものみたいじゃん」
 沖田のような化け物と、永井のような化け物は――――突然わらいだし、泣き出した怪物を呆然と見つめている。
 不意に、沖田が何かに気付いたように目を見開いた。
「□□□、□□□□□□」
「ちがうよ、沖田さん。おれは化け物で、そいつのにせものだ」
 なあ、そうだろう。
 撃たれたショックと恐怖で震えながら、しっかりと沖田の腕を握りしめている永井に、笑みを向ける。
―― おまえが俺を奪って、おれはとっくに脱け殻なんだろ?
 空っぽになった胸から、全身にひび割れが広がっていく。
 怒りと憎悪だけで支えていた骨が、脆く崩れていく。
 もう、何者でもなくなった怪物はまた笑い、抱き合うふたりを置いて、血のにおいに満ちた建物から遠くへ、遠くへと歩いていった。


「弾、節約しててよかったなあ」
 悪夢を終わらせる方法を教えてくれたひとは、殺めてしまったけれど。
 一発あれば、カタがつく。
 あのふたりが呼んだのか、黒い返り血を浴びた怪物を遠巻きに取り囲む闇人たちは、みな、武器を手にしているようだ。
「おきたさん」
 一斉掃射で蜂の巣になって死ぬのも劇的だ。しかし、人間に教えてもらったやり方で終わらせたい。
 仕損じることもないだろうし。
「自分で起きますから、そこにいてくださいね」
 ひとりぼっちの怪物は、銃声ひとつで、彼の世界を終わらせた。


(2013.05.07)








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