(※なんだかんだで生還設定で超展開。) 【蓼喰う虫も。】 久しぶりに会った永井は、前よりも痩せたようだが元気そうだった。 転属した先の仲間とも、うまくやっているらしい。 互いに近況を報告しあい……会話が落ち付いたところで、気になっていたことを訊ねる。 「……それで結局……信じてもらえたのか?」 ジンジャーエールのストローを噛みながら、永井は苦笑いし、首を振った。 「公式には、認められてない」 島で起きた一連の事件。訓練に向かった部隊の唯一の生き残りである永井は、数日間に渡り軟禁状態で事情を聴取されたと、大袈裟でもなさそうな表情で言われた。 それから色んな人間に会って、何週間も、繰り返し同じ話をさせられたという。……上官を撃ったことまで話したかどうかは、聞いていない。 俺も、制服のいかついオッサン達にあれこれと訊かれたが、頭のおかしい奴だと思われるのは承知で、正直に全部話した……ただし、木船の力のことは伏せて、だ。俺達が戻ってこられたのは、実質、彼女のお陰だ。 だが、自衛隊の上層部が俺達の話で納得するわけがない。 木船の能力を実際に見せれば信憑性は増しただろう。しかし、木船の人生を左右する話だ。政府の秘密機関の実験動物にされるとまでは思わないが、証明されたところで碌なことにはならない。 永井も、木船のことは黙っていると約束してくれた。 あの後、能力を使いすぎたせいか衰弱で倒れ、しばらく入院していた木船は通りいっぺんの聴取しかされなかったというから、永井は本当に、最後まで何も言わなかったらしい。 ―― まあ、言うような奴だとは思ってなかったけど。 俺達とは違う立場の永井が、自分の正しさを最も強く証明できる木船を出さず、事実を語るのは相当に苦しかったんじゃないかと思う。 「公式には、というのは、裏では違うってことか?」 「さあな……このまま黙ってれば、任期が終わるまでの立場と転職先は保証してやるって言われたよ」 「どういうことだ」 彼らしくもない、投げやりな言い方と、皮肉っぽい笑いがどうにも嫌な感じだ。 つい、声がきつくなると、永井はストローで氷を掻き混ぜながら、独り言のように応じた。 「一樹は怒るかもしれないけどさ……あれは大規模な事故で、俺はひとりだけ生き残ったショックでちょっとおかしくなったって、そういうことにしておいたほうがいいんだよ。……死んだ奴の家族だって、死体どころか、遺品も帰ってこねえのに、大切な人が化物になって異次元にいる……なんて、思いたくないだろ」 「……それは……そう、だろうな」 今回の事件は、自衛隊の消失よりも、三上脩の行方不明の方が大々的にマスコミに取り上げられてはいるが……突然の異常気象による大嵐で船が沈み、訓練機も墜落した、と、そんな落とし所で報道されている。 遺族がそんな説明で納得するかどうか疑わしいが、真実の方がよほど信じがたいのだ。 実際に親しい人間を亡くした永井からすれば、嘘も方便というところか……。 「永井は、それでいいのか?」 「他にどうしようもねえし。……あんたと木船さんが知ってるから、それでいいよ」 俺のことは未だに「あんた」で、木船には「さん」付けなのが微妙に引っ掛かるが、そこは深く追求しないでおく。 「そっか。それで……今は備品係だっけ?」 「需品科だ、バカ」 わざと軽く受け流すと、永井は顰めっつらで、丸めたストローの殻を投げつけてきた。 「それって左遷?」 「なんでだよ。やることが違うだけだっての……つーか、前より忙しい。今日だって、外出許可取るの苦労したんだからな」 「それはそれは、永井さんにおかれましては俺のためにお忙しい時間を割いていただき、ありがたく存じます」 「わかればいいんだよ」 顎をあげて偉そうに返されて、やっといつもの永井らしくなってきたので、ほっとする。 ……いつもの、と言えるほどの付き合いがあるわけじゃないが、どんな状況だろうと決して諦めない奴、というのが俺の中の永井だ。 木船もそうだが……こいつがいなけりゃ、俺も今、ここにはいないわけだしな。 年上だから敬うって気持ちはまったく、ひとっかけらもないが、なんというか……男として認めては、いる。 最近は、それだけでもないのだが。 「一樹はどうなんだよ。相変わらず変な記事書いてんの?」 「変なって言うな。俺が企画したムックはけっこう売れたんだぞ」 正確には先輩との共同企画で編集長がきっちり監修した本だが、月はじめの朝礼の席で褒められるぐらいには売れた。 「へえ、頑張ってんじゃん」 嫌味でもなく、永井が口を横に広げて笑う。……こんな明るい笑顔を見られるようになったのは、ごく最近になってからだ。 「まあな。努力しただけの見返りがある、やりがいのある仕事だよ」 こちらも謙遜せずに頷くと、永井は「えらいえらい」と今度は揶揄う調子で言った。 「なんか、安心したよ。一樹が変わってなくてさ」 さっき俺が思ったようなことを口にして、永井は腕に嵌めていた時計を見た。 「店の予約、五時からだっけ。移動すっか?」 「ああ。ちょっと歩くけど大丈夫か」 「俺をなんだと思ってんだよ。ひ弱な民間人に心配される筋合いねーよ」 そういえばそうだった。 しかし……俺に対する口の悪さは会った頃から全く変わらないな、こいつ。 誰にでもそうなのかと思ったら木船には優しかった。チャラいわけじゃなくて、お兄さんっぽいというのか、名前の通り頼れる自衛官らしい態度で接していた。 でも、それは永井の素じゃない。 木船も『永井さんって、すごいね。思ってることとやってることが同じなんだもん。そういう人ってあんまりいないんだよ。一樹だって、ちょっとかっこつけてるとこあるしさ。……でも、やっぱり、私には「自衛官らしく」しなきゃって思ってるみたい。そんなのいいのにな』……要約すると脳筋の体育会系ながらも、弱者の前では頼れるところを見せようと頑張っているのがカワイイ、と。繊細な男心を粉微塵に打ち砕くような感想を述べていた。 俺の心を勝手に読まないでほしいと頭の中で考えただけなのに、『一樹は思念が強いから、近くにいるだけで勝手に流れこんでくるんだよ。心の中までおしゃべりでうるっさいの、やめてよね』と逆に抗議された。永井は「さん」付けで俺が呼び捨てなのも含めて、ものすごく理不尽だ……。 永井といい、木船といい、俺を軽く扱いすぎじゃないか? ともかく俺は、永井の中では、気を張らずに素を見せてもいい奴というカテゴライズをされているらしい。 こっちだって、言いたいことを言ってるからお互いか。 共に生死を乗り越えた仲、そんな関係が居心地良くて、こうして何度も会っているわけだ。 永井のほうはどうか知らないが、俺は、まあ……少なからず、好意を持っている。 かっこつけずに言えば、惚れている。 少なくとも、夜見島ではそんなことはなかった。それどころではなかったし、二十年間、俺が好きになってきたのはちょっと影のある女の子ばかりで、影も踏み砕いていくようなミリタリー男じゃなかった。 釣り橋効果が生まれるとしたらそれは俺と木船の間であるべきだったはずだ。 だというのに。 気付けば、永井はどうしてるだろうとそればかり考えていたり、今日だって、永井が来るまで朝からそわそわしっぱなしだった。人生、どこに陥穽があるかわからない。 『永井さん可愛い顔してるもんね、性格もいいし。でも、あれはハードル高いよー、がんばりな』 木船の直球の発言を思い出すと頭を抱えたくなってくる。 永井についての話をする時の俺の内心は、彼女に言わせると『甘酸っぱくて乙女っぽい』らしい……永井の前で乙女っぽくなってはいないと思うが……下世話な話、永井をどうにかしたいとは思っても、どうにかされたいとは考えていない。 ―― 何も言わず、訳知り顔に微笑をうかべてこっちを見てくる木船の前で、永井を具体的にどうしたいかを考えないようにするのは一苦労だった。 あの子の前では永井の話はしない。これはもう、俺の中の掟だ。まあ、木船も地元に戻ってしまったので、そうそう顔を合わせる機会なんてないが。漁船でのバイトはやめて、高校を卒業する春から漁業組合に就職するというのは電話で聞いた。 あんな目に遭ったのに、夜見島とは目と鼻の先の海から離れないのは、たいした根性だ。 そう褒めたら、そんなんじゃないよ、と苦笑された。 『私のことと……妹のことでいろいろあって、母さんがすっかり参っちゃってるからね。一緒に暮らすことにしたの。あの人とは親子の縁なんてあってないようなもんだけど、ほっとくわけにもいかないしさ』 俺より年下の女の子とは思えない、しっかりした話しぶりにエールを送ると、『うちは前向きやけん、くよくよしたってしょんなか。一樹も、永井さんのことがんばってね』と要らない激励がきた。……ちょっとだけ、方言に萌えたのは秘密だ。 永井から連絡があっても余計なことは言うなと念押しをしたものの……ちょっとどころではなく不安だ。 俺の選んだ店、といっても居酒屋に毛の生えたような小料理屋だが、懐に優しい価格のわりに美味しいと評判のところで、俺も永井もおおいに食べて飲んで、店を出る頃にはすっかり暗くなっていた。 「今日はこの後、どうするんだ?」 「どっか泊まって……朝メシ食って帰るかな」 俺が向こうに行っても良かったのに、自分が来ると言い張った永井の眼の下に、うっすらと隈が浮いているのに今さら気付いた。 ……やっぱり、あまり眠れていないんじゃないだろうか。 こっちからはよく見える永井の首筋が寒そうで、無性に覆い隠したくなる。 「じゃあ、俺の家に来ればいい。そうしろよ」 するっと、そんな言葉が飛び出した。 別に、下心があるわけじゃない。今からじゃ泊まる場所を探すのも面倒だろうし、部屋には見られて困るものもないし……ないはずだ。 このまま別れるのは勿体ない、と、思ってることは否定しない。 「……いいよ、俺がいたら狭いだろ」 「永井が寝る場所ぐらいある。お前、ちっこいし」 「あんたがひょろ長いんだっての」 突き出された拳は、けっこう痛かった。 部屋に着いた後がひと騒動だった。 幸いにしてというか、本棚とデスク周りの書籍量が凄まじいぐらいで、俺の部屋はそこそこ片づいている。 しかし、客用のベッドなど置くスペースがあるわけでなし、編集部に泊まり込む時に愛用している寝袋の予備が家にもあるため、俺はそれで寝てベッドを譲ると言ったら、永井は泊まらせてもらう自分が寝袋だろうと主張する。 「いいから、永井は遠くから来てるし、戻ったら訓練があるんだろ。人の好意は素直に受け取れよ」 「あんたより俺のほうがずっと鍛えてんだよ、そんな気遣いしなくていいって」 「客を床で寝かせるのは俺のポリシーに反する」 「知るかそんなの」 やいのやいのと言い合った末に、俺はもう面倒くさくなってきて、 「じゃあ、平等に、ベッドはんぶんこでもするか?」 当然断られるだろう提案をしたのだが。 「いいよ、それで」 永井があっさり承知するとは、予想外。 「いいのか」 「雑魚寝には慣れてるからな」 そういう問題じゃない気がするんだけど。 永井がいいと言うのだから、言い出してしまった手前ひっこみもつかず。 そうして俺たちは、なるべくくっつかないように背中合わせになって狭いベッドをシェアすることになったのだった。 しかし、目が冴えて眠れやしない。 いつもはひとりの部屋、ひとりのベッドで、永井の気配がするのはどうにも落ち着かない。 ため息を飲み込んだタイミングで、声が聞こえた。 「……起きてるか?」 「寝てはいない」 俺の答えに、ばーか、と低く笑ってから、永井は世間話をするような調子で話しはじめた。 「俺さ……給料もらいながら免許が取れるからって言われて自衛隊に入ったんだよな」 「そんなもんだろ、大概の奴は」 「大概じゃねえよ。もっとさ、ちゃんとした目的とか……守りたいモンとか、持ってる人が、いっぱいいたんだよ」 どこに、と、訊く必要はない。 永井以外の……帰ってこれなかった人達だ。 「すげえ尊敬してる先輩もいて……俺のこと、庇って死んだんだ」 「……うん」 仰向けになって、横目で窺ったベッドの反対側。小さく丸まった永井の背が、震えている。 「周りの奴はさ、沖田さんのぶんまで生きろって、そう言うんだよ。俺が助かったのは、沖田さんのおかげだからって」 苦しさを絞り出すような呟きのひとつひとつを聴き逃さないように、耳を澄ます。 「……俺だってそう思うよ。でも……あの人が何をしたかったかとか、どう生きたかったかとか、そういうこと、俺、全然わかってなくてさ。もっとちゃんと、話聞いとけばよかった。三沢さんだって……俺が撃ったのに、俺は悪くねえみたいに言って……なんだよ……結局、俺の方が間違ってたのに……俺だけ残って、誰も、俺のこと……」 ずっ、と鼻を啜る音が響いて、永井がわななく息を吐く。 「くそ、情けねえな……あん時はあんたにでかい口叩いたけどな、一人になったらこんなもんだよ。バカみてえだろ」 「永井」 手を伸ばして肩に触れる。永井が動かないので、這うように寄って、肩から左腕を回して抱きこんだ。 「お前が、死んだ人の人生まで背負うことはないよ。周りの人だって、そんなつもりで言ってるんじゃないって、わかってるだろ」 『公式には』島での怪異現象はなかったことになった。 だから、永井の過ちを裁く者は誰もいないし、永井がひとり生き残った罪悪感に苦しんでいることも、誰も理解しない。 永井の苦しみは死んだ人間が永井を生かした事への冒涜だと、助かった命を死者への手向けに使い、謝罪よりも感謝をすべきだと、悪意なく励ます人が、永井を追い詰める。 ―― たぶん、いや、絶対に、永井が間違ってる。 永井が上官を撃ったのは、ものの弾みみたいなものだ。だから、上官は永井を責めなかった。 永井の先輩がかばったのは、こいつを助けたかったからだ。自分より弱い存在を、守ろうと思ったからだ。 だから、今こうして永井が生きていることこそが、先輩の正しさを証明している。 でも、あの世界を見ていない奴の正論じゃ、永井の心に空いた穴を埋めることはできないだろう……俺にならそれができる、なんて言うつもりもない。 ただ、喪失の苦痛、どうにもできないことへの後悔や罪悪感の重さは、俺だって少しは知ってるから。 少しでも、軽くしてやりたいだけだ。 「……わかってるよ」 「じゃあさ、俺のせいにしろ」 「え?」 「お前を、母胎を倒すのに付き合わせたのは俺だ。観測者である俺が永井を見出し、決戦の場に導いた。ここまではいいか」 「……俺がヘタれてたあんたを見つけたんじゃなかったっけ」 涙の名残が残る声で、可愛くないことを言う。 「それは経過に過ぎない。俺は結果の話をしてるんだ。混ぜっ返さずに聞けよ」 「はいはい」 「俺が導いた以上、永井が時空の狭間から現実の世界に帰還したのは、俺の責任になる。つまり、俺には永井の人生を背負う責務が生じている」 「ねーよ」 なんでいきなり冷静になってるんだこいつ。 腹に力を籠めた全否定をいただいて、ちょっと傷付いた。 「あるんだよ」 否定の否定。 「その覚悟も、俺にはある」 「いらねえし。……あんたと話してると、ほんと、力抜ける。こっちは真面目に語っちまったってのに……」 「俺だって真面目だ」 毛布の中でくっついている永井の身体が、次第に温度を上げてくる。 腕に力を籠めると、永井は「暑苦しい」と呟いたが、振り払おうとはしなかった。 「俺のせいで母胎が復活したんだ。だから、罰されろっていうなら、俺も同じだ」 「一樹は、人間は殺してないだろ」 「三上脩が、俺の身代りになったんだよ。殺したのと同じだ」 俺の意図したことではないが、結果的にはそうだ。 後から冷静に考えると、そうとしか思えない。木船は「アンタは鳩に操られてまともじゃなかったんだよ」と言っていたが、化物の策略にうかうかと乗せられた事実は覆しようもない。 「お前のせいじゃないって」 「過程の話はするなと言っただろ。……だから、罰なら一緒に背負ってやる。それが……戦友ってもんじゃないのか」 「お前が戦友かよ。頼りねえの」 憎まれ口を叩きながら、永井の手が、俺の指先を握った。 弱くも強くもない、自然な力で、少しだけ引っ張られる。 「ありがとな」 「……どう、いたしまして」 素直に礼を言われると、どうも照れる。 それは永井も同じだったようで、素早く手をほどいて、黙ってしまった。 しかし――もういいか、と、腕を外そうとしたら、また掴まれる。 「永井?」 「さむい、から」 ぼそぼそと言い訳をする永井の手のひらは熱くて、すこし汗ばんでいるようだ。 「動くと、寒いからさ。このままで、いい」 永井が壁を向いたままでよかった。 俺は人生最大の間抜けヅラを晒してただろうし、その三秒後には、真っ赤になってたと思う。 「そ、そうか。寒いもんな」 「うん」 うん、って。 急に可愛くなった永井を、どうしたらいいかわからない。 「じゃあ……ええと、おやすみなさい……」 「おやすみ」 阿呆じみた俺の挨拶をどう思ったのか、永井は短く応じて、目を閉じたようだった。 ……早鐘を打つ鼓動が、伝わってなきゃいいが。 とうてい寝られそうにないと思いながら、俺はいつのまにか眠りに落ちていたらしい。 気付いたら、カーテンごしのやわらかな光が部屋を照らしていた。 腕の中で反転し、胸に擦り寄る格好でに寝ていた永井の姿に奇声をあげかけたのをどうにか堪える。 と、永井がもぞもぞと動き、まともに目が合った。 「……おはよう」 言うべき言葉が見あたらず、とりあえず挨拶をする。挨拶は対人の基本だからな。 「ん、おはよう」 なぜそこで笑う。それも……永井相手の形容としてはあれだが、花が咲くような、とでも称したい、いい笑顔で。 俺の顔だって、つられて緩むじゃないか。 「寝苦しくなかったか?」 「久しぶりに、良く寝た」 「そっか。……それなら、良かったな」 くっついたまま、何を普通に会話してんのかな、俺たちは。 「……あのさ。勘違いだったら悪いんだけどな」 「なにが?」 唐突に永井から振ってきた話が、どう転がるのか。予測がつかずに、また鼓動が早くなる。 「一樹って、俺のこと好きなの?」 直球で死球が来た。口の中が急速に乾く。 「……なん、で」 「なんでっつーか……水でも飲もうかと思ったら、『そっち行くな』つって抱き締めてきたし」 それでこの体勢か。犯人は俺か。 記憶にない。 「……寝言だな、それは」 「じゃあ違うのか」 と、永井は表情を変えないまま 「俺は好きだけどな、お前のこと」 さらりと爆弾発言をした。 「え」 「水、もらうから」 俺の反応を見ることもなく、あっさり俺の腕と布団とを抜け出してしまう。 「ちょ、ちょっと待て永井、今のどう……!!」 慌てて追いかけようとした足がシーツに滑り、ベッドの上に倒れ伏す。 ……間抜けだ。 「どういう意味だよ」 布団に顔を埋めたまま呻く。 こっちの気持ちを知ってて言ってるなら――俺はなんで昨夜なにもしなかったんだ勿体ない!!! ―― じゃなくて。そうじゃなくて。 知らなくて言ってるなら……いや、そうじゃなくても、言わなきゃいけないだろう、やっぱり。 これは借りになるのか貸しになるのか、また永井に引っ張られた形になるのが微妙に悔しい。 それ以上に……むず痒いような嬉しさが込み上げてきて、深い意味じゃないって可能性もあるんだから落ち付け俺、と、自分に言い聞かせる。 眼鏡をかけて、ベッドを下りて、キッチンまで大股で六歩。 「永井!」 「う?」 昨夜使っていたコップで水を飲みながら、永井が半目でこっちを見る。 う、ってなんだよ、可愛いんだよちくしょう。 「勘違いじゃないし、違わないし、俺のほうが先に好きになったんだから、あんま調子乗んなよ」 …………いやいや、なに言ってんだ俺は。 コップを流しに置いて、永井がこっちに向き直る。 その表情は、呆れと、笑いを噛み殺したものだ。 「ばーか。言ったモン勝ちだ。そっちこそ調子乗ってんじゃねえよ。ってか、真っ赤」 「うるさい。永井はなんでそう平然としてるんだ」 つい恨みがましく罵ると、永井は「鍛え方が違うからな」と得意げに言った。 ……が。 床の上、流しに寄りかかった裸足の足元は、交差した指先がもじもじと動いている。 よく見れば、さりげなく組んだ腕の指先も。 ちっとも冷静じゃない、と、永井の顔をじっと見ていると。 「なんか言えよ」 明後日の方角に目を逸らして、促された。 「そっちこそ、なんかあるだろ」 「なんかってなんだよ」 「……わからん」 チッ、と舌打ちされる。 でも、俺の顔をちらっと見ては目を逸らすその顔は、何かを要求しているようだが、その『何か』がわからない。 わからなさすぎて、脳が煮えてきた。 「……ああもう!!」 じれったそうに叫び、永井が俺のスウェットの襟首を引っ掴んだ。 「そんなにもじもじされたら、俺が恥ずかしいだろ!」 それはこっちの台詞だと言う前に、永井の顔が近付き、べちっと音を立てる勢いで(実際にはそんな音はしていないが感覚的にだ)キスされた。 粘膜同士の接触。柔らかいが、水を飲んでいたせいでちょっと冷たい弾力に、なぜだか西瓜を連想する。 突き放されて、二、三歩よろけたがどうにか踏みとどまり、どうだとばかりに睨む永井に、今度は俺の方か顔を近付けたら。 「調子に乗るなっつっただろ」 鳩尾をぐっと拳で押されて、未遂に終わる。 「まずは朝飯。作ってやるから手伝え」 「……わかった」 俺の家なのに、なぜ仕切られるのか。 そして俺はなぜ大人しく従うのか。 理由はいたって単純。 「ニヤニヤしてんじゃねえ、ばか」 ぎりっと睨みあげてくる永井の顔がすっかり赤くなっているのが可愛いからだ。 笑ってしまうのも、そのせい。 と、正直に言ったら今度は容赦なく殴られそうなので、黙っておいた。 (改稿:2012/12/12 // 初出:生存確認 12/11/05) → 戻る 【おまけ】 【※ひどいシモネタ警報】 お互いの想いを確かめあってから一ヶ月。 そろそろいいんじゃないかと思う。 「で?」 ベッドの上に胡座をかいた男が二人、向き合っている構図は客観的に見るとなかなシュールだ。 「いまなんつった、一樹」 永井の据わった目は底冷えするような迫力があって怖いが、ここで怯んだら何にもならない。 「今日は、永井にいれたい」 「……入れる場所なんか、ねーだろ」 「ある。具体的に言うと肛門だ」 「具体的に言うなよ……」 げんなりしないでくれ。俺もちょっと萎えそうだ。 「嫌か?」 「やだよ、汚えだろ」 即答だ。 「永井だって俺のくわえたり舐めたりしゃぶったりしたし、俺も永井に同じことをしただろう。その延長線にあると考えろ」 言ってるうちに興奮してきた、今日の俺は調子いい。 「ぜんっぜん、違う」 「違わない、俺はただやりたいわけじゃない、永井のいちばん深い場所に触りたい、永井の全部を知りたいって思うから言ってるんだ」 詩的表現を抜くと「やりたい」にしかならないのが悲しいが、気持ちとしてはもう少し高尚だ。……そのつもりだ。 「あのなあ……ゲイの野郎だって、そこまでする奴は少ないんだぞ」 やけに訳知り顔で言われて、肝が冷える。 まさか……過去の経験と比較して、下手そうだからやだとか思われてるのか!? 「……経験、あるのか」 「男にケツ貸したことなんかねーよ。手コキはともかく口はお前が初めてだよ」 「そうか」 本気でむっとした顔で言われて安心した…………ん?安心できない言葉が混ざってなかったか、今? 俺が違和感の正体に辿り着く前に、永井は「とにかくさ」と上目遣いで口を尖らせた……くそ、あざとい可愛い。 「俺は、したくないから……生尺してやるから、今日はそれでいいだろ」 表現のどぎつさと、恥ずかしげな表情のギャップがますますあざとい。わかってやってるなら、策士だ。 ゴムなしでくわえてもらうというのはなかなかない経験で、気持ちが思い切りぐらつく。ぐらつくが、流れでごまかされるのは嫌だ。 「待てよ、永井。そんなに、嫌なのか?」 「しつこいって」 「俺は、永井の全部が欲しいんだ。……繋がるのが嫌なら、その理由を知りたい」 それが俺にとって辛い事実でも、永井の気持ちをしっかり受け止めたい。 そんな思いが伝わることを願って見つめると、永井は視線を下に落とした。 「……んだよ」 「なに?」 「だから……一樹のちんこ、でかいんだもん。絶対、入んねぇ……」 ぼそぼそと、予想外の回答がきた。 喜ぶべきか悲しむべきか悩むうちに、永井は神妙な顔でこっちを見る。 「なあ。俺が入れるんじゃ、駄目かな」 「だ……駄目だ」 「なんで」 「永井は嫌なんだろ?」 「……うーん……いや、喘いでる一樹かわいいし、いけると思う」 真剣に言わないでほしい。だいたい、かわいいのか? こんなデカい男が喘いでたって、気持ち悪いだけだろう。 「ああ、うん、いけるな! よし一樹、やろう」 「汚いって言ってただろ、さっき……」 「一樹のなんだし、大丈夫だ」 やだ、男らしい。 じゃない、きゅんとしてる場合じゃないぞ俺! このままじゃ流されかねない。それだけは……! 「童貞なくす前に処女なくすのは嫌だ……!」 思わず呻くと、永井が目を見開いた。 「……まじで?」 「ここで嘘ついてどうするんだよ。永井は童貞じゃないんだろ? なら、俺に譲るべきだと思わないか! 思うよな!?」 「その理屈おかしくねえ?」 「おかしくない!」 もう、必死すぎて、泣きそうだった。 結局、永井が折れてくれるまで相当に無様な姿を晒したし、その後もいろいろと大変で、終わってみれば、愛しあう行為のはずが俺の右の鎖骨の下あたりと左腕にはすごい痣ができていた。 「……満足、できたかよ」 「ぜんぜん」 「はぁ?」 「永井にもっと触りたいし、もっとしたい。俺のことも、触ってほしい。欲求とはこういう……いや、愛情と結びついた衝動なんだ、これは。要するに……愛し足りない」 「もう黙れ、ばか。ばか、一生黙れ」 真っ赤な顔をして、ぽかぽか、と可愛らしい擬音がついてそうなそぶりで繰り出された拳は、やっぱりけっこう痛かったので、俺はこれが現実だという幸せを思う存分噛み締めることができたのだった。 |