あなたのために



彼女の見上げる夜空は、いつだって美しかった。

月の観客を前に、星達は彼女に踊りの挨拶を披露する。

(こんにちは、星さん達)

彼女は繭の中から星と会釈を交わす。

(ところで、今日は一体何日目かしら?)

薄暗い月明かりだけが頼りである洞窟の中、彼女以外に生を宿すものは無い。

彼女の質問に、彼女は笑って答えた。

(365249日……。ええ、そうよ。間違えるはずがないわ)

彼女は小さな繭の中、自分自身の身体を抱き締める。

こくり、こくりと心音が聞こえた。

(誰でもいいの……。あたしを此処から連れ出して!)

溢れてしまいそうになる涙を、誰が見てる訳でもないのに押し込んだ。

そんな時だった。

「誰か、そこにいるのかい?」

365250日の扉が開かれた。



ーーーーーー



『嘘!信じらんない!普通、今日の晩御飯は豪勢なものにするでしょ!!』

「君は大食らいだから、こんな高いポケモンフードなんて買ったら、明日から旅が出来なくなるよ」

『本当にケチなんだから!』

「お金はね、大切にするものだよ、ジラーチ」

あたしは、それでも納得いかなかった。

今日は、あたしとこいつ……イルマが出会って、七日目となる。

あたしとイルマの、別れの日だ。

(ケチなところ以外は、裏のない良い人なのに)

彼は、驚くくらいに欲がない。

彼曰わく、欲深い人間が嫌いだかららしい。

初めて会った日もそうだった。

普通、ジラーチを見たら、トレーナーはモンスターボールを構える。

でも、イルマは捕まえようとしなかった。

あたしを捕まえたら、あたしが〈ジラーチ〉で無くなることを知っていたようだ。

そう、あたしは千年の眠りと七日間の自由を生きるポケモンだ。

モンスターボールに入ってしまえば、その呪縛から解かれる。



七夜の願い星では無くなるから。



イルマはそれを気にして、あたしを捕まえようとはしなかった。

(そんなこと、どうでもいいのに)

あたしは溜め息を吐きながら、イルマの持つ買い物かごに、高級ポケモンフードを入れようとした。

「こら、ジラーチ!」

『冗談よ、冗談!ところで、願い事の方は決めたの?』

「それは……まだ……」

『どれだけ欲が無いのよ……』

「……それじゃあ、君は願い事あるの?」

『……無いわよ』

疑いの目を向けるイルマから、瞳を逸らす。

(本当は一つだけ、あるの)

願っちゃ駄目なこと。

自分勝手な願い。

(ーーーあたし、あなたとずっと旅をしていたい)

はっきりと名付けられる感情ではなかった。

まだ、出会ってから日が経っていないのは事実。

でも、好意を持ち始めているのも事実だった。

結局、素直になれないあたしは、イルマのためにと言って、言葉を呑むしかなかったけれど。

(それでもやっぱり、あたしはーーー)

イルマの先程の質問を誤魔化そうと、売り物のモンスターボールに触れた。

『あ!これ安売りよ!ねえ!ねえ!』

「僕は、別にポケモンをこれ以上捕まえる気は……」

「お兄さん!!」

イルマの後ろには、爽やかな笑顔を振り撒く店員さんが立っていた。



ーーー



『良かったわね!プレミアボールもおまけで付いて来て』

「……明日からは毎食もやしだよ」

『あ!流れ星!』

イルマの話を遮って、星を指差す。

優しいイルマは特に咎めようとはしなかった。

(流れ星さん、どうかあたしの願い事を叶えて下さい)



ーーー



イルマが用意した夕食を食べ終わる。

イルマはきちんと高い方のポケモンフードを買っておいてくれたみたいだ。

そして、いつものイルマなら眠りに就いているこの時間に、あたしの話相手になってくれている。

(あたしの最後の日ってこと、ちゃんと気にしてくれてるのかな)

あたしは嬉しくて、いつも以上に饒舌になってしまった。

そんなあたしの話もイルマは相槌を打ちながら、聞いてくれていた。

ーーー後、10分で日にちが変わる。

イルマとの関係が、変わってしまう。

あたしは珍しく言葉を濁しながら、イルマを見上げた。

『あの、あのね……。イルマ、あたし……!』

「危ない!ジラーチ!」

イルマがあたしの腕を取って引き寄せた。

後ろで、地が抉られる音。

誰かからの襲撃なのは、すぐに分かった。

それでも顔を上げられない。

あたしはイルマの腕の中で、俯いたままだった。

「……ジラーチ?」

『か、顔を覗くな!バカ!』

自分の心臓が鬱陶しい。

きっと顔は信じられないくらい真っ赤だ。

敵前ではあるが、泣きそうだった。

「もしかして、どっか痛い?」

『そんなこと無い!行って来ます!さようなら!』

イルマから慌てて離れ、言う必要もないのに、別れを告げる。

漸く確認した敵は、シザリガーだった。

戦いを好むこのポケモンと、鉢合わせてしまったのは、あたし達の運が無かったということだろう。

半分感謝の気持ちもあるけれど、あたしも手加減をするつもりはない。

あたしはイルマの指示を待つために、彼の言葉に耳を傾けた。

そうして聞こえたのは、彼らしくない言葉だった。

「もう時間がないんだ……。邪魔をしないでくれ……」

(……イルマ?)

「ジラーチ!“サイコキネシス”!!」

『……う、うんっ』



ーーー



「はあ……。漸く去ったか。ご苦労様、ジラーチ」

僕はシザリガーが見えなくなるまで、去りゆく後ろ姿を眺めていた。

そうしていたものだから、ジラーチが仰向けで転がっていることに気付くのが遅れてしまった。

返事のないジラーチを目で確認すると、慌てて彼女の元へ駆け付けた。

「ジラーチ!?ジラーチ!!なあ!」

『……うるさいわね。聞こえてるわよ。

あたし、もう眠くなっちゃった』

いつも通りのジラーチの声。

怪我も無い様子に安堵の息を吐いた。

ーーーでも、もうジラーチと一緒にいられる時間はほとんど無い。

『……イルマ。願い事、決まった?』

「僕の願い事……」

僕は目を伏せ、静かに言葉を並べた。

「本当は一つだけ、あるんだ」

願っては駄目なこと。

自分勝手な願い。

それでも後悔したくないから、君に告げる。



「君と……君と一緒に旅がしたいんだ」



それでも、君の自由を守るために……君のために捨てたかった独占欲。



『本当にバカよ!あたしも……あんたも!』

泣きじゃくるジラーチを前に、僕も泣いてしまいそうだった。

ジラーチの涙を視界に入れないように、ふと腕時計を見やった。



只今、12時から3分過ぎ。



「……ジラーチ。もしかして、君は僕の願い事を叶えた?」

『ううん。残念だけど2分オーバーよ』

「……じゃあ、どうして……」

ジラーチは申し訳なさそうに、目元の涙を拭った。

その手の中には、一つのモンスターボールが。

僕は、ある答えに辿り着く。

「ジラーチ!もしかして、あの店で契約を……!」

『えへへ、ごめんなさーい』

ジラーチが店で触ったモンスターボール。

きっとジラーチは僕の見てないところでモンスターボールの中に入ったのだろう。

そして、ジラーチが契約したモンスターボールをジラーチの思惑通りに、買ってしまったのだろう。

呆気にとられて、怒るに怒れない。

実際、安心したという気持ちもあった。

「はあ……。じゃあ、なんで泣いてたの?」

『お、女の子には色々あるの!』

「そうですか。……ま、いいや。僕も疲れたし、もうこの話は明日にする」

寝袋を鞄から取り出し、眠る準備をする。

すぐに眠れそうなほど、瞼が重い。

夢の中へ踏み込もうとしていると、ジラーチの声が耳に届いた。

『ねえ、イルマ』

「んー?」

『あたし達、最後ぎりぎりまで素直になれなかったね。

先に我が儘になったのは、あたしの方だった……』

「そうかもな」

『……おやすみ、イルマ』

「おやすみ、ジラーチ」





夢の世界へと誘い込まれながら、
彼等は考えた。

素直になれなかった理由。

それはたった一つだった。



((そう。……あなたのために))



そして、今度は自分達のための旅が始まろうとしている。



End.



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