旅立ちの日


 昔、息子が旅立った日はどこまでも突き抜けるような青空で、前日までどしゃ降りだった空を物憂げに見つめていた彼の笑顔もまた晴れ晴れとしていた。
彼の初めての相棒はどのポケモンか、今でもまだよくわかっていない。
それは私がポケモンに詳しくないからだけではなく、あのポケモンの存在を町の誰一人知らなかったからだ。
その事でとやかく言う者もいたが、彼はその度に「離れる気はないよ」と穏やかな声で呟いた。
ポケモンもまた、どんな時も息子の傍らを離れずにいたので、その無粋な学者連中はとうとう去っていった。
それと同時にあのポケモンの正体を知る手段も無くなってしまったのだ。


 旅先から手紙が来ることがあった。
特に大したことがあるわけでもなかったが、どこの町に行き、どのジムを倒し、相棒が進化しないという内容が多かった。
遠い地でも、あのポケモンの正体を知っている人や、同じ種族をみかけることはなかったという。
それでも旅を続ける彼に一度だけ返事を出したことがある。
もしもあのポケモンの仲間を見つけたら、おまえはどうするのかと。
その返事はとうとう来なかったが、彼の手紙は5年続き、庭の樹の葉が落ち始めた頃に届いた「あいつの仲間を見つけた」という葉書を最後に、息子の消息は途絶えている。
あれの仲間をどこで見つけたのか、その正体はなんだったのか、今でもよくわからない。


 今私は一人残された家で暮らしている。
幼い頃の息子のために作った木のブランコも、ポッポやムックル達の止まり木になった。
妻がこだわって使っていたキッチンには、腹を空かせたガーディが腹這いで私が夕飯の仕度にかかるのを待っている。
毎朝決まった時間に庭に寄っていくチルタリスの群れがいれば、カイリューが一度だけ、屋根の上のスレスレを飛んで、山の向こうへ去っていったこともあった。
実に多くの、数えきれないほどのポケモンたちがやってきたが、あの息子の相棒そっくりのポケモンが来ることはなかった。



 今年の春、奇妙なことがあった。
その日は息子が旅立った日のような鮮やかな青い空で、朝刊ではカントーのあの巨大組織が崩壊したという話題で埋め尽くされており、感度の悪いラジオからは週末まで晴れると呟いていた。
いつかカイリューが消えた山から、なにかが飛んできたのだ。
チルタリス達かと思ったのだが、その影は群れには小さく、一匹分には大きかった。
それはカイリューとは全く逆の方角を飛んでいったので、私はその影と目があった。
人ではなかった。
しかしポケモンと呼ぶには少し奇妙な気配がした。
そのアンバランスな感覚が、なぜか息子のあのポケモンと似ている気がした。
影は一瞬だけ私と目を合わせた後、何でもなかった風に前を向き直し、向こうの山へと消えていった。
その影もまた、再び見かけることは無い。

 その後、地図を見てわかったことだが、あの影が来た方角には例の崩壊した組織の研究所があって、その日の朝方に正体不明の爆発で瓦解したらしい。
次の日の新聞の一面に載ったのは瓦礫の山と化した研究所のあった小島だ。
不明瞭ながら、巨大であったろう面影を残した写真を見ながら、私はあっと声をあげた。
瓦礫の山の中、半壊した額縁の中に入っていた石板。
いかにも古いそれは、研究所で研究していたポケモンの資料だという。
新聞によると、その研究所は生体実験を主としていたらしい。
石板に刻まれた文字を読むことはできなかったが、その絵は息子の相棒とよく似ていた。
そこでようやく、学者連中があのポケモンを追いかけていた理由がわかった。


 それからの私の行動は早かった。
家中の窓と雨戸と鍵をしめ、荷物をまとめた。
昔使っていた地図と、ガーディのボール、そして家族の写真を詰めて、背負った古いリックサックは案外重かった。
妻が好きだったバラのアーチをくぐり、飛び出す。
息子とあのポケモンがどこにいるかなんてわからないけれど、会いにいかなければならないと思った。
燦然と輝く朝日に目を細めてまず向かう先はあの研究所。
50歳にして今再びの旅路の始まりだった。



End.




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