※デフォ子とリツ
「――っ」
詰まった言葉に少し遅れて、部屋に静寂が訪れた。
『リツ、大丈夫? どうかした?』
心配そうに話しかけるマスターに、「何でも無いよ」とぶっきらぼうに返す。……嘘だ、本当は集中出来てなかった。
「リツ」
と、自分の隣りに佇む少女が口を開いた。首を回すと、紫色の瞳がこちらを見ている。表情に乏しいそれは、しかし出会って間もないリツにもわかる程はっきりと、マスターと同じ感情を浮かべていた。
「無理、よくない」
……気遣われている。リツは俯き、手の中の楽譜をきゅっと握り締めた。苛立っているのでは無い、自分で自分が情けないから。そんなリツの様子に眉を顰め、彼女はモニターに向き直った。
「マスター、休憩。リツ、休む、必要」
彼女の提案に、マスターは『そうね』と相槌を打つ。
『リツのことお願いね、デフォ子』
「リツ、水」
言ってデフォ子が差し出したコップには、よく冷えた水がなみなみと入っていた。が、
「……要らない」
手を出すこともせず、リツはそれを断る。デフォ子は微かな溜め息をつき、コップをテーブルに置いた。気持ちは嬉しい、でも違う。歌えなかったのは、喉が渇いていた所為じゃない。
「リツ、どうした? デフォ子、理由、知る、したい」
言って、デフォ子は手をリツのそれに添えた。楽譜がしわくちゃになるよ、とでも言うように。
「マスター、休憩。今、居ない。デフォ子、秘密、守る」
「……本当?」
本当に、誰にも言わない? 顔を上げ問うと、デフォ子はこくりと頷き、
「約束」
真摯な眼差しをリツに向けた。
「……一つ、訊いてもいい?」
「何?」
口から出た問いかけに、デフォ子がその先を促す。何故だか込み上げてきた申し訳なさに再び視線を落とし、しかし言葉を続ける。
「何で……歌わないの?」
我ながら不可思議な質問。デフォ子は小首を傾げ、
「デフォ子、歌わない、違う。デフォ子、歌う、してる」
「そうじゃなくて、」
違う違う、何言ってるんだ自分。上手く伝えられなかった疑問を撤回し、必死に言葉を組み立てる。
「何で、コーラスばかりなの? 何で……デフォ子は歌えるのに」
きつく握り締めた手に力を込めると、楽譜にしわが寄る。それは自分たちに必要不可欠な物なのに、一緒に歌っていたデフォ子は持っていない。いや、持つ必要が無いのだ。UTAUの始まり、デフォルト音源である彼女は、与えられた旋律を一度でインプットし、歌い上げてしまうから。
だからこそ、リツは不思議で仕方なかった。そこまで出来る彼女が何故、メロディーラインを歌わない?
「デフォ子、歌う、好き」
「なら何で……!」
「デフォ子、みんなと歌う、もっと好き」
追及を遮り、デフォ子は胸に手をあてる。
「だから、デフォ子、コーラス、好き」
そう言って彼女は、穏やかに微笑んで。リツの胸に引っかかっていた何かが、すとん、と落ちた。
「リツ? デフォ子、おかしい、言った?」
「え?」
「リツ、笑う、してる」
「あ、いや……な、なんでもないよ」
「本当?」
「う、うん! そろそろ休憩終わりにしよう!」
「……リツ」
「な、何?」
「デフォ子、お母さん、みんな、の。リツ、何かある、したら、教えて」
「はぁ……ってちょ、頭、なでなでしないで!?」
「リツ、かわいい、いい子。よしよし」
「ちょっと、……マスター! 早く――!!!!」
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