鏡よ鏡よカガミさん 「鏡よ鏡よカガミさん。この世で一番イケメンなのはだぁ〜れ」 ………今日もやるんかい。 二次元から飛び出したかのような造形美を誇る男を前に、けれどその口から飛び出てくる残念な台詞に、私は大きなため息を吐きたくなった。 「おーい、カガミさん?聞いてんの。この世で一番のイケメンは誰か、答えろよ」 「はいはい。この世で一番なのは貴方様ですよ〜。地球上のどこを探しても、貴方様ほどイケメンな殿方は他におりません」 「名前は」 「居辺忍くんでーす」 「そうか!そうだろ!俺もそう思う!大好きだぜ、カガミ!!」 「……」 ぶちゅー、と。 色気も何もないキスをして、満足のいく答えが得られた彼は上機嫌にスキップする。 私は彼の唇が触れた自分のそこをゴシゴシと袖で擦った。 「この俺様ナルシストめ……」 やつ、居辺忍は、一応私の彼氏であり、加えて喋ると残念なナルシストイケメンでもある。 私の苗字である加賀美になぞらえ、いつからか「鏡よ鏡よカガミさん、世界で一番――」ととある童話の科白を引用して、毎日私に問いかけてくるようになり、しかも、その答えが自分一択でないと満足しないのだ。 別の人名を挙げようものなら、忍の名前を口にするまで延々と同じ質問が繰り返される。 ああ、なんで私、こんな男の彼女をやってるんだろう……。 脳裏に過るのは六年前のあの日――。 当時、忍は隣の家に住む憧れのお兄ちゃんだった。 スラリとした長い手足、モデルのように小さな顔。 まだ中学生だった忍だが、紅顔の美少年として近所で知らない人はいないとされていた。 そんな人物が隣の家にいて、しかも小学低学年だった私とも時々遊んでくれて、憧れの対象にならないわけがない。 近所のマダムたちと同じく、あの頃の私は忍の見た目に騙されて、やつの信者になりかけていた。 ついでに言えば、幼いながらも恋心まで芽生えそうになっていた。 しかし私がギリギリやつの虜にならなかったのは、あの日のおかげとも言える。 何の変哲もないいつもの日。 遊んでもらうために忍の家へ勝手に上がりこんだ私は、目撃してしまう。 鏡に映る自分に見惚れている、やつの姿を――。 「なんて美しいのか……流石は俺だ。宇宙一のイケメン。特にこの顎のシャープなラインなんて、人間とは思えないほど整っている。俺は本当に人間なのか?もしかしたら神の落胤なのかもしれない。あまりにも美しすぎて、きっと嫉妬した誰かが俺を人間界へ落としたんだ。美しさって罪だな……」 と。 その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。 憧れのお兄ちゃんの本当の姿を知って、夢から覚めたように、私の熱量が一気に数値を下げたのだ。 こちらに気づいて顔を真っ青にする彼に、私は慌てるわけでもなく、至極冷静に言葉を放った。 「……きもい。ナルシスト」 私は現実を知った。 そして大人になった。 だけど何故か翌日から、忍は私の前でだけナルシスト振りを遺憾なく発揮するようになる。 そんなこんなで、いつの間にか忍の彼女ポジションへとシフトチェンジしていた私。 原因は未だ分からない。 ただ本性を曝け出せる相手が今のところ私だけだということで、忍は私といる時が一番楽しそうだ。 ずっと自分についての賛美を口にしていられるから。 思えば忍があまりにもよく私に引っついているせいで、そういう関係なのだと周囲に誤解されたことが大きな要因の一つだったかもしれない。 私を彼女にすれば、時間と場所に関係なく私を傍に置けて、四六時中自分がいかにイケメンかを語れるとでも思っているのだ。 く……都合の良いように扱われている自覚はある。 それでも忍から離れようと思わないのは、幼心に刷り込まれた憧れのお兄ちゃんの幻影が邪魔をするからだ。 あの頃は本当にイケメンだった。 私の理想を具現化したような存在だった。 本性さえ知らなければ……。 「無知って幸せだよね……」 「何言ってんだ?お前」 忍の本性を知る前に戻れないだろうかとメランコリックになる私に、当の本人は奇怪なものでも見るかのような視線をくれる。 デートと称した今日の集まりは、忍の俺様自慢のための招集に他ならない。 「なぁカガミ」 「……何ですかー」 「今日は水族館に行こう」 パチパチと。 思わず瞬きを繰り返してしまったのは、条件反射からだった。 水族館って言った? あの忍が! 自分にしか興味のない忍は、デートをするぞと言って無理やり私を呼び出しても、内容は近所の公園のベンチでひたすら自分の美しさについて駄弁るだけという、もはやデートとも呼べないものだった。 人のいるところではあまり自分自慢ができないため、忍はデートは決まって二人きりになりたがる。 それなのに、一般的なデートコースである水族館に行きたがるなんて、熱でも出したのだろうか。 私は忍の額に手を添え、自分の体温と比べてみる。 「……」 「なんだ」 「至って平熱……」 どうやら、風邪を引いて、物事の判断が上手くできなくなってるわけではないらしい。 「俺の額があまりにも魅力的で触れたくなるのは分かるが、今はそれどころじゃない。馬鹿なことをやってないで、さっさと行くぞ!」 うん。 いつものキング・オブ・ナルシストだ。 ◇◆◇ 水族館にやって来た私たちは、手を繋いで入館した。 チケット売りのお姉さんがほぅっと忍に見惚れているのを見て、そういえば隣の男が絶世の美男子であったことを思い出す。 あまりのナルシスト振りについ忘れてしまいがちだけど、忍はナルシスト発言が過言ではないほどに天恵に富んだ麗しい容姿をしているのだ。 本来ならば、平々凡々な私なんかが気軽に関わりを持てる相手ではない。 「見て!あそこの人、超かっこいい……!」 「隣は彼女?羨ましすぎる」 暗がりの館内でも忍のイケメンっぷりは目立つようで、先ほどから女の子たちの注目度が半端ない。 あれ……。 なんかこれ、普通にデートしてるみたい。 チラリと忍を横目で確認すると、まるで示し合わせたかのように目が合って、私は柄にもなく赤面した。 ち、違うぞ! 断じて忍にときめいたわけではなく、いつもと異なる雰囲気に恥ずかしさを感じただけで、忍が格好いいとか一ミクロンも思ってないからね! 私は自分を落ち着かせるために、深呼吸をした。 だけど。 「カガミ、カガミ」 「な、なに」 「あの魚、俺の方を見たまま動かないぞ!参った、俺は陸の生き物に留まらず海の生物すら虜にしてしまうらしい。俺が水槽の前にいると、俺のところにしか魚は寄ってこなくなるから、他の客が退屈してしまう可能性がある」 「………」 どこにいようと、やっぱり忍は忍だった。 「そうですねー。あの小さいサメとか、めっちゃ忍のこと見てるもんねー。美味しそうだとでも思われてるんじゃない?」 「何だと!?」 私のドキドキを返せと意地悪なことを言ってみれば、忍は私が示した小ザメの水槽の前までやって来て、ジッと小ザメを見つめた。 「食べてしまいたいほどに愛されてるのか、俺は……」 最近とみに思うのだけど、忍はポジティブを通り越してただのバカなんじゃないかな。 小ザメと見つめ合う忍に呆れ、私は一人違うコーナーへと移動した。 このままいくと、おそらく水槽のアクリル板に映った自分の姿に見惚れて、10分はそこを動かなくなりそう。 別のコーナーを見終え、そろそろ10分が経つかなという頃合いに戻ってくると、やはり忍はまだ水槽の前でうっとりしていた。 仕方がない。 せっかく水族館に来たのだから、水槽に映る自分の顔ではなく魚を見てもらわないと……と私は絶賛自分観賞中の忍に声をかけようとする。 ―――が、その前に、近くにいた二十代前半くらいのお姉さんたちに、忍はあっという間に取り囲まれてしまった。 「お兄さん、イケメンですね〜!」 「お一人で水族館に?どうですか、私たちと一緒に回りませんかぁ?」 「名前を伺っても?」 しかも、なかなかの粒ぞろい。 完全に声をかけるタイミングを見失ってしまった私は、近くの椅子に腰をかけ、成り行きをそっと見守ることにした。 両手に花どころか、腕いっぱいに花束状態の忍だけど、自分大好きなやつがお姉さんたちの誘いに乗るのか否か見物だからだ。 どうするんだろ……。 「他を当たってくれ。俺は今、忙しい」 意外にも、忍はお姉さんたちを一瞥することもなく、きっぱりと断った。 その声色が冷たさを帯びていたのは、大切な自分観賞タイムを邪魔されたせいだろうか。 「や〜ん、冷たい」 しかしお姉さんたちは手強かった。 「忙しいって、小さなサメを眺めてるだけでしょ?」 「そんなことより、私たちと一緒に色んなところを回りましょうよぉ。退屈させない自信がありますよ?」 一人のナイスバディなお姉さんが忍の腕に絡みつき、その豊満な胸をこれみよがしに押しつける。 私には到底真似できない仕草だ。 主に物理的に。 「……サメを見ているわけじゃない」 忍がぽつりと呟く。 まさか、カミングアウトするつもり? サメではなく、ガラスに映る自分を見ていたのだと。 「俺は今!」 突然忍が大きな声を上げたので、お姉さんたちだけでなく近くにいた人たちまでびっくりして忍を見る。 あんなに注目集めて……! 止めに入るべきか悩んでいる間に、忍は矢継ぎ早に続きの言葉を紡いだ。 「彼女に愛想を尽かされないために!少しでも好きになってもらえるように、どうするべきかを考えているんだッ!!」 え、と。 思わず呟いてしまったのは、私だけではないはずだ。 「付き合うきっかけも曖昧だったし、彼女は俺になんてまるで興味ないみたいで、だからいつも俺という人間をたくさんアピールしているのに、度が過ぎて逆に引かれてしまうし……!今日だって、彼女と親密な仲になれるように水族館にまで来たんだぞ!なのに俺ときたら、どうやって彼女の気を引こうかサメに相談している間に、彼女を見失って!今日こそは俺のことを好きなのか聞こうと思っていたのに!クソッ、自分がこんなにヘタレだとは思わなかった!」 ほとんどノンブレスで言い切ったためか、忍はハァハァと肩で息をする。 そんな忍の様子に踏み込んではいけないものを感じたらしいお姉さんたちは、引き攣った笑みで後退りする。 「そ、そう……」 「頑張って……ね」 あっという間に彼女たちは消えてしまった。 ……えーっと。 忍の彼女、って私のことか。 忍がそんな風に思ってるなんて、知らなかった。 「忍」 ギャラリーが自然と傍を離れる忍のもとに、私は駆け寄る。 「え?か、カガミ!今の、き、聞いて……!」 「……うん。あの、一旦外出よっか。周囲の目がきつい」 「お、俺は、いや、えっと」 顔を真っ赤にして吃る忍が、いつになく可愛く見えた私も大概だ。 ただの俺様なナルシストだと思ってたけど。 本人曰く、ヘタレなナルシストだった。 「………あの、カガミ」 「なに」 「一つ、聞いてもいいか?」 「うん」 「鏡よ鏡よカガミさん。…………俺のこと、好きですか」 当たり前だ、バカ野郎。 (でなきゃ彼女なんてやってないよね、って話) END |