産みの母親は物心つく以前に亡くなった。
噂ではわたくしが生まれるのと引き換えに命を落としたらしいが、真偽は定かではない。
お父様が緘口令を敷いているのだ。
だから、いくらわたくしが家の使用人に尋ねても、首を横に振られるばかり。
四六時中行動を共にする二人の下僕も同じだった。
わたくしはわたくしとしての自我が目覚めてからずっと、世界に存在する家族はお父様一人だけだった。
幼い頃から各地を転々とし、時には海外へも旅立ってしまうお父様。
わたくしが欲しがるものは何でも買い与え、愛情は惜しみなく注いでくれたけど、家族としての時間だけは貰えなかった。
ハニー、ダーリン。
そうやってふざけて呼び合うのも、わたくしのちょっとした反抗心から。
一日以上独占できない人を、「お父様」とは呼びたくなくて。
とっさに思いついた「ダーリン」という言葉を使い、その後すぐに父親に向ける台詞ではなかったと羞恥に悶えたが、逆にお父様の方が乗り気に「ハニー」呼びをするようになってしまった。
わたくしも後には引けなくて、現在に至る。
なんだかんだ、「ダーリン」と呼ぶのは気に入ってたりする。
――お父様が外道院グールプの総帥なんかではなく、もっと平凡な人だったら……。
何度も脳裏を過る“もしも”。
ありはしない妄想だとは分かっていながらも、そんなもしもの世界が思い浮かんでやまない。
わたくしはくだらない妄想を終わらせるために、目を閉じた。
どうせ、後に残るのは虚無感だけだ。
布団の中で丸まり、気を紛らわせるために羊を数えようとした。
でもその時、部屋の扉の開く音がして、足音も立てずに何者かが侵入してきた。
今は草木も眠る真夜中……。
こんな時間に一体誰が私に何の用だと、眠った振りをしながら考える。
途端に、ベッドがギシリと軋んだ。
「……許可もなしに主の部屋に入ってくるなんて、いささか不躾なんじゃないかしら?」
感じる気配の正体が分かり、わたくしは狸寝入りをやめた。
暗い景色に馴染んだ目は、ぼんやりとだが二人の従者を映している。
横になっているわたくしの両隣に腰を下ろし、こちらを見下ろす下僕たちを。
「申し訳ありません、お嬢様」
「今宵は月が明るうございますから、お嬢様もなかなか寝付けないものかと」
きっと、いつもと変わらない無表情をしているだろう二人。
心にもないことを、と内心で悪態をつき、しかし口から出た言葉は裏腹だった。
「いいわ。わたくしの傍にいて。……わたくしがいいと言うまで、ずっとよ」
寂しくて、寂しくて。
誰でもいいから、人肌を求めていたんだと思う。
そして、次に目覚めた時、わたくしの両隣には横になった下僕が変わらずいた。
……どうりでベッドが窮屈に感じたわけだ……。
東條隆也と西宮祥平は、今から三年ほど前に屋敷にやって来た、齢20になるかならないかの青年だ。
一ヶ月振りに帰ってきたお父様が「土産だよ」と言って、わたくしにプレゼントしてくれた。
初めはわたしくしを監視するかの如くどこにでも付きまとう彼らに辟易していたものの、しばらくすれば、いても気にならないほど空気の薄い存在になっていた。
わたくしが何か話しかけても義務的な答えしか返ってこないし、笑いかけても笑顔の一つくれやしない。
終始、仏頂面が崩れない。
まるで人形のよう。
使用人としては優秀でも、もう少し、人間味のある人材を選んでくれても良かったんじゃない?お父様。
「リュウ、ショウ、起きなさい。主より起床が遅いなんて、下僕にあるまじきことだわ!」
この際、わたくしと同衾したことについては咎めないであげよう。
寂しさを紛らわせるためとはいえ、傍を離れないでと言ったのはわたくし自身。
まさか、ベッドにまで侵入してくるなんて思わなかったが、非はこちらにある。
そこは目を瞑るとして……。
わたくしを差し置いて未だ夢の中とは、一体どういう了見か。
「大丈夫。起きてますよ、お嬢様」
「お嬢様があまりにも心地良さそうに眠っていたので、邪魔してはいけないと思い、寝ている振りをしていたのです」
閉じていた瞳を開き、色素の薄い双眸にわたくしの顔が映る。
どうしてこう、この二人は怖いくらいに息がピッタリなのかしら……。
「心地良くなんてなかったわ。全然、まったく!」
感情のままに怒鳴り散らし、わたくしはベッドから起き上がる。
「何してるの?早く準備をしなさい!五分ですべてを終えられなかったら、あなたたちクビにするからね!」
しかし、五分後。
到底叶えられるものではない無理難題を押し付けたはずなのに、あっけらかんとそれらを実行した二人に、わたくしは開いた口が塞がらなかった。
「や、やっぱりいいわ!今日はもう、学校休む!」
――そんなことを言ったのも、ひとえに彼らの有能さが悔しかったからに他ならない。
ムカつくわ。
下僕のくせに!