◇夏目雅也




「なぁ真城。……夏目先輩って、どういう人なん」

郁ちゃんのもとに連れてってくれると言う真城の背中を追いながら、私は問いかけた。

「体調はもういいのか?」
「うん」

振り返ってこちらを心配してくれる真城にくすぐったさを感じつつも、それをじっくり堪能している余裕は今の自分にない。
体調の良し悪しなんて、先程の先輩の行為によってどこかに飛んでいってしまった。
未だに混乱している脳と妙にふわふわした胸を正すように、冷静になれと自分に言って聞かせる。

「……あの人はいい人だよ」

呟いた真城の言葉には感情が篭っていないように見受けられた。

「そっか」
「ああ。でも、お前はなるべくなら先輩に近づかない方がいいかもな。……先輩は少し、変わってるし」
「……」

変わってる?
確かに、人が寝ている間に「人肌が恋しそうだったから」という理由で膝枕をしてしまうような人だ。
常識的な人かと思っていたけれど、案外そうではないのかもしれない。

「真城は、夏目先輩とどういう関係なん?」
「……」

最も気になることを尋ねれば、真城はだんまりを決め込んだ。
まるで聞くなとでも言うように、こちらを一切振り向かなくなった背中。
なんや、……余計気になってまう。

「やっぱり」

真城が言った。

「え?」
「やっぱり、先輩と何かあったか」
「……!」

思わずキスされた頬に手を添えてしまったが、幸いにも真城は見ておらず、ホッと胸を撫で下ろす。
つい素直に反応してしまう自分が憎い。
暴れる心臓を欺瞞し、私は平然を装った。

「な、何かって〜?真城、考えすぎやないの」
「……」
「なぁ」

そう、考えすぎや。
あのキスに深い意味なんてない。
真城が言うように“変わった”先輩だから、ああいうことも簡単にやってしまうだけで。
他に、意味を、求めてはいけない。

「……着いたぞ」

真城はそれ以上言及したりせず、向かい側にいる人間の姿がきちんと確認できる位置まで来ると、くいっと顎でそちらを示した。
その先には郁ちゃんがいた。

「由岐!」

郁ちゃんが駆け寄ってくるのと同時に、真城は踵を返す。

「もうあいつの手を離すなよ」

去り際に言った言葉はどういう意味なのか。
確かめる間もなく、私は郁ちゃんに抱きしめられた。

「わ」
「由岐!この、ドアホ!勝手にいなくなったりするなや!」
「い、郁ちゃん」
「俺がどれだけ心配したか――」

顔見せぇや、と私の頬を包み込むように両手を添える郁ちゃん。
過保護な私の幼馴染み。

その体温が触れ合った箇所から伝わって、先程まで確かに硬直していた私の心が解けてゆくのが分かった。
胸がじんわりする。

「郁ちゃん……」
「由岐?」

そんな私の様子に気づいたのか、郁ちゃんが心配そうにこちらを覗き込んでくる。

―――郁ちゃん、今日な、夏目先輩に会ってん。

対して親しくもない後輩に膝枕したり、頬にキスしたりとおかしな人やったけど、一番私の胸をざわつかせたのは……。

先輩の雰囲気が、
どこか“あの人”に似てたことだ。

「由岐?ほんまに大丈夫か?」

それを郁ちゃんに伝えるべきか迷った。
話したい。
話して、気が楽になりたい。
でも、郁ちゃんにこれ以上気を遣わせるのも嫌だ。
夏目先輩が“あの人”に似てるからと言って何かあるわけではないし、散々考えあぐねた結果、私は伝えない選択をした。
郁ちゃんは、訝しげに尋ねてくる。

「……由岐、真城とか言う男と何かあったん?」
「えっ?」

驚いて顔を上げると、そこには表情の見えない郁ちゃんの顔があった。

「何かって、別に何もあらへんよ」

そう。
真城とは、何もなかった。

「それならええけど……あいつから迷子になった由岐を保護してるなんて連絡があった時は、心底ビビったで。こんなところで偶然会うのもやけど、あいつは俺の携帯の番号を知らんはずやし、由岐が教えたようでもないし……」
「携帯に電話が掛かってきたん?」
「せや。怖いやろ」

確かに……。
私は一度だって教えたことはないし、真城と郁ちゃんに共通する間柄の人なんて、私以外には見当もつかない。
誰に聞いたんだろう?
真城には、秘密事が多いような気がする。

「まぁとにかく、や」

郁ちゃんが私の手をとった。

「家に帰ろうか、由岐」

その手をぎゅっと握って。

……やっぱり、郁ちゃんの傍が一番安心できる。
それを私は一度でも“怖い”と感じてしまうなんて、頭がどうかしているとしか思えない。

郁ちゃんは郁ちゃんや。
他の誰でもない、私の幼馴染み――。

その、はずだ。



「あ……」

週明け、南校舎の一階で夏目先輩に会った。
まさかの偶然の再会に彼の方も驚いたように目をしばたかせていたけど、すぐに優しい笑顔に切り替えられた。
以前の私なら癒されていたかもしれない慈愛に満ちた笑みも、今はやたらと底知れないものに見えてくる。

「また会ったね、美園さん。その後の体調はどうかな」

私はキスのことを思い出して顔を赤くした。
なんでこの人はこんなにも平然としてるんだ……?
夏目先輩にとって頬へのキスは、ただの挨拶だとでも言いたいのだろうか。

「大丈夫、です。ご心配おかけしました。あの、私はこれで……」

失礼します。
――そう言おうとして、夏目先輩に止められる。
彼は私の腕を掴んでいた。

「ちょ、先輩?」
「美園さん。ひょっとして、僕のことを避けようとしている?」
「そういう訳では……」
「勝手に膝枕しちゃったからかな。それとも、キスのせい?」
「!」
「あの後、真城に問い詰められたんだよね、きみに何をしたのか。それで思いつく限りのことを話してみたら、苦言をもらっちゃったんだ。普通は赤の他人にそんなことをされても喜ばないって」

“普通は”?
その言い回しに妙な違和感を覚える。

「別に、先輩を避けようと思ってるわけやないです。……ただ、」
「ただ?」
「先輩が、昔お世話になった人の恋人に似ていて、少し動揺してるだけです」

そう。
それだけ。
キスだってもちろん困惑してるけど、それ以上にキスされた相手が豊子さんの恋人に似ているから、心が掻き乱されてしまうだけなのだ。
忘れかけていた豊子さんの顔が、やにわに見えてくるから。
ああ、もう、勘弁してほしい。
―――郁ちゃん、助けて。

「そうなんだ」

きょとんとした表情の夏目先輩。

「そうです。それだけです」
「じゃあ、僕はきみの恋人候補になれるかな」
「――――はいっ?」

一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。
聞き間違いでなければ今、夏目先輩は恋人候補と言っただろうか。
誰が。誰の。
あまりに突拍子がなさすぎて、夏目先輩の脳が正常に作動していないのではと疑ってしまった。

「夏目先輩、頭大丈夫ですか」
「ふふ。辛辣なことを言うね、まるで真城みたいだ」
「……そういえば、真城と先輩はどういったご関係なんですか?」

少々強引かもしれないが私は話題を変えることにした。
これ以上この人のペースに巻き込まれたくない。

「真城に興味があるの?それとも僕?」
「……どちらも、です」
「無難な答えだね」

正解じゃないけど不正解でもないよ、と言って笑う夏目先輩の目は何を考えているのか本当に分からない。
何だろうこの人は。
先輩を見ていると時々、背筋がゾッとするような感覚に囚われる。

「でもきっと、真城は僕との関係性を誰かに知られるのを良しとはしないだろうね。だから僕から話せることは何もないよ」
「……」
「ただしこれだけは教えてあげる。真城は僕に逆らえない」

それは、何を示すのだろう。
私は夏目先輩の次の言葉を待ったが、それ以上話す気はないらしく「またね」と別れを告げられた。

「美園さん!」

引き止める理由がないためそのまま先輩の後ろ姿をぼんやり眺めていれば、直後に誰かに名前を呼ばれる。
私に駆け寄ってきたのは意外な人物であった。
同じクラスの、戸部さんだ。

「戸部さん?」

彼女に教室以外で話しかけられるのは珍しい。

「美園さん。さっきの、夏目先輩だよね?何を話してたの」
「え……何って、特には」
「本当に?」
「……」

きつく咎めるような視線。
何故そんな目で見られるのか、私は首を傾げる。
彼女も夏目先輩のファンなのだろうか。

「夏目先輩には近づかないで」

それはまるで、牽制のよう。
郁ちゃんのせいでクラスで浮いてる私だけど、戸部さんとはそれなりに良い関係を築けていると思っていたのに、そんなものは勘違いだとでも言うように。
戸部さんは私を睨み、去っていった。
………どうして。
夏目先輩とほんの少し話しただけで、こんなことになってしまうのだろう。

「―――嫌いや……夏目先輩なんて」

もうちょっとで“友達”ができたかもしれないのに、やっぱり世の中は世知辛い。



体育祭ノ委員ニナレ

そんな手紙が届いたのは、翌日のこと。
私は思わず「はぁ?」と声を上げてしまう。

「どうしたん、由岐」

目敏く郁ちゃんが尋ねてくるので、慌てて手紙をポケットに隠しなんとか誤魔化す。

「な、なんでもあらへん!気ぃ抜いとったら、なんや変な声が出てもうただけ!」
「そうか?納得できへん、みたいな声やったけど?」
「郁ちゃんてば深読みしすぎや!」

ここのところ下駄箱に手紙が入っていなかったから、完全に油断してた。
しかも、内容がおかしい。
今までは真城関連のことしか書かれていなかったのに、いきなり体育祭の委員になれだなんて。
真城のときもそうだったけど、相変わらず手紙を寄越した人物の意図が読めない。

私が体育祭の委員になって、この人は何を得すると言うん?

「変な由岐やな」
「……」

なんだろう……。
ものすごく嫌な予感がする。

何かが動き出した、そんな予感。




数日後、クラスから二人を体育祭の実行委員に選出する時間が設けられ、私は自ら委員に立候補した。
夏目先輩が体育祭の説明をしていたくらいだから、きっと実行委員は女の子たちに人気の役職なんだろうなと覚悟していたのだけど、思いのほか立候補者は少なく安堵したものだ。
なんでも力仕事が多い役職だそうで、夏目先輩と天秤に掛けても肉体労働を選びたくないという子が多かった。
夏目先輩に天秤が傾いた子には、仕方なく賄賂を渡して枠を譲ってもらったりもした。
郁ちゃんと一日デートできる券。
許せ、我が幼馴染み。
効果は覿面だった。
郁ちゃんは私が思っている以上に、女の子にモテるらしい。


「あれ?美園さんが委員なんだね。また会えて嬉しいよ、よろしくね」

……そんなこんなで、クラスで一言も話したことのない女の子と共に実行委員になった私だったけど、放課後の委員会にて待ち受けていたのは他でもないあの夏目先輩であった。

ああ、堪忍な戸部さん……。
近づくなと言われたそばからこのザマだ。

「……どうも、夏目先輩」

夏目先輩は委員を取り仕切る代表のようで、そんな立場の人の挨拶を無視するわけにもいかず、私はとりあえず返事をした。
多少素っ気なくとも、これが限界だ。

「無愛想なきみも可愛いね」

その言葉に、私の隣にいた同じ委員のクラスメイトが驚くのが分かった。
夏目先輩がこういう発言をするのは息をするより必然なのだと割り切っている私とは違い、隣の子は不快感をあらわに、夏目先輩でなく私を見ている。
なんでや。
私は何もしてないやん。

「な、夏目先輩。冗談も程々にしてください」

心なしか周りも私たちの会話に注目しているように思える。
ただ委員会に参加するために来ただけなのに、なんでこんなに神経を使わなければならないのだろう。

「冗談?まさか。僕は本気でそう思ってるよ」

そしてこの人も空気を読まない。

「先輩!」
「え、どうして怒るの?何も悪いことは言ってないよね?」
「いいから、早く委員会を始めましょう!」

こうなったら無理やり会話を終わらせるまでだ。
夏目先輩は根本的な部分が人とズレている。
このままやり取りを続けていたら、明日には私は校内の夏目先輩ファンに殺されてしまうだろう。




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