17 匡平の回顧


―――夢子は昔から、どうしようもないバカだった。

「匡ちゃん、匡ちゃん」とやたら俺のあとをついて回るくせに、ちょっと目を離した隙にすぐ他のことに夢中になる。
二人で隠れんぼをしたいと言い始めた時はあまり気乗りしなかったが、たまには一緒に遊んでやるのもいいかと思い、鬼役をやりたいと熱望した夢子に譲ってやったのに、待てど暮らせど夢子が俺を探しにくる気配はなく。
何をやってるんだと痺れを切らした俺がこちらから探しに赴けば、夢子はその辺でひらひら舞っていた色鮮やかな蝶に夢中になっていた。

それで、そのうち夢子は蝶を追って見知らぬ土地までさ迷ってしまい、つい夢子を心配して着いていってしまった俺と共に二人で迷子になった。

知らない場所に不安になった夢子がピーピー泣くので、仕方なく慰めてやったのも未だ鮮明に覚えている。

あの頃から、夢子は何一つ変わっていない。

小学生になる頃、夢子はよく我が家に遊びに来ていた。
しかし目的は俺と遊ぶためではなく、俺の三つ上の兄―――次男の匠真に相手をしてもらうためだ。

高学年となった匠真は次兄ということもあり、歳下の面倒をよく見るようになった。
やたらと優しく接してくれる匠真に夢子はそれはもう、俺なんて眼中に無いくらい異様な親密度で懐きやがった。
何をするにも匠真、口を開けば匠真。
一番上の兄貴は絶賛反抗期真っ只中ということもあり、夢子からは怖いお兄さんとしか認識されていないのに、いつだって物腰柔らかな対応しかしない匠真はそれ故に夢子に懐かれていた。

面白くない、と感じるのは当然で。

なんで匠真なんだよ。
俺たち三兄弟の中でも一番パッとしない、八方美人な事なかれ主義者、家族ですら怒った顔を見たことがないようなやつなのに。

グズでノロマな夢子が後をついてくる機会が極端に減り、清々しているはずなのに、それが他の男のせいだというのが何だか気に食わない。

しかも匠真は俺が不機嫌な理由もすべて把握しているようで、「大丈夫、夢子ちゃんは僕よりも匡平の方が好きだよ」と謎の慰めの言葉を頂戴したのもまた癪に障る。
大丈夫じゃねーよ。

あまりに夢子が匠真に懐くので、我慢の限界だった俺は直接あいつに聞いたことがある。
匠真の何がいいのかと。

そしたら。

「んー空気?なんていうかこう、私と同じ匂いがするというか、同じ空気というか、そばにいてめちゃくちゃ安心できる人なんだよね……」

ふざけんな何だよその抽象的な理由。
空気なんてどうしようもねぇじゃねーか。

で、そんな感じでフラストレーションが溜まりに溜まりまくった小学生時代を過ごした後、俺たちが小学校を卒業する頃に匠真は寮付きの高校に進学するために地元を離れた。

よし、と心の中でガッツポーズをした。

匠真がいなくなってから夢子は以前のように俺の後ろをついて回るようになり、すっかり元通りとなった。

中学生になると、モデルのスカウトを受けたり、バレンタインにやたらとチョコを貰ったり、色々と周囲が変化し始めた。
いや、成長期に突入して雨後の筍のように一気に身長が伸びたので、変わったのは俺の外見なのかもしれない。
夢子は相変わらず、夢子だったけど。

夢子は年齢を重ねてもまだ恋愛といった方面に疎いようで、色気より食い気、誰と誰が付き合ってるだのという噂話もまったく興味がないようだった。
アピールがしつこかったので試しに他の女と付き合ってみても、夢子には暖簾に腕押し。
自分には特に関係ないと言わんばかりに「へー。おめでとう!」と笑顔で祝われてしまった。
別に嫉妬とか、そういうのを期待したわけじゃないけど、もうちょっとこうねぇのかよ……とひたすら自分が惨めになったので、当てつけで付き合うのは早々にやめた。

紗耶香と出会ったのはそんな時だ。
兄貴の知り合いで、もともと俺とも顔馴染みだったのだが二人で話したことはなかった。

駅前をぶらついている時に男に絡まれている女を発見して、憂さ晴らしも兼ねて助けてやったら、その女が紗耶香の彼女であることが発覚した。
それで何やかんやあって、再会した紗耶香に今彼女がいないならちょうどいい、偽の彼氏役をやれと言われた。
兄貴によって俺の恋愛事情が筒抜けのため、紗耶香は夢子のことも知っており、相談に乗ってやると言われたのが決め手だったかもしれない。
彼女がいないと周囲がうるさいし、いい加減面倒臭かったしな。

夢子に報告すれば「おめでとう。これで何人目?イケメン爆発しろ!」とのことだった。


高校に進学する季節になると、夢子は目に見えて元気がなくなっていた。
そりゃあもう、萎んだ風船みたいに。
まあ、理由は明白だ。
夢子は馬鹿だから、あいつが辛うじて入ることのできた唯一の高校がとんでもない不良の集まりだと知って「私のキラキラ☆な青春は!?」と嘆いているのだ。

キラキラな青春とやらが何を指すのか理解不能だが、男との運命的な出会いから始まる少女漫画のような展開を夢見ているのなら、俺がさせないけどな。
俺がいるのに、そんなものは必要ない。

そう考えれば夢子が不良の掃き溜めに進学が決まったのは僥倖と言えよう。
不良=近づいてはいけないものとして認識している夢子が、自ら在校生どもと仲良くするはずもなく、新たに匠真に代わる存在が現れるのではないかと気を揉む必要はなくなるわけだから。

実際に高校に入学してから、夢子に仲の良い同級生ができる気配はなかった。
不良たちのちょっとした諍いがあるだけでびくびくと震える様子は、小動物に似て愛らしく、この腕に抱き留めてそのまま隠してやりたい気持ちになるが、実際にそうするわけにはいかない。

あれは高校に入学する少し前。
バカな夢子は高校生になったら誰にも頼らない自立した大人を目指すのだと訳の分からない目標を立て、いい機会だから今まで以上に甘やかしてやろうと考えていた俺を跳ね除けるように「匡ちゃんには頼らないもんね!」と堂々と宣言しやがった。
夢子のことだからどうせすぐに俺に泣きついてくるだろうと軽く考えていたのだが、高校に入ってしばらく経っても夢子が音を上げる様子はなく。
夢子をターゲットにしようとしていた不良共を裏で片っ端から蹴散らしていたのが不味かったのか、わりと平和な学校生活では俺に頼る、というそもそもの選択肢が浮上してこないようだった。

………その内、段々とこちらの我慢が難しくなってゆく。

早く俺を頼ればいいのに、と思うのと同時に、夢子はバカだから俺が自ら教えてやらないといけないのかもしれないとも思う。
お前には俺が必要不可欠なのだと。

夢子の安全な学校生活ために裏で手を回すことを止めれば、すぐにでも夢子は俺に泣きついてくるのだろうが、それは安易なことではない。
なぜならあいつを傷つけようとする人間を見過ごすことなど、この俺に出来るわけがないのだから。

少し前、二年でそこそこ悪名高い佐藤とか言う野郎が夢子を都合のいいカモにしようと企んでいると風の噂で耳にした。
実際は夢子の話題を少し口にしただけらしいが、詳細なんてものはどうでもいい。
夢子を脅かそうとするもの、それが如何なるものであっても芽は小さい内に潰した方がいいからな。

噂を聞いたその日に、俺はそいつに話をつけに行った。
不良という割には大したことのないそいつは俺に勝てないと悟るやいなや、清々しいくらいの低姿勢で手のひらを返してきた。
まあ、こういう野郎なら特に害にはならないだろうとその後は放置していたのだが、別の問題が発生した。

そう、夢子と同じクラスのあいつ。
由良野環だ。

由良野という男は実に厄介で面倒臭い、例えるなら蛇のような野郎だ。
狙った獲物は絡みとって逃さない、それでいてとにかくねちっこい。

以前、この学校に入ったばかりの頃、由良野に仲間にならないかと声を掛けられたことがあった。
自分たちのチームに入って損は無いと舌先三寸な誘い文句をペラペラと口にしていたが、学校での勢力争いにまったく興味が湧かず、適当にあしらったのが悪手だったのか、それ以来何かにつけて絡まれるようになった。
正直に言って、関わりたくない相手。

そんな野郎が、夢子に興味を持ってしまったのだ。

この学校の色に染まらず、決して争い事に巻き込まれることのない夢子の不自然さに気が付いた。
俺が守っているのだから、夢子が不良共の餌食にならないのは当然の結果だが、俺たちの関係を知らない由良野にとってはまさにパンドラの箱正体の分からぬものほど興味が唆られるというわけだ。

小賢しい由良野は二年の佐藤を操り、夢子を襲うように仕向けていた。
下校中の夢子の後をつけていた俺が、そこに佐藤の姿があったものだから何事かと問いただし、由良野の卑劣な企みが明らかとなったわけだ。

あいつは自分が楽しみたいがために、夢子を傷つけようとした。
マジでクソ野郎。

しかもその後、夢子の周りをやたらとうろつくようになり。
校内であいつらを見かける度に由良野をどうにかしてやりたい気持ちに駆られたが、俺が出ていけばより面倒なことになるのは避けられない。
あの由良野のことだ、俺が夢子を守ってやっていることを知れば、余計に夢子に興味を持ってしまうに違いないからな。

由良野の女の好みを知っていたため、あいつが夢子に異性としての好意を持つことは限りなく少ないだろうと楽観視していた面もある。
だからしばらくは様子見と決め込んだのだが、由良野が夢子に執着を見せるようになり、その上外浦までまとわりつくようになったのを知って、自分でも限界が近づいているのだと分かっていた。

夢子の周囲に俺ではないやつがいる。
それが耐えられない。

夢子は俺のものだ。
昔も、今も。


「やっほー、“匡ちゃん”! 夢子ちゃんとは順調?」

呼び出されたファミレスで待っていたのは、彼女の肩に手を回して座るキャバクラにいるオッサンのような体勢の女、紗耶香だった。

「てめーが匡ちゃん呼ぶな」

紗耶香は時々、こうして俺を呼び出す。
曰く付き合ってる振りだそうだが、夢子の話を直に聞くためにっていう魂胆が見え見えだし、そもそも真面目に付き合ってる振りをするならてめぇの彼女を連れてくるなって話だ。

「だって他の男と二人きりで会うなんて、彼女に誤解されたくないじゃん?」ってのは紗耶香談。

紗耶香の彼女はとろんとした表情で、何も言わず頬を染めて紗耶香の肩にもたれかかっている。
相変わらずだな。

「一応は付き合ってる設定なんだし、匡ちゃん呼びくらい許してくれても良くない?てゆーかそもそも匡平、なんであたしの呼び出しに3回に1回くらいしか反応しないのよ!電話とかもほとんど無視じゃん」
「本当に付き合ってるわけじゃねぇし、いいだろそれくらい」
「よくない!あたしが聞けないじゃん!夢子ちゃんと、あんたの進展とか!」
「………」

面倒臭ぇな。
女っていうのはどうしてこう、他人の恋路を気にしたがるのだろう。

「お前に話すことなんざ、何もねぇよ」
「ふーん。そんなこと言っていいのぉ?匡平はさ、いくら夢子ちゃんと昔馴染みであの子のこと分かってるつもりでも、結局は男と女なわけでしょ?女の子には女の子にしか分からないことだってあるのよー?いつかまた、匠真みたいな人が現れたらどうすんのよ」
「………ハッ」

もう、夢子によそ見はさせない。
だからそんな心配は無用だと鼻で笑えば、紗耶香は面白くなさそうに口を尖らせた。

「あっそー。随分と余裕じゃん、匡平。夢子ちゃんを逃がさない自信があるんだ?こーんな無愛想な男だけど、本命の前では激甘だったり?」
「お前には関係ないだろ」
「ひど。もう本当びっくりだよね、あんたみたいな男が女に首ったけになるなんてさ、マジで今も想像つかないわ。まあ確かに?夢子ちゃん可愛いもんねぇ、特におバカなところが最高にキュート」
「あ?」

思わず声が低くなり、睨みつけるように見てしまったが、紗耶香はニマニマと笑うだけ。
こいつのこういう所が気に食わない、本当に。

紗耶香は兄貴の知り合いだけあって、貞操観念がぶっ飛んだところがある。
自分に彼女がいようが他に欲しいものができれば、たとえそれが人のものだとしても手を出さずにはいられない。
夢子を可愛いと言ったのも俺を揶揄うだけではなく、きっと本心からそう思っているのだろう。

だから絶対に、夢子にこの女を会わせたくないんだよ。

紗耶香は俺の心情を知った上で、時たまこうやって煽ってくるのだ。
厄介極まりない女。
相手にするのが面倒で、呼び出しもほとんど無視している。

「匡平はさぁ、根っからの末っ子気質だよねぇ。要領が良くて、その容姿も相俟って欲しいものは何でも手に入ってたでしょ。人生楽そ」
「何が言いたい」
「あは。あんまり余裕こいてると、その傲慢さが仇になって、夢子ちゃんに逃げられちゃうかもねって話」

隣にいる恋人と戯れながらそんなことを言ってのける紗耶香に、やはり俺は鼻で笑うしかない。

夢子がいない喪失感は、匠真の時に十分味わった。
あんなことは二度と起こさない。

夢子には、俺がいなければ生きていけないようにしてやる。

「こっっわ」と、まるで俺の思考を読み取ったかのように紗耶香が呟いた。

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