12 昭月の懊悩


環とレオと出会ったのは、この学校に入ったばかりの頃だ。

校門近くで派手な喧嘩をしていた俺に、いやに小綺麗な形(なり)で話しかけてきた男子生徒が環だった。

環は見た目だけなら、近所でも評判になるだろう好青年だ。
あくまでも見た目だけなのだが。
中身は傲岸不遜の大魔王と言っても過言じゃない。

この学校において、いかにも優等生然とした環は異彩を放っていた。
掃き溜めの鶴――は言い過ぎかもしれないが、とにかくそんな環に好印象を抱くのは当たり前のことで、環と仲良くなるのにそう時間はかからなかった。

まあ、今にして思えば、仲良くなったと俺が勘違いしていただけだがな。

環とレオは常にセットだった。
何をするにも一緒で、言葉にしなくとも視線で会話ができるようなお互いに信頼しきった間柄。
俺は密かに、彼らの関係性に憧れを抱いていた。

だから環に「俺たちの手をとらない?」と言われたとき、一も二もなく頷いたのは自明の理だろう。

そうして俺は環たちの手を借りて一年最強の名を欲しいままにし、最後には見事裏切られ落ちぶれた。

仲間だと思っていたのに。
呆然とした。
でもどこか分かっていた自分もいて、それなのに彼らの裏切りを受け入れる形になってしまったことに自己嫌悪したりもした。

俺は驕っていたのだろう。
誰よりも喧嘩が強く、どんな相手が挑んでこようと負けるはずがないと。

すべてを環たちのせいにしなければ、学校へ向かうための足には力が入らなかったほどだ。

「環……!やっぱり外道だね、下衆の極みだね……っ」

顔を左手で覆いながら、涙混じりにもう片方の手を俺の肩に乗せる夢子くん。
環たちとの出来事を話すだけで、まるで自分のことのように反応してくれた。

……夢子くんはいい子だと思う。

俺のことを呆れた目で見ていても、環たちとは違い、最後まで辛抱強く俺の話に付き合ってくれる。
面倒だからと捨て置かない。

何より、俺の復讐を手伝うと申し出てくれたことは、とても嬉しかった。

周囲の人間は大抵が環の味方だ。
環を敵に回したくないと、皆がそうやって言う。
特に女の子の場合はその傾向が顕著で、環が気に入るくらいなのだから夢子くんも何だかんだ言ってやつの肩を持つのだろうと思っていたのだが……今のところ、まったくその様子は見られない。

むしろ彼女は環を苦手としているようだ。
同性ならいざ知らず、女の子から苦手意識を持たれるなど環にしては珍しく、彼女と環とのやり取りには毎回舌を巻いてしまう。

何故なら、会話に積極的なのは環の方だからだ。

夢子くんは早く会話を切り上げたいのが見え見えで、そうさせないように環が流暢にものを話す様はなかなか見物である。

面白いことこの上ない。
あの環が振り回されているのだ。

こと環に関しては、図らずも強力な仲間を手に入れたようだった。

「早くあいつの弱点を見つけて、ギャフンと言わせてやろうね!」

夢子くんはそう息巻く。
なんだか心が温かくなると言えばいいのか、今まで味ったことのない妙な気分になった。

例えば朝。
寒空の下、夢子くんを待っていた俺に、彼女はネックウォーマーを貸してくれた。

首に被せる際には夢子くんの吐息がかかりそうなほど近く、俺は何故だか顔に熱が篭ってしまった。

「今日、一気に冷え込んだでしょ。それ貸してあげる」

心臓の音がうるさい。
借りたネックウォーマーは、まるで夢子くんに包まれているかのようで、嬉しいような恥ずかしいような形容し難い感情が込み上げてくる。

「そ、そうか。ありがとう……」

慈愛に満ちた笑みの夢子くんに、俺はぎこちない返事しかできなかった。

こんなのは初めてだ。
どうしたらいいのか分からなくなるなど、一体自分はどうしてしまったのか。

「どういたしまして。明日からは、集合時間決めよっか」

――――夢子くんの言動一つ一つに、簡単に左右される自分がいる。

心臓が浮つくような、ふわっとなるこの感覚を、なんと言えばいいのか。

思えば初めて目にした時から、夢子くんの姿が脳裏にこびり付いて仕方がなかった。
環に利用されているなら、どうにかしてやつの本性を知ってもらい離れるよう仕向けさせたくて。

色々な言い訳を立てては、俺は夢子くんの傍にいようとしていた。

この感情の名は何だろう……。

あれだけ固執していた環たちへの復讐さえ、それが夢子くんと一緒にいられる理由になるのなら、永遠に叶わなくても良い気さえしてしまう。

夢子くんへの一線を画する感情を自覚すると共に、新たな事実にも気がついた。

――――環にとっても、夢子くんは“特別”なのではないか、と。

俺が一人でいたなら環は絶対に関わってこないだろう。
けれど夢子くんといる時は、どんな場合でも話に割り込んでくる。

おまけに俺を目の敵にしてくるのだ。

今までどんなことをしても、相手にするのは面倒臭いだのと強い関心を向けなかったこの俺に、不機嫌な表情を見せてくる。
夢子くんといる時だけ、環は環らしからぬ行動に出るのだ。

色恋に鈍い俺は、環が何故そんな反応をするのか分からなかった。

だが、夢子くんに借りたネックウォーマーを見て、環は一瞬だけ寂しそうな顔をした。
本当に一瞬だけだったので、勘違いかと思うほどだ。

その表情はまるで、「自分にはないのに何故」という、物欲しげなものにも似ている。

そして気づいたのだ。

そうか。
……そういうことなのか、と。

環は夢子くんに、恋情を抱いているのだろう――。

僅かに胸が、疼いた。

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