悩殺ガール


02《幕間1》









宮原梨子っつー女は、温かみの欠片もない、絶対零度の雪女なんだと思ってた。


「伊野。お前は誰に投票する?」

それは放課後の出来事だった。

暇を持て余した俺たち2年2組の男子は、この手持ち無沙汰をどうにか解消しようと“学校一可愛い女子決定戦”を密かに開いていた。

まず、名前が上がったのは、言わずもがな。
我が校のマドンナ、山内麗(うらら)だ。

「やっぱ断トツ、人気だよなあ。正統派美少女」
「麗ちゃんに比べたら、他の女子なんてみそっかすだろ」
「確かに可愛いよなー。あんな子が彼女だったら、俺マジで死ぬ気で勉強頑張って東大に行ける気がする」
「ノーベルはどうよ」
「余裕でストックホルム行けるから」
「マジでか」

「ってか、山内麗って三年に彼氏がいるっつー噂あるよな。あれどーなの?事実?」

ふと、そんな噂があったことを思い出し尋ねてみると、周りの男子たちの血走った目が一斉にこちらを向いた。

「麗ちゃんは永遠に俺たちのアイドルなの!彼氏なんているわけねーじゃん!」
「そうだ!所詮、噂は噂」
「あんな低俗なものを信じるなんて、愚の骨頂だぞ!」
「……ああ、そー」

つまり、信じたくないと。
そういうことでいいのか?

「次。意見がかなり割れていたが、票数の多さで行くと有村ののかが二位に浮上してくるな」
「有村か」
「確かに美人だ。俺は苦手だけど」
「性格がドSらしいからな。俺も御免被りたい」
「サディストはちょっと……」
「ってことはMの票かよ、これ全部」

うちのクラスにこんなに多くマゾな野郎がいるのか?と思いつつツッコミを入れれば、不自然に視線を逸らした奴らが数人いたので、なるほど隠れMがいたらしい。

「他は?」
「他は……」
「おい。うちのクラスのブタ子に票がはいってんぞ。誰だー?デブ専」
「英語の美栄子先生にもいくつか入ってるけど、今回は生徒だけしか集計しないからな」
「あと、その他に誰かいたっけ?」

―――いるじゃねーか、一人。

めぼしい女子生徒の名前は出尽くしたとでも言うようにウーンと唸る連中に、ここまできてどうして未だ“彼女”の名前が出ないのかと俺は口火を切った。

「宮原梨子は?」

瞬間、その場の空気がピシリと固まったように感じた。

「お、お前、何言ってんの」
「とうとう頭がイかれたか、伊野」
「はあ?」

有村の名前が出てくるなら宮原だって順位がついてもおかしくはないだろうに、何故彼女の名前を出しただけでこうも散々に言われなければならないのか。
不満に思った俺は、続けて口を開く。

「フツーに可愛いじゃん、宮原。あの、いつも凄んだ表情さえしてなけりゃあ――」
「いやいやいや!宮原はどう転んでもない!」
「伊野、お前か!宮原に票を入れた物好きは!!」
「……逆に、なんでお前ら、そこまで宮原を全否定?」

脳裏に浮かぶ宮原の姿は至って普通で、あえて言うなら窓辺で静かに本を読む姿が様になる、夜風に似た雰囲気の綺麗な子、だ。
大人っぽいと言えばいいのか、山内麗とはまた違った意味で別次元に住むような子だと思っている。

しかし、他の連中の宮原に対する印象は違うようで。

「お前、殺されるぞ!?宮原に!」
「俺なんてこの間、廊下でほんの少し肩がぶつかっただけで殺意の篭った目で見られたんだからな!」
「どんなに見た目が可愛くても、宮原っていう時点で無理!!」

……などなど、先程発覚した隠れMですら匙を投げてしまう有様。

ドSであるらしい有村だって同じではないかと尋ねれば、断固として認められなかった。

「いいか、Sって言うのはサディズム――つまり加虐趣味の人間を指す言葉で、趣味だぞ趣味!人を虐げることに喜びを感じない、心の底から嫌悪するような眼差しで見られて誰が悦ぶものか!」
「何なのその持論」
「フン。言っておくが、俺たちはMじゃないぞ!愛ゆえのSMプレイに興奮してしまうだけの、変態だ」
「いや、自分で言い切るなよ変態」

大して親しくもなかった委員長の言葉に、俺は呆れる他ない。

委員長ってこんなバカだったのか……。
お固い優等生だと思ってたけど、確かにこんな暇人の集いに参加している時点で優等生とは言い難いな。
うん、考えを改めなければ。

「でも、虐げられて嬉しいんだろ?もうMじゃん。Mでいいじゃん」
「この阿呆!俺のために鬼畜行為に走っているという所に悦びを感じるんだ。ただただ痛いだけの行為に愉悦は覚えない」
「意味分かんね」

もはや別次元の話の展開に、俺は理解することを諦めた。
まだ語り足りない様子の委員長を捨て置き、他の連中に先程の話の続きをしようとした、まさにその瞬間。

教室の扉がガラガラと音を立てて開いた。

「!」
「やばっ、黒板の文字消せ!」

俺たちは慌てて“学校一可愛い女子決定戦”の痕跡を消そうとするが、一足遅かった。

教室に入ってきた人物は、蔑むような表情でこちらを見ていたからだ。

しかも、その人物は―――

「み、宮原……」

渦中の女子生徒であった。

「ち、違うんだ!これは、その!」
「俺たち別に……っ」

懸命に言い募る委員長やその他を、宮原は見事なまでの無表情で見下している。

静謐な炎と言えばいいのか。
否、絶対零度の凍てつくような眼差しに、俺は言葉を飲み込むことしかできなかった。

「―――馬鹿じゃないの?」

その声色までもが、氷点下を記録している。

「な、なんだよ!」

果敢にも反論しかけた誰かの声を視線で咎め、宮原は続けた。

「ふざけてるのかって言ってるの。こんなことして、楽しいわけ?あんたたちってよっぽどの暇人なのね。退屈しのぎにこんな低俗なことしかできないなんて、本当に馬鹿の集まりよね」
「な……っ」
「大体あんたたち、人に順位をつけられる立場にあるわけ?自分たちのことを棚に上げて……迷惑だわ。さっき名前を挙げられてた子たちだって、あんたたちに褒められたって嬉しくないはずよ」

そこまで聞いていたのか、と誰もが絶句する。

つまり、宮原はこいつらが「宮原だけは絶対にない!」と断言していたのも聞き及んでいたわけで――誰もが彼女の怒りはそこにあるのだと悟った。

楽観的な俺ですらこれはまずいと血の気が引いたのだ。
周りの連中はそれ以上に絶望感を味わったらしく、宮原が去った後も、小刻みに震えていた。

もう二度と教室で“学校一可愛い女子決定戦”は開催しないと、俺たちは心を一つにしたのだった――。

そしてこの出来事を機に、俺は宮原のことを絶対零度の雪女なのだと思うようになった。


宮原を観察してみると、彼女が熾烈な態度をとるのは、男の前でだけだということに気がつく。
どうやら宮原は、極度の男嫌いであるらしい。
不意に視線があって、虫ケラを見るような目をされた時は心が死にそうだった。

いや、確かに俺たちは女子の容姿に優劣をつけて楽しんではいた……が、特定の誰かを貶すような真似はしなかった。
アイドルグループのメンバーに投票するような気持ちで、自分の推しメンを作っていただけ。
「学校一のブス決定戦」という悪口大会じゃなく「学校一可愛い女子決定戦」だっただけマシというもの。

なのに宮原ときたら――。

「あ」

運悪くも、俺は宮原の席の隣である。
そして不幸が重なって、宮原の足元に消しゴムを落としてしまった。

なんてことだ。
戦々恐々とする俺に対し、落ちた消しゴムに気づいた宮原はゆっくりとした動作でそれを拾い上げる。

あれ。フツーに拾ってくれた。
もっとこう、すっげえ顔して嫌がられるかと思っていたから拍子抜けである。

「はい」
「さ、さんきゅ……」
「なんで消しゴムが落ちるのか私には分かりかねるけど。授業中に遊ぶのも程々にしたら?本当子供よね」

カチーン。
いや、別に消しゴムで遊んでたわけじゃねーし。
ひじが当たって落ちただけだし!

嫌がるようでもなく拾ってくれたから、宮原って意外といいやつじゃん、とほんの僅かにでも思ってしまった自分が情けない。
やっぱり宮原は宮原だ。
絶対零度の雪女。

はぁ、とため息をつく。

―――俺、嫌われてるなぁ。

胸に込み上げてきたなんともいえない感情に、この消化不良のモヤモヤした気持ちはなんなのか、明確な言葉が思い浮かばずに、ため息をつくことしかできなかった。

ただ、ため息をついた瞬間。
わずかに宮原の肩がピクリと反応したように感じた。

それは俺の気のせい、もとい願望かもしれないけれど。



―――彼女を初めて目にしたのは入学式でのことだ。

桜の下で静かに佇む彼女は、清廉な空気を身に纏っていると言えばいいのか、とにかく犯し難い独特の雰囲気があった。
一言で表すなら、目を引く存在。
生徒は他にもたくさんいたのに、後に学校一の美少女と呼ばれる山内麗よりも、俺は彼女……宮原梨子に見とれていた。

特に、友達である有村ののかの前で花開くように笑う姿は印象的だ。
普段は険しい表情ばかりして隙がないのに、有村と話している時の姿はひどく無防備で、視線がその一点に吸い込まれてしまうのも無理はないと思う。

同じクラスになれた時には、柄にもなく胸が高鳴った。

なのに……。

いざ宮原と喋ろうとすると、言葉をかけたその瞬間に露骨に嫌な顔をされ、最近では視界に入るだけで拒絶反応を見せられる。
そりゃあ教室で「学校一可愛い女子決定戦」なんてバカげた話し合いに参加していた俺にも非はあるだろうけど、ここまで嫌われてしまうほどだとは思わなかった。

何がダメだったんだ。
俺は俺なりに、宮原を褒めたつもりだったのに。

……ふん、絶対零度の雪女め。
まったく可愛げが無い。

だけど俺はどうしようもない。
有村や、ほかの女子たちと話す時の宮原の笑顔が脳裏にこびりついて仕方がないのだ。
有村たちのように、俺が彼女の氷を解かせたら、と。

いつしか、そんなことを思うようになった自分に気がついてしまった。



いやに顔面偏差値の高い男の転校生がやって来たのは、席替えで宮原と離れてから数日経った頃だ。
クラスの女子が浮き足立つ中、転校生は宮原の隣の空いた席に座った。

宮原はやはり、険のある表情で転校生を見ていたが、転校生が隣の席に座った刹那、なんとそいつに話しかけたのだ。

あの宮原が。
大の男嫌いの彼女が。

内容は決して友好的なものではなかったが、男というものを敬遠していた彼女が初めて見せたアクションに、俺は開いた口が塞がらなかった。
彼女が自ら異性に話しかけるなんて、今まで一度もなかったのに。

………どうして。

胸の内側に、モヤモヤが募ってゆく。

―――そして、いてもたってもいられず、俺はなんと転校生を呼び出してしまった。

何やってんだ俺は……。
自分の行動に一番驚いているのは、自分である。


「……なんなんだよ、一体。俺は男からの告白を受ける気はないけど……」

改まって屋上へと転校生を呼び出せば、やつはげんなりした顔で現れ、とんでもないことを言い出した。

妙な誤解をしないでほしい。
確かに同性からこんな風に呼び出されるのは少し考えものかもしれないけど、俺だって愛の告白をする気は微塵もない。

「転校生。お前に一つ、確認したいことがある」
「なんなんだよ……」
「お前は宮原の、何なんだ!?」
「―――はあ?」

思い切って尋ねてみると、訝しげに眉間にシワを寄せられる。
意味が分からないとでも言うように「何って……」と言葉に迷っているみたいだった。

「つーか、あの女の方こそ何なんだ。やけに突っかかってくるし、親の敵のように睨まれるし」
「宮原が自ら言葉をかけるのは、男子の中ではお前だけだぞ」
「いや嬉しくないし……」

喜べよちくしょう!
俺は宮原から話しかけられたことも、あんな風に構ってもらえたこともないんだぞ!?

「なに。お前さ、あの女が好きなわけ?物好きすぎ」

落ち込む俺の姿を見て、転校生が呆れ口調でつぶやく。
その視線は地球外生命体でも見るかのようなものだった。

「誤解だ。俺は宮原が好きなわけじゃない」
「ふーん?自覚ない?まあ別に、俺には関係ないからどっちでもいいけど……そもそも、あの女ってレズなんだろ。俺とあの女の間に、お前が心配するようなことは何もないし、未来永劫有り得ないから安心すれば」
「―――本当に?」

きっとこいつは知らない。
宮原の笑顔の破壊力を。
普段険しい表情しか見せない彼女の、有村に向けるようなあの笑顔を知らないから、未来永劫有り得ないなどと断言できるのだ。

もし、知ってしまったら――とそこまで考えて、嫌な思考をかき消すようにふるふると頭を振るう。
いや、杞憂だろう。
宮原のような雪女を好きになる物好きな男など早々いるはずがないし、こいつは宮原のことをレズだと誤解しているから、万が一にも俺の心配する未来など訪れるはずはない。

“―――本当に?”

だって。
相手は、あの宮原だぞ?

転校生だけじゃなく、他のやつらだって――。


そんな俺の不安は、翌日、見事的中することになる。

教室に現れた、明らかに不良っぽい三人の先輩によって。



幕間1 END







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