小説 のコピー | ナノ
口出会い
にぎやかな廊下を歩くとき、必ず視線が下がる。まえを見て歩く癖はとうの昔になくなった。眠たいというのは嘘ではないけど、それ以上に人の顔を見たくなかった。好奇の視線、心配される視線、声をかけるタイミングを伺う視線。すべてが鬱陶しい。
バカ明るい姫児はそんなおれに勿体無いと顔をあげさせた。おかげでできた仲間たちは今でも俺を大事にしてくれる、似たような悩みがあるやつなんてごまんと居るんだと知った。それもそうか、なにも俺だけが特別なわけじゃない。俺はまだガキだけど。昔はもっとガキだったなと思う。
無機質な騒音のなかで、ただ癖のように視線を下げて歩いているとドンっと後ろから衝撃が来た。手じゃなくて物でぶつかられたな。
「わーごめん、伊神だっけ」
そういうお前はだれ。問う気にもなれずに、シカトする。
そんな俺に少し戸惑ったようだが、そいつは授業に使うだろう教材を抱え直して俺の顔を覗き込む。
「ほんとにごめんな」
そんな愛想笑いだとすぐわかる顔で、わざわざ律儀なやつ。
なにも言わなかったけど立ち去るそいつの後ろ姿に、なんとなく視線が上がっていた。
高校になってから机が前の方だから教室にいること自体だるくて、まだ1学期だというのにもう行く気を失っていた。そんな教室にそいつが入って行くのを見て、同じクラスなんだなと。無駄に目立つ自分の容姿のせいで、毎日入るときに浴びる視線はいやだったけど今日は気にならなかった。
「同じクラスなんだ」
自然とこぼれたことばに、教材を教卓に置いてたそいつがこっちを見る。
目が合うことで自分に喋りかけたのだとわかると、目を見開いてからフッと吹き出した。
「今更?」
愛想笑いではないほうが、喋りやすいよ。
それを言うにはこいつの名前すら知らない仲で、柄にもなく名前を聞いたりなんかして。
「真崎」
いつか口に馴染むほど呼ぶその名前を、今日初めて呼んでみた。
(思ったよりしっくりきた)
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