道灯りのことば
(ユエリアとミシェーナ)
「ねぇ、ミシェーナ」
「うん?」
薬草を磨り潰す手を止め、ユエリアは今し方部屋を訪れた親友に向き直った。手招きして、自分と同じく木の椅子に座ってもらう。
なんとなく視線を合わせることが憚られ、机の木目を撫でてみた。
「その……もし、ミシェーナに大切なひとがいて、でもそのひとにはもっと大切なものがあったとするでしょう?」
「うん」
「自分が選ばれないとわかっていて、ミシェーナならそんな時どうする?」
ミシェーナはきょとんとした表情で、丸い、明るめの茶色の瞳を何度か瞬きさせる。心なしか口も半開きしているように見える。
だが、そんなに驚くような内容だろうか。それとも呆れて言葉も出ないのか。ユエリアが不安にかられて彼女を見上げると、何故かにこりと微笑まれた。
「そうねぇ……。じゃあ、その大切にしてるものをぶっ壊して奪おうかな」
「う、奪うの!?」
「そういう選択肢もあるかな、と思って」
「できれば他のを聞かせて……」
「積極的でいいと思ったんだけどな」
高い位置で一本に結わえてある髪が、ミシェーナの肩にさらりと流れる。瞳と同様、この国の人間がよくもって生まれる色だ。そしてユエリアの腰まである豊かな翠髪は、ガーディン王国では滅多に見られない。
というのも、不思議なことに翠髪はこの村でしか生まれないのだ。いつだったか、薬草師がユエリアに話してくれた。
村の娘は畑仕事を手伝ったり、家畜の世話をしたりと、何かと体を動かす。その所為か、ミシェーナも細身ながら多少筋肉で引き締まった体型をしている。肌も、日中あまり外に出ないユエリアと違い、陽に焼けていて、実に健康そうに見えた。
――もしも、ミシェーナのように『普通』の人間として生まれてきていたならば。
そう思うこともたまにある。だが、《大地の朋》として生をうけたことはユエリアの誇りだ。何より、彼女は森の木々や花たちをあいしている。
彼らの囁きは、ユエリアにはもう聞こえない。けれど彼らの唄を忘れてしまったわけではない。
ユエリアの心情を知ってか知らずか、ミシェーナは机で頬杖をついて、獣と似たような声音で唸っていた。
「大切かぁ。どうしても自分は選ばれないの?」
「そう。絶対にね」
「ふぅん」
そう呟くと、ミシェーナは自分の髪の毛先を指で弄び始める。彼女の物事を考える際の癖だ。どうやら真剣に考えてくれているようだ。
ユエリアはすでに磨り潰しておいた別の薬草をいくらか木の匙で掬いとり、それをまた別の薬草の葉で包んでいく。
彼女は薬草師から教わった知識を難なく形にすることができる。加えてユエリア自身が編み出した技や、知識もある。ほとんど隠居したと言っても過言ではない薬草師に代わり、今度はユエリアが村の薬草師を引き継いだのだ。
他に薬草の知識に長けた者がいないわけでもない。けれど、ずっと長い間薬草師の手伝いをしている内に、自然と彼女が新たな村の薬草師となることを村人たちから期待されていた。
彼らはユエリアにとって大切な人たちだ。だから、この村を簡単に離れるわけにはいかない。
思考をめぐらせつつも、ユエリアの手は動き続け、次々と丸薬を作り出していった。
「ところでユエは、どう考えてるの?」
親友に投げかけられた言葉に、ユエリアはぴたりと静止した。
「わからないの。どうしたらいいか、想像もできない」
「うん、そうだと思った。ユエって今までそういう経験ないもんね」
「べ、別にあたしのことじゃなくてっ」
「はいはい、わかってるわよ」
落ち着けとばかりに手を振って、にこやかな笑みをミシェーナは向けてくる。
動揺して手元が狂い、磨り潰した薬草を包む予定の葉が一枚破れてしまった。
「ユエ。ムリに天秤にかけなくったって、いいんじゃない?」
「どういうこと?」
「大切なひとが笑っていてくれたら、私はしあわせになれるから。だったら私は、そのひとが大切にしているものを、一緒に愛でることにするわ」
「ミシェーナ……」
「だってそのひとのこと、大切にしてるんでしょ。自分から手放すなんて馬鹿らしいじゃない」
ミシェーナは肩を竦め、唇から悪戯っぽく舌をのぞかせた。彼女は本当によく表情を変える。感情の波が激しくなるときもあるが、ユエリアはそれをミシェーナらしさだと考えていた。
「まぁでも、決めるのはユエだから」
「そう、よね」
「じゃ、私はそろそろ家畜たちの餌の準備に行かないと」
家畜の世話は村人で当番を決めている。今日は彼女の番らしい。
ユエリアは椅子から飛ぶように立ち上がる。部屋を出ていくミシェーナの袖をひいた。
「待って!」
「ん」
「これ、話を聞いてくれたから」
ミシェーナの手のひらをとり、自分が持っていたものを軽く握らせる。途端にミシェーナは《森の王》に出会ってしまったときのように、顔を青ざめさせた。
「ちょっと、これあんたの丸薬じゃない!」
「少し改良してみたの。滋養強壮にもいいわよ」
「効くのはわかってんのよ!」
「でしょう?」
「けど苦すぎるって村の人たちが嘆いてたの! どうせまた私で新作を試そうとしてるんでしょ!?」
「気付いてたの? 良い薬は苦いものよ。はい、口あけて」
「隠そうともしない! あんた、最近開き直るようになったわね……まったく誰に似たのかしら。ちょ、本当にやめてってば!?」
彼女たちの応酬はその後も続き、やがて地の果てを見たような叫び声が一つ。
平穏に過ぎ行く村の午後、《陽月》のやさしい風と共に運ばれた言葉も一つ。
「――ありがとうミシェーナ。少しだけ、道が見えた」