旅人の休息
〇×●




 風が踊れば、辺りを埋め尽くすように生えた背高草はたちまちおしゃべりを始める。それらはリラの腰より上まで伸びきっていた。

 リラは村の中に居れば平凡な娘だった。日に焼けてパサパサの、色褪せた金髪が肩にかかっている。ぼんやりとした空色の瞳。肌は日頃の手入れを怠っているのか、荒れていた。
 もう大人にもなろうかというのに、彼女の身体は板のように凹凸がなく貧相で、色気など欠片も感じられない。

 リラは生い茂る雑草をかき分けながら、持ってきた釣り竿と編みかごが草にからまってしまわないよう、片手でそれらを持ち上げる。
 けれどそれさえも面倒になり、遂に彼女は釣り竿で雑草を薙ぎ倒すようにして歩きだす。

 すっかり青臭さが移ってしまった手で麦わら帽子を被り直し、天を仰いだ。
 そこには晴れ渡った空と、さんさんと輝く太陽が呆れるほどの熱を降り注いでいる。

「それにしてもこの草、なんとかならないのかしら」

 一人呟いて、リラはようやく辿り着いた池のほとりに腰を下ろした。村はずれにあるこの池は、滅多に人が訪れない。
 深さはないが、大人が十人手を繋いでも池を囲いきれないくらいの大きさはある。
 昼食を摂ろうと、リラは編みかごに手を伸ばし――

「やぁ、リラ」

「ハーディさん?」

 リラは目を丸くして、池を挟んで斜向かいの岩場に腰掛けているハーディを見た。
 ハーディ――彼は旅人で、十日前からリラの居る村に滞在している青年だ。

 若い男にしては、そこら辺にいる男のように血の気はなく、纏う雰囲気は落ち着いている。その最たるは穏やかな、夜空を思わせる藍色の瞳だろうか。
 陽光を青黒い彼の髪がやわらかく照り返す。ハーディが形の良い唇を持ち上げたのに気付いたリラは、はっとして 彼から目を逸らした。

「あ、その……珍しいですね。ハーディさんがこんなところにいるなんて」

「どうしてそう思う?」

「だって。ハーディさんって、こういう草ぼうぼうで、虫だらけで、日除けの場所も全然ないところ、好きじゃないでしょ?」

「好んで来たいとは思わないね」

「あ、やっぱり」

 それでも彼は村に戻ろうとせず、岩場に座ったままだ。リラは首を傾げながらも、編みかごの中から焼きたてのパンを一つ取り出した。
 表面はこんがりとした薄茶色で、たっぷりと糖蜜が塗られている。香ばしい匂いをさらに引き立てているのは、生地の至るところから顔を出す木の実だ。

 彼女はそれを二つにちぎると、立ち上がって岩場に近づき、ハーディに一方を差し出した。

「良かったらどうぞ。私が作ったわけじゃないですけど」

 彼はゆっくりと瞬きを一つした。それから、目を細めてパンを受け取る。

「ありがとう……珍しいね、君の方から歩み寄ってくれるなんて」

「そうですか?」

「いつも俺を避けてる」

 今まさにパンを頬張ろうとして、リラは固まった。が、やがてのろのろと言葉を吐き出す。

「……そんなこと、ないですよ。何か今日のハーディさん、変ですね」

「変? 褒め言葉として受け取ってもいいのかな」

「……。撤回します。もとから変でしたね」

 リラは岩を背もたれにして、パンにかじりつく。大量の糖蜜は全て口に入りきらず、唇の端と頬にこびりついた。
 ハンカチは編みかごの中だ。リラは仕方なく袖で拭おうとしたが、それよりも早く伸びてくるものがあった。
 ハーディはリラの顔についた糖蜜を指の背ですくい取る。彼女はただただ呆然と彼の行為を見つめていた。

「俺はね、リラ」

 彼は指についた糖蜜を舐めて。

「捜し物を見つけるために旅をしているんだよ」

「捜し物?」

 熱い風が走り去ってゆく。池の水面はさざ波を立ててそれを見送った。つられた背高草が身体を揺らし、途端ににぎやかなざわめきを起こす。

「そう、妹をね、捜しているんだ。妹と言っても、血の繋がりは無に等しいんだけど」

「何か手がかりとか、あったんですか?」

 リラはパンを食べながら尋ねた。その声音に興味の色は薄い。

「リラ。食べおわってから話しなよ。……まぁ、手がかりはあったよ。彼女は生きていた。それに、すごく元気だ」

「良かったじゃないですか」

「ところが、だ。彼女は昔とまるっきり変わっていたんだよ。あんなに淑やかだったのに……今じゃ見る影もないくらい、お転婆なんだからね」

 肩を竦めて、ハーディは苦笑を零す。リラはもつれる金髪をがしがしと乱暴にかくと、最後の一欠片を口に放り込んだ。
 彼女は長いスカートの裾で、パン屑のついた手をはたく。

「ねぇ、ハーディさん」

「ん? 何かな」

「私、旅に出ようと思うんです」

 うんと背伸びをしてその場に立つ。リラは彼に背を向ける。

「……どうして?」

 歩きだそうとしたリラを、ハーディは腕を掴んで引き止める。

「だって私も旅人ですから。この村は気に入ってついつい長居しちゃってましたけど。これ以上いると……ほら、愛着が湧きすぎて、帰れなくなってしまいそうなんだもの」

 そう。この村は、居心地が良かった。だからリラは、自分が旅人であることを忘れるくらい、長く居ついていたのだ。
 けれどそれも、今日でおしまいだ。

 リラは微笑して、ハーディの手をやんわりと引き剥がす。

「君は、どこに帰るつもりなんだ」

 心なしか彼の声は震えているようだった。

「どこって、それは」

 リラは振り返りもせずに池のほとりを緩い歩調でたどる。
 透き通る羽を持つ小さな虫が彼女の顔面すれすれを通り過ぎていった。――ずっと以前なら悲鳴を上げていただろうが、今のリラには全く気にならない。

「今は無理ですけど。ちゃんと力をつけて、自分の見聞きを広めて。それから、ちょっと世話焼きな兄のところへ帰るんです。……まぁ、兄と言っても、ほとんど血の繋がりなんて無いんですけどね」

「――そうか。君の兄はさぞかし心配してるだろう」

「どうでしょうね。ハーディさんの妹さんも、元気なら心配いらないと思いますよ」

 リラは釣り竿と編みかごを拾い上げる。村へ戻って、旅支度をして。名残惜しくならない内に立ち去るのだ。
 風が彼女の背を押す。だがリラは、ふと立ち止まった。くるりと半回転すると、スカートの裾がふわりと四方に広がる。

「また会いましょう、ハーディさん」

「リラ。君となら何度でも」

 そうして旅人達は、密やかに親愛の笑みを交わした。




(終)

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