夕暮れの白いうさぎ
〇×●







 その遊園地には、ずっと昔から赤いオーバーオールを着た白いうさぎの着ぐるみ――いわゆるマスコットキャラがいた。幼い頃に見たそれはとても巨大に映ったものだが、中学生になった私には、もはや暑苦しい存在に成り下がっていた。
 私を含んだ友達四人で遊園地に遊びに来ていた私達は、一通りの絶叫マシンに乗り終えて、園内の端で控えめに鎮座していたベンチにぎゅうぎゅう詰めになって座っていた。

「あの風船、俺もらってくるわ」

 誰に言ったのか、友人の一人がぽつりと呟いて席を立った。彼の視線の先には遠ざかっていく白いうさぎがいる。
 手には六つの風船を持っていたが、どういうわけか周りを歩く親子や仲睦まじげな恋人達は白いうさぎに見向きもしない。
 まぁ……今のご時世では、あんな地味なマスコットはウケがよろしくないのかも知れないが。

 私は残りの友人二人に話しかけようとして、やめた。いつの間にか二人は付き合い始めたばかりのカップルのように、二人だけの世界で会話を盛り上げていた。否、事実彼らは男と女なのだから、これがきっかけとなるのかも知れない。
 どちらにしろ、二人の世界に土足で踏み込むほど私は野暮ではない。

「飲み物でも買ってくるから」

 言い残して私は立ち上がる。昼も過ぎて太陽に暖められたアスファルトは、私の足元を尋常じゃない熱気で攻め立てる。
 白いうさぎを追いかけた友人を首をめぐらせて捜したが、どちらの姿も人混みの中に消えていた。

 仕方なく一人で自動販売機を探し、人数分の飲み物を買って元の場所に戻った時は、すでにかなりの時間が過ぎていた。にもかかわらず、ベンチには二人しか友人はいない。その内の一人が私に気付いて礼を言ってきた。

「サンキュー……てか、一本多いんじゃないか?」

「は? 何言ってるの。私達四人で来たじゃない。ねぇ?」

 私は同意を求めて彼の隣に座っている友人を見た。しかし彼女は可愛らしく首を傾げたかと思うと、きょとんとした様子で自分の頬を掻いた。

「ウチら、もとから三人だったじゃん。もぉ、変なこと言わないでよね」

 その後も私は食い下がったのだが、友人二人はつるんで私を騙そうとしているというわけではなく、本気で『彼』を忘れているようだった。極めつけに『彼』の名前まで知らないと言い張る。私はもう平静ではいられなかった。彼ら二人も私のことが奇人として映っているに違いない。

 彼ら二人とそこで別れた私は、園内を二周も三周も歩き回り「彼」を捜した。生憎私は携帯を持っていないし、「彼」も所持してはいなかった。
 どれだけの時が過ぎたのだろう――。
 私の努力虚しく、結局「彼」を見つけることは叶わなかった。途方に暮れていると、そこへこの遊園地に雇われている清掃員らしき人物が近づいてくるのを目の端に捕らえた。
 私がこれだけ歩き回っても白いうさぎさえ見当たらなかったのだ。もしかすれば、「彼」は白いうさぎとまだ一緒にいるのかも知れない。一糸の希望に縋りたくて私は清掃員に声をかけることにした。

「あの、ここの白いうさぎの着ぐるみは今どちらに? 私の友人がそれを追いかけたまま戻らないんですが」

 すると清掃員は不審なものを避けるようなよそよそしい態度で、しかしはっきりと述べる。

「ここにはそんなものは存在しませんが……?」

 私は絶句するしかなかった。清掃員が去るよりも早く、私は駆け出していた。この不可思議な空間から逃げだしたい。ただその一心が私の足を動かしていた。

 おかしい。そんなことはあり得ない。確かに私は知っていたのだ、あの白いうさぎを。そして「彼」もまた白いうさぎを見たはずだ。
 自分の心臓がやけにうるさく脈打つ。私は途方も無い闇に追いかけられているような感覚に囚われて、ひたすらにこの遊園地から脱出することだけを考えた。
 しかしいくら出口へ向かおうとも、それは近づくことはない。それに加えて、普段あまり運動をしなかったツケだろう。喉が息を吸うたび焼けるように痛み始める。

 限界だ。
 私は立ち並ぶ土産物売り場へ逃げ込んだ。無機質な電子掲示板と派手な色使いの外装。
 研き込まれたガラスに手をつき、私は辺りの変化に再び愕然とする。土産物屋も、遊園地のモニュメントも、植えられた木々もベンチも、全て夕日色に染め上げられていた。
 人の気配は、ない。
 ただ息切れした私の喉がぜいぜいと悲鳴をあげる以外は、何も。

(そんな――いつの間に時間が経ったというの)

 ショーウィンドウの奥にある時計を覗き込もうとして――私は目をこれまでにないほどに見開いた。ガラスに映っているものは。
 ゆっくりと振り返ると、そこに白いうさぎがいた。そいつは七つある風船の一つを私に差し出してくる。ああ、なんて綺麗な、夕日色のうさぎ。

 欲しい。その風船が欲しくて欲しくてたまらない。私は風船に手を伸ばさずにはいられなかった。
 ドクドクと不気味に蠢くそれが愛しい。そうだ、「彼」もきっとこんな気持ちを抱いていたのだろう。

 私はゆらりとうさぎに近づいた。ショーウィンドウに映る自分の姿が、目前のうさぎと寸分違わないとも知らずに。





(終)

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -