手のひらを





 一歩進むたび、彼は背負っている彼女のことを思わずにはいられなかった。険しい道。獣が歩くような道は、薄暗く足元さえおぼつかない。登ったり下ったりの繰り返しは、人を背負ったクルスに玉の汗を浮かべさせる。
 しかしクルスが妙に感じたのは、その森の気配だった。ひっそりとしているのに、誰かに見られているようでならない。時折風が一陣吹き抜け、その度に木々は噂話をするようにざわざわと葉を揺らした。まるで生き物だと思わせられる。
 だいぶ時間が過ぎたのだろう。今まで息を潜めていた太陽がゆっくりと姿を現す。そこで彼は安堵の息をついた。視界に、望んでいたものが目に入る。
 ――村だ。小さな、それでいてどこか安らぎを与える村。そこは森の出口、というよりは、森の中にぽっかりと開いた空間のように思えた。
 ぽつり、ぽつりとたたずむ木造の家と、その周囲に広がる耕されたばかりの畑。なだらかな丘が連なり、その緑豊かな大地を、群れた家畜たちがのんびりと食んでいる。

 クルスがどの家を訪ねようか思案していると、ちょうど一件の家から、少女が桶を手に出てきた。年ごろは背負っている少女と同じくらいだろう。彼女はこちらを見るなり、心底驚いたような顔をして、薄茶の瞳にクルス達の姿を認めた。途端に持っていた桶を投げ出し、駆け足で寄ってくる。

「ユエ……っ!?」

 クルスもまたその様子に驚き、だか同時に安堵を覚えた。どうやら彼女たちは知り合いらしい。これで彼女に薬か何かが与えられる。クルスはそろりと気遣うようにして、背負っていた彼女を降ろし、まだ目を覚まさずにいる少女を、今度は横抱きにする。

「あなただったのね、ユエをたぶらかしていたひとは……!」

 やっと傍まで駆けてきた女は、クルスに向かって怒りの限りをぶつけてきたが、彼も負けじと言い返した。

「そんな事よりも、今は彼女を休ませてください」

 冷静な青年の言葉に、少女もハッとして『ユエ』と呼ばれた女を見る。彼女が今どんな状態なのかを悟った少女は、クルスの方を一瞥し、それから薄い茶色の髪を翻らせた。

「……こちらへ。私についてきて」

 クルスは素直に従った。何件か小屋を進んだ所で、薄茶の髪がまた揺れ、彼女は振り返る。

「私はミシェーナ。……あなたは?」

「クルス、というらしいです」

 今はそうとしか言えない。先を歩くミシェーナは少しだけ妙なものを見るような表情をして、肩を竦める。

「ユエに一体何をさせてたの? ここ最近、その子無理をしているようだったから、きっと何か隠してるんだと思ってたわ」

 ミシェーナはまだ怒っているらしい。どうやらそれはクルスだけに向けられているのではないようだ。
 彼女は、翠の髪を持つこの少女のことを余程心配していたのだろう。

「僕は彼女に、助けられたんだと思います」

 意識が戻った時、既に記憶は無かった。自らが負っている傷は、白い清潔な布で覆われている。とても、丁寧に。傍には『ユエ』がいた。たったそれだけだった。
 彼の一言に呆れたのか、はたまた言葉すらも出なかったのか、ミシェーナは何も言ってこない。クルスは辺りの景色をなるべく目に入れるようにした。
 村はとても質素でひっそりとした雰囲気をしている。こじんまりとした家々は皆年季が入っているようだ。
 風が静かに大気を揺らす。牧草の柔らかな匂いに彼は瞼を伏せた。

 前を行く彼女が、一件の家で足を止めたのはその時だった。





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