二章 人喰い守護獣 

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力任せでは開かない《祝福の塔》の扉が、ついに開いた。風が吸い込まれるように塔の中へ走っていく。
しばらく呆然としていたカノンだったが、はっとして塔の中へ足を踏み入れた。
しんと静まり返った塔の中で生まれる音は、カノンの微かな息づかいと、衣擦れの音。それと硬質に響く足音だけだ。
上へ上へと螺旋階段が続いている他は、装飾品など何も見当たらない。唯一、階段に沿って壁に設置されている蝋燭の火だけがゆらめいている。
小さな吹き抜けの窓が等間隔に並んでいるが、人が片腕を入れるのが精一杯の大きさで、とてもそこから出入りはできそうにない。
カノンは深呼吸を一つして、階段を上り始めた。いよいよ守護獣と対面すると考えると、胸の高鳴りを抑えきれそうになかった。
夜が訪れると、守護獣は塔の最上階で体を休める。夕闇に包まれ行く今もきっと、守護獣はそこにいるのだろう。

どれくらい上ったのだろう、息が切れ切れになった頃、やっと明るい階が近づいてきた。他の階はほぼ真っ暗で、どうやら使用されていないことを考えると、次で最後――最上階なのだろう。歩みを止めてしまえば、足が棒になってしまいそうだった。
意を決して、最上階へ足をかけた。それだけで全身が痺れうち震えた。清浄な神気に満たされた空間。心の全てを預けて眠ってしまいたい。そんな安らかな空気に、カノンは全身から力が抜けていくのをまざまざと感じた。
しかし、ここまで来て誘惑に流される彼女ではない。そして、視界の角にちらついた黒い影の正体を追った後、カノンは絶句した。

黒い影は、長い長い守護獣の尾であった。巨大な体は三日月のように丸められている。漆黒の体毛で覆われた体。細長い首には、これまた漆黒のたてがみが流れ落ちる。額近くには一本の角が見える。背中にたたまれているのは、一対の翼だ。広げれば天井どころか部屋の端まで届くだろう。
そして、すべてが漆黒でありながら、ただ四つ宝石のように輝きを灯す、黄金の瞳。
ただ、その瞳がカノンを映すことはない。じっと己の腹の方へ向いている。何があるのだろうと、無意識に近づこうとして、もう一つの気配に気がついた。

「あなた、どうしてここにいるの……」

壁を背にもたれて立っていたのは、先程去ったはずの少年だった。《祝福の塔》に夜入れるのは、守護獣と祝福師のみのはずだ。

「やっぱりあなたは、祝福師だったの?」

「 そんなことはどうでもいい。それより、あんたは逸らせない事実を見なければならなくなった」

少年は鋭くそれを睨む。
守護獣の腹の周辺には、たくさんの花が敷き詰められていた。どれも枯れることなく、美しく自分を保っている。その中央、守護獣に抱かれるようにして華奢な女性が眠っている。カノンと同じ祝福師の制服から、青白く細い手首が伸びる。腰まで広がる柔らかな金の髪が、緩やかに波を描いていた。だが、同じく金色の睫毛に縁取られた瞳が開かれる気配はない。小さめで品のいい唇も、まるで息づかいが感じられない。

「アリアさん…………?」

幼いころから憧れ、温めてきた思い出の中の女性へ呼びかける。
何か、気持ちがわるい。
それは祝福師であるカノンだからこそ覚えた感覚だ。彼女は細く息を吐いて、迷わず自分に平手打ちをした。
瞬く間に空間が揺めき、アリアが眠っていた場所に、今度は小さな骸が鎮座している。
明らかに人の形をしたそれに、カノンは本能的に理解してしまった。

「 ジーク……ああ、あなたは」

そうまでして、その祝福師を、アリア・グローリーを、愛していたかったのか。





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