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エピローグ〜ゆりかごの中で〜
《陽月》が過ぎ、最も長い季節である《栄月》が巡り来る。
木漏れ日を揺らす穏やかな風。木々の間で小鳥達は美しい音色をさえずる。
青年は慣れた足取りで迷うことなく森を進む。それほど時間をかけずに、彼は求めていた場所へたどり着く。
そこは陽の光で包まれた小高い丘だ。青々とした草が朝露を身に纏い、陽光を浴びてきらびやかな宝石のように輝いている。
丘を登りきると、短い文字が刻み込まれた墓碑がたたずんでいた。
墓碑の周りに寄り添うようにして白い花が点々と咲いている。
青年は墓碑の前で片膝を折る。そうして祈りの言葉を呟いた後で。
「……ユエリアは、これで良かったんですか?」
鳥達が枝から一斉に飛び立ち、終わりを知らない空へとはばたいていく。
ゆらり、ゆらりと舞い降りていく、しなやかな真白な羽を。伸ばした両手の中に受けとめたのは。
「正しいのか、間違っているのかなんてあたしには解らないわ。それでもあたしは、あたしが信じる道を歩こうと思うの。……クルスがそうしてきたみたいに」
風が彼女の手におさまっていた羽を攫い、遠く空へ運んでいく。
墓碑の向こう。限りなく青く澄み渡る空を背にして。
丘に立つユエリアは微笑んだ。
***
ユエリアはクルスの隣に座ると、思い出したように編み籠の中から小瓶を一つ取り出した。
「これを国王陛下に。《月光白花》と、他にも疲労や痛みを緩和してくれる薬草を煎じてみたの。少しでも楽になればと思って」
クルスは小瓶を受け取ると、壊れ物を扱うかのように手のひらで包む。
「ありがとう、ございます。……ユエリアの方は、もう何ともないんですか?」
「……ええ。大地の朋としての力をなくした以外は、何ら変わりないわ」
豊穣祭の夜。
ユエリアの体は一度終わりを迎えた。最期に見えたのは、自分の腹を貫く剣だったはずだ。
ところが、ふと次に目覚めた時、貫いていた剣はみるみる内に朽ち果て、終には錆びた塵となっていった。
並々ならぬ驚愕の表情を浮かべたクルスに、抱き起こされていると気付いたのは、その直後。
彼は泣きそうな声で言葉を漏らした。
『子守唄が、聞こえていたんです。何度も、何度も繰り返し』
ああ、それは大地の囁きだ、とユエリアは思った。
「……。クルスは、あの時の子守唄がまだ聞こえる?」
「聞こえますよ。たまに、ごく小さくですが」
「そう……」
彼女は切なげに呟く。大地は、ユエリアに何も囁いてこなくなったから。
あまりにも静かな世界だった。体の一部を失ってしまったのと同じだった。
(いいえ、あたしはやっぱりあの時に死んだんだ)
溶かされた命を大地が別の命に創りかえる。だから今のユエリアは、彼らから新たな命を授けられ、ここにいる。
以前の彼女はもうどこにもいないのかも知れない。
ユエリアは点のように小さく見える墓碑に刻まれた名前を思い起こす。
――デュリオン・エイテージオ
(ひょっとしたら、あたしもあの男のようになっていたかも知れない)
悪しき心に囚われ続けていたならば、ユエリアは否定できなかった。
哀れな男。デュリオンの夜色の髪は偽り。
男は大地の朋の証をもって生まれながら、力を授けられることはなかった。
染め粉に侵された醜い翠髪。彼の髪が本当はどんな色をしていたかは、誰にも分からない。
自分を偽ってまで男が手にしたかった世界。いつか歪んでしまった願い。どんなに強さを求めても、権力をほしいままにしても、男は最期まで孤独だったのだろう。
「そういえば、クルスが捜しているヒアってひとは、見つかった?」
「いえ。王都には痕跡すら残ってないですよ。もうこの国にはいないかも知れませんね」
デュリオンに染め粉を渡していたのはヒアだろうと、クルスは言う。
ヒアはどこまでも得体の知れない存在だった。デュリオンの部下でありながら、ユエリアの命を繋いだこともあった。さらに、クルスを脱出させる手引きをしたのもヒアだったそうだ。
おかしなことに、街でヒアを知る人物は誰一人としていない。
ヒアは最初から、こうなることを予知していたのだろうか。それとも――。
(ひとではなかったのかも)
少なくともユエリアはそう思うことにしている。
クルスの手がユエリアの手に重ねられる。肩が触れてしまいそうな、距離。
「ユエリア。この間ティーオという少年が城にやって来て、あなたにお礼がしたいと僕に言ってきましたよ」
「え、ティーオが? どうして」
「それから子守唄が聞こえるのは、どうやら僕だけではないみたいですよ。最近王都でその子守唄を唄う歌人がいて、興味本位で聞きに行く民もいるとか」
「うそ……」
ユエリアは思わず身を乗り出してクルスの腕を握りしめる。彼は柔和に目を細め、ユエリアの翠髪を指に絡めた。
彼女は力を失って尚、証を身に宿している。
「この国は少しずつ変わり始めていますよ。ユエリアが変わったように」
豊穣祭の奇跡が噂となっても、異端人という認識は、人々の間に根強く張り巡らされている。
それでも諦めない限り。恐れない限り。
「クルス、あたし、」
このもどかしく、おさまりそうにない気持ちを、どう伝えよう。
ユエリアは潤んだ瞳を隠すこともせず、クルスの肩に頬を寄せた。服ごしに彼の温もりを感じる。
「ユエリア、僕を見て」
「待って、もう少しだけ……」
「……仕方ないですね」
言うが早いか、クルスは彼女の頬を両手で包み込んだ。有無を言わせない強さで彼の方へ向かされる。
艶やかな熱を秘めた紫の瞳が。
形の整った薄い唇が。
近づくほどに、鼓動は激しく、甘い痛みを告げる。
ユエリアは耐えられず瞳を閉じた。
「ユエリアー! またここにいたの……って、クルスさんも?」
ミシェーナだ。
村に戻るのが遅いユエリアに気をもんで迎えに来たのだろう。
動転したユエリアはクルスを思い切り突き倒していた。
「あ、その、ごめんなさい……っ」
ろくに彼の顔も見ずに、結局ユエリアはミシェーナのもとへ駆け出す。
顔だけでなく耳や首筋まで朱に染まっていては、到底ミシェーナに言い訳できないだろう。――否、全力で走ったから、という理由なら。
息が切れる。だが体は翼を得たように軽い。
(大地の囁きがもう聞こえなくても、)
曇り一つない空で鳥達は自由を唄う。
木々が風に枝を揺らせば、茂った葉がたちまちざわめき始める。
(あたしはこれからも大地とひとに語りかける)
まいた種は長い年月の果てにきっと目覚める。
大地という、悠久なるゆりかごの中で。
(fin.)
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