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存在の証を 01
「ユエ……あんた、百面相なんてできたのね」
寝台の傍らで、手拭いを桶の中の水に浸していたユエリアは、親友の言葉に首を傾げた。
ミシェーナは若さも相まって、すぐに熱が引いた。《月光白花》の薬湯を飲んで二日目だが、彼女の頬には健康的な赤みがさしている。
そろそろ身体を起こしたいと望んだミシェーナを、ユエリアが手伝い、そのついでにと額にあてていた手拭いを冷やしていたのだ。
そこへ、『百面相』ときた。脈絡があまりにもなく、ユエリアは困惑の色を示す。
「何か変な顔、していた?」
「変な顔っていうか、しかめっ面していたかと思えば急に赤くなるし。かと思えば青くなってため息つくし。……何かあったの? いや、あったんでしょう話なさい今すぐに」
寝台に上半身のみ起こし、保温の毛布は普段より二枚多い。病み上がりだというのに、彼女の眼光は子どもを叱る母親のそれだった。
ミシェーナは組んでいた腕を解き、指で部屋に一脚しかない椅子を指す。
座れ、という合図だ。
こうなってしまえば、ミシェーナは頑なだ。今逃げ出すことは容易い。しかしそれは、後が恐い。
諦めたユエリアは、椅子の向きを変えただけで近づくこともせずに座る。
ミシェーナの部屋は狭い。寝台と、書き物机と、椅子。そして彼女の身の丈ほどの棚。窓は壁際に寄せられた寝台から手の届く距離にある。
「別に、大したことなんてしてないと思うけど……」
ユエリアは、つい先日の夜の出来事を簡潔にまとめて話した。
「それ、大したことありすぎよ! あんたって本当、物騒なんだから」
呆れ混じりだが、突き放した物言いではない。彼女は結局、最後には受けとめてくれるのだ。
「でもそれでどうして百面相に至るわけ? まだ何かあるんじゃないの?」
「ないわ」
「嘘つかなくていいから」
ミシェーナには、実は最後の部分だけ話していない。ユエリアは彼女から目を逸らすことなく、裏返りそうになる声を抑えた。
「そんなことない。大丈夫よ」
あの日。彼女の名を呼んだクルスは、瞼に掠めるように唇を落とした、のだとユエリアは理解していた。
その後はおぼろ気にしか覚えていない。彼の胸を思い切り、殴る勢いで突き飛ばしたのは覚えている。そして脱兎のごとく小屋を抜け出した――。
「…………」
「…………」
二人はしばしの間、黙りを決め込んだ。ミシェーナの表情は険しい。が、やがて彼女は丸い薄茶の瞳を緩めると、肩を竦めた。
「何もなかった、っていうのね」
「そう言ってるのに……。お茶でも用意する、待ってて」
これで話は終わりのはずだ。ユエリアはお茶をいれようと腰をあげる。扉の蝶番を捻ろうと手を伸ばすと、まだ触れていないにもかかわらず扉が開いた。
「失礼します。具合はどうですか……と、ああユエリア」
扉の隙間から顔を覗かせたクルスは、微笑を浮かべ、ユエリアの脇を通り過ぎる。ユエリアは、彼と目を合わせることが出来ずに、咄嗟に逸らしていた。
薬草師に頼まれてもいないのに、彼はミシェーナのために果物を用意してきたらしい。二人の会話はいつも通りのものだ。
何故だか急に居心地が悪くなって、ユエリアは二人に黙って部屋を後にした。
台所に立ち並ぶ戸棚から、慣れた手つきで茶花(ちゃはな)の入った筒を取り出す。黙々と作業しながら、彼女の思考は不安定に彷徨っていた。
(あんな風に、目を逸らしてしまうなんて。どうかしてる)
けれど思い出してしまう。あの夜のことを。
(あたしは、どうしたいの?)
後悔していない、と言ったのは嘘ではない。
憎しみをぶつけても、どうにもならないのだ。憎しみは哀しみに還るだけ。哀しみは新たな憎しみを生み出す種に過ぎない。
(もっと知るべきなんだわ。あたしだって結局、この森に引きこもってばかりだった。ずっと背を向けていたのは、お互い様だ――)
「熱っ!」
お湯を注ぎながら物思いにふけるのは良くない。ユエリアはそう反省して、零してしまったお湯を布巾で拭いた。
人数分のお茶をいれて再びミシェーナの部屋に戻ったユエリアは、寝台の端に腰をおろす。
椅子に座っているクルスとは斜向かいだ。目を合わせずに済む。
ミシェーナとクルスは、それぞれ彼女のいれた花茶――ユエリアの村では一般的なもので、甘い香りとさっぱりとした後味が特徴的なもの――を味わっているようだった。
会話はない。
花茶で心が落ち着いたところで、ユエリアは自分の意志を簡潔明瞭に伝えようと思った。
よし、と胸中で呟き、湯のみを膝の上に置く。
「あたし、王都に行くことにする」
ぶは、というあまり耳に馴染まない音がクルスとミシェーナから漏れる。
「……なっ、何よいきなり! ユエ、あんた熱がうつったんじゃ」
「ミシェーナ、手にまでこぼしてるわよ、お茶。拭いてあげる」
「あ、ありがとう……じゃ、なくて! さっきあんた、王都に行くとか何とか。私の聞き間違いよね?」
「ちゃんと合ってるから大丈夫。何ならもう一度言うわ。あたしは王都に行く。これでいい?」
ユエリアは湯のみを包む手に力を込めた。
しかし親友である彼女は、尚も食い下がる。
「……でもユエ。あんたは……」
「解ってる。この髪がどうしようもなく目立つことくらいは。だったら切るか、布で隠せばいいわ」
彼女は呆然と口を半開にしたままユエリアを見つめ続けている。
対するクルスは、黙ったまま目を伏せている。その彼の薄い唇が、小さく動いた。
「あなたが王都に?」
「別にあんたのためだとか、そういうのじゃない。あたしは、あたし自身の目で確かめたいの。どうして彼らが、あたし達と距離を置くのか。あたしは知りたい」
近いうちに王都では豊穣祭が始まる。その日は帆船で他国から訪れて来る者もちらほらいるのだと、ユエリアは聞いていた。
それに、ユエリアはなるべく大勢の人間を見てみたいと思った。
豊穣祭は嵐が過ぎたその三日後。嵐は西から東へ、つまりこの村から王都の方面へ移動する。あちらでは今頃が嵐の最中だろう。
クルスは湯のみを机に置くと、立ち上がった。
「分かりました。ただし、あなたは髪を隠さなくても大丈夫です」
「――――は?」
彼は微笑むと、お茶が美味しかったという感想を残して、部屋から出ていった。
その後ユエリアは、彼の言葉の意味をすぐに理解する事になる。
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