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悲しみの消えた空で 04
「どうしてこんな無茶をしたの」
クルスが無事村にたどり着いて開口一番、ユエリアはそう言い放った。クルスは薬草師の空き部屋の寝台に腰掛けている状態だったので、自然ユエリアを見上げる形になる。
彼女は日課の薬草採取を終えて足を運んだのだろう。手に両手で抱えられるほどの編み籠を下げて、こちらを睨みつけてくる。
「こんな無茶……と言われても。僕が村に着く前にいただいた鈴が壊れてしまったんですから、仕方がないというものです」
「魔力の調節が上手く行かなかったみたいね。もっと壊れやすくしておくべきだったわ」
「ユエリア、それは酷いです……」
彼女は籠から何種類かの薬草――クルスから見ればただの雑草としか思えない――を取り出すと、近くにあった陶器製の口がすぼまった壺に適当に入れる。
そして井戸から汲み置きされている水をその中へ注ぎ、部屋の壁ぎわで小さく炎を揺らめかせていた暖炉の火の中にその壺を置いた。
一連の行動からして、彼女は薬湯を作っているらしかった。ユエリアはどんな気持ちでそうしているのだろうと思うと、クルスは落ち着かない気分になった。
ユエリアは棚に背を預け、溜め息をつく。
「で、あんた、何か思い出したこととか分かったこととかあるの?」
「いくら丈夫でも、一晩雨に濡れ続ければ熱は出る、ということは分かりましたね」
微笑んで答えると、鋭く跳ね返される。
「ふざけないで」
「そう怒らないでくださいよ。……実は」
彼が王都での出来事を話し進めるにつれ、ユエリアはその瞳に影を宿していく。
クルスは迷った挙げ句、『異端狩り』についても口にした。すると彼女は唇を噛み締めて黙り込んだ。暖炉の炭が場違いな軽い音を立ててはぜる。
翠の少女は厚手の手袋をはめ、暖炉から壺を取り出し、中身を棚の手前にあった湯飲みに注ぐ。鼻腔から胸にかけてすぅ、と通るさわやかな香りが、今のクルスには苦しかった。
「……で、次はいつなの」
「はい?」
「だから、次はいつあたし達を狩りに来るのかと聞いているの!」
怒り狂っているのかと思われた彼女の瞳は、クルスの予想に反して今にも涙が零れ落ちそうだった。
「あんた、思い出したんなら分かるんでしょう?」
「それは……すみません。完全に思い出したわけではないので分からないんです。ユエリア……泣かないで」
言われて初めて気付いたのだろう。彼女は慌てた様子で涙を拭い始めるが、しかしそれは止まることを知らなかった。
クルスは腰を上げ、たまらず彼女を抱き寄せようとして腕を伸ばす。ユエリアの肩に触れそうだった彼の手は、しかし迷ったようにそこで動きを止める。
ユエリアが何かを呟いたからだ。
「……せに」
首を傾げてユエリアを見下ろしたクルスに、ユエリアは涙を拭うのを止め、真正面から彼を見上げた。
「あたし達の事なんて何も知らないくせに……っ。あたし達が何をしたっていうの!?」
「ユエリア」
「勝手に遠ざけてるのはそっちじゃない! 何が『異端狩り』よ。あたしからすれば、あんた達の方がずっとずっと異端に見えるわ」
「……ユエリア……」
嗚咽混じりの訴えは切ないほどの怒り。
「こんな、こんなことならっ!」
初めてだった。彼女がこんなにも感情を露にするのは。
クルスは彼女の柔らかな体を今度こそ抱き寄せた。そうしなければ、彼女が彼女でなくなる気がしたのだ。
驚いて体を強ばらせ、言葉を失っているユエリアの艶やかな翠髪を一房、指先に巻き付ける。そして彼女を覆ってしまうかのようにクルスは頬を彼女の額付近に寄せる。
「ユエリア。僕があなたに伝えたいことはそれだけじゃないんです」
「…………」
「僕はあの夜、確かに狩りの部隊の先頭に立ってここへ馬を駆けました。……けれどそれは間違いでもないし、だからといって正しくもないんです」
瞳を閉じて、記憶の断片に触れる。そこにはやはりどこか矛盾したところが幾つか散らばっていた。
仮にユエリア達を捕らえるのが目的だとすれば、何故彼らは豪雨の最中、あのように急がなければならなかったのか。急がずとも、ユエリア達は逃げたりしない。彼らがやって来ることを知らないのだから。
それにあの時彼の心中には、怒りはあったが憎しみという感情は一欠片もなかったのだ。
本当は『異端狩り』を口実にした、別の何かが目的だったのではないか、とクルスは思うようになった。それらの推測をユエリアに伝えると、彼女はクルスの腕の間から手を伸ばし、薬湯入りの湯飲みを掴んで彼の胸元に思い切りぶつけてきた。
「――離して。お願いだから」
綿毛のように吹き飛んでしまうのではないかと思うほど、彼女の声は弱々しかった。出会ったばかりの、あの冷たく突き放すような口調の方が嘘だったのでは、と疑える。
(いや、こちらが本当のユエリアなのかもしれないな)
クルスが腕を解くと、ユエリアは俯いたまま、こちらを一瞥することもなく踵を返して部屋を静かに出て行ってしまう。
しばらくして彼は湯飲みに入っていた薬湯を一気に煽った。それは冷めており、その苦さだけが鮮明にクルスの記憶に残る。
この時期は雨がよく降る。今は悲しみの消えた空で、嵐は息を潜めているのだ。
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