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人は謡う 02  










 村を囲む柵に寄りかかりながら、ユエリアは身体の強ばりを解すように一度大きく深呼吸した。そして息を吐き出すのと同時に、言葉を紡ぐ。

「異端と呼ばれているには色々理由があるわ。簡単な所から行けば、この髪の毛……翠色なんて普通目にしないでしょうね」

 彼女は指先で髪を弄びながら、そっと毛先を空に透かした。

「そして一番大きな理由は――」

 言いながら、ユエリアは地面に片膝を突く。瞼を閉じ、優しく大地に手のひらを添える。クルスの疑念の視線をありありと感じつつも、彼女は一切振り返らずに続けた。
 大地に語りかける。詩のように美しい旋律の言霊。今何が起こっているのか、クルスはきっと分からないだろう。だってこれは、『地使いの力』なのだから。

「あなた達は怖れているの。あたし達の、この大地を操る術を」

 言い終わるのとほぼ同時に、しなやかに忍び寄る木の根が離れた場所にあった岩――それも人が二人ほど腰かける事が出来る大きさ――を一瞬にして砕いた。岩はその姿を細かな屑へと変えて、もうもうと立ちこめる白煙が周辺を覆う。
 それはあたかも柔らかな果実を人が握り潰すかのように、容赦の無いもの。

「そして大地を操る者は皆、翠の髪を持つの。察しの良いあんたなら、それが人の目にどう映るか想像できるはず」

 それは時に恐れや憎しみとして。

「……」

「あたしがどんなに危険な人間なのか分かったなら、もう近づかない方がいい。……さっきみたいな風に、突然あんたを殺すかも知れないわよ」

 術の反動で身体が鉛のように重い。疲れを気取られないために、そして少しでも恐ろしく聞こえるよう意識して低音の声を絞りだす。ユエリアはけだるそうに立ち上がると、もう片方の拳を押し開きを小さな硝子の鈴を見せる。

「これがあれば王都へ最短距離でたどり着ける。決して肌身離さないように」

 瞬きを一つ、クルスは緩慢な動作でこちらに腕を伸ばしてきた。その表情は静かな水面のように無表情で。だからユエリアは、次に彼が鈴を受け取る以外にどんな行動を起こすのか皆目見当もつかなかった。

 頭に軽い衝撃の後、気付けば彼女はクルスの腕の中。耳を澄ませば相手の鼓動が聞こえるのではないだろうか。
 そこまで思考を巡らせて、ユエリアは慌てて彼の胸を押した。が、微動だにしない。一体何の悪戯だ。頬が熱い。燃え上がるように、熱い。

 彼女は怒りに任せてクルスの腕に爪を立て、効果が無いと分かると今度は身を捩る。しかし彼はユエリアを解放するどころか、さらに抱く力を強めた。
 脇から腰に回された腕はそのまま、クルスはもう片方の自由な腕で彼女の左手を封じる。反射で開いてしまった手のひらから、鈴が微かな音をたてて地面に転がっていく。

 彼の意図が読めない。ユエリアは頭一つ分高い位置にある男の紫の目を、睨みながらも状況に困惑する。

「この、いい加減にっ」

「だったら何故」

 被せるようにクルスが遮ってくる。

「何故、あなたは僕を助けたんですか。ただの気まぐれですか。それとも、見つけたまま放置したら、祟られるとでも考えたんですか」

「…………は?」

 静かに、淡々と。だが言葉の一つ一つに意志が籠もっている。質問の中身が掴めずユエリアは眉根を寄せる。
 何でもいい、この状況から抜け出せるのなら。彼女は早口にまくし立てた。

「あーそうそう、気まぐれよ! 良かったわね、運良く死から逃れられて! もういいでしょう早く離してよ暑苦しい」

「……そう言われると離したくなくなりますね」

「はあ!?」

「僕も気まぐれなんです」

「…………っんの、馬鹿力、男っ!」

 抵抗は続けているものの、腕力の差は歴然としている。さすがに息が切れてきた頃、見計らったようにクルスの腕が解けた。ユエリアは素早く後退り、若草色の瞳に嫌悪を滲ませる。
 だがクルスは何事も無かったかのように平然とした様子で、足元に転がっていた硝子の鈴を拾い上げた。

「一つだけ、言っておきますが」

「何よ、まだ何か言い足りないの」

 手のひらの上で朝日を鮮やかに反射する鈴。ユエリアの視線はそこに留まっていた。
 小さな小さな、それは。

「この鈴、以前夜に村を一周していた時に身につけていたものですね」

 ユエリアはその場で呆然と立ち尽くした。彼にその鈴を意図的に見せた覚えは、無い。先程までの怒りは風のように消え失せ、代わりに純粋な驚きが胸を占領していく。

「誰から聞いたの。ミシェーナ?」

「いいえ、誰からも。強いて言うなら僕は目が良いようなので見えてしまったんです。……え、そんなに睨まないでください、ユエリアに会った時にたまたま目についただけですよ」

「それが何。あんたには関係無い」

 言葉の刺で彼を突き放す。
 流れの主導権は彼が握っている。後に自分でも不思議に思うほど、この時のユエリアは焦燥感に囚われていた。

「ありますよ。この鈴、僕のためにわざわざ準備してくれたんでしょう?」

「だから――」

 怒鳴り声に近かったユエリアを遮ったのは。

「ありがとうございます、ユエリア」

 穏やかで、けれども揺るぎないクルスの一言だった。



 彼の手のひらに収まっている、小さな小さな鈴。それは内に大地の魔力を抱きながら、陽の光に揺れていた。