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星は煌めき  










 空はどこまでも蒼く果てしなかった。太陽の強烈な光をその身で受けとめてこそ、きっとそれは美しい。人為的に耕された大地は普段の地面よりも少し湿っぽく、彼女を柔らかく迎え入れてくれた。
 そしてその中に、それらと調和しないもの。艶やかな金の髪と、紫の瞳。

 ユエリアは腕の中にある食料を、目の前で汗を拭く男にぶちまけたい衝動に駆られつつ、どうにかそれを押し留めた。
 背を向けていたクルスは、鍬を地面に突き立ててから、背後の気配に気付いて振り返る。彼はユエリアを認めた途端に疲労など感じさせない笑みで、手を振ってきた。

「ユエリア! どうです見てください、綺麗に耕せているでしょう?」

 ユエリアが辺り一面を見渡すと、そこには見事な畑――まだ何も播いてないのだが――が広がっていた。彼女はクルスに苛立ちを感じていたことも忘れて、素直に目を輝かせた。

「す、すごい……!」

「そう言ってもらえて、良かったです」

 満足そうな声がすかさず横から飛び込んでくる。
 しまった。これでは、駄目なのに。
 ユエリアは次の瞬間がっくりと肩を落としていた。彼女はここに至るまでに、ありとあらゆる酷評を脳内で準備していたはずだったのだが。

「ユエリアも、毎日ありがとうございます。今日のお昼も楽しみにしてたんですよ」

「礼なんていらないわ」

「あはは、そんな風に照れなくていいんですよ?」

「…………っ!」

 彼女はぎろり、と音が聞こえてきそうな程の勢いでクルスを睨みつけた。だが青年は対して気にする様子もなく、穏やかに微笑んでいる。
 ユエリアは微かな頬の火照りを感じながら、同時に軽いめまいに襲われた。


 クルスがこの村に居候するようになってから、早くも数十日が経過していた。彼はその間村の農業や家畜の世話などを手伝い、さらには脆くなった小屋の修繕などもやってのけた。彼は元来器用な人間だったのだろう。大概のものは一度教えれば直ぐに理解し、身につける。

 何故彼がこのような行動を起こしているのか、ユエリアは師である薬草師から事情を耳にしている。確かに、今の村の状況を思えば、彼の存在はありがたい。比較的気候が穏やかなこの季節は、皆王都へ出稼ぎに行ってしまうのだ。
 だから、彼らが村に戻ってくるまでの間は残った村人だけで過ごさねばならない。そのほとんどが女や老人であるから、それはそれは大変な重労働な訳で。

「ユエリア」

「な、何よ」

 思考を優先していたため、何だか変に声が上ずってしまった。

「思い出したかも知れません、以前、僕が何をしていたのか」

 青年は真剣な眼差しでユエリアを貫いた。が、ユエリアは胡散臭いと言わんばかりに頭を掻きつつ、適当に頷いて先を促す。

「僕は……盗賊だったんですよ、きっと」

「…………。『今回の』根拠は?」

「やっぱりこの溢れる体力、でしょうか」

 似たような会話は日々繰り返される。それにしても、もっとまともな答えは思い付かなかったのだろうか。
 ユエリアは絶句した後、つまらなさそうに持っていた食料――お弁当をクルスに投げつけた。彼は難なくそれを受け取る。

「あんたみたいなのが盗賊だったわけないじゃない」

「あ、僕このパン好きなんですよ! ありがとうございます」

 彼はさっそくお弁当の中身を確認すると、今までの流れを無惨に断ち切った。
 本気で殴ってやりたいと思うユエリアだが、村のために彼は尽くしてくれている。仕方なく彼女はいつものように小屋へ帰ろうとした。

「ああ……そう。それは良かったわね。じゃああたしはこれで」

「ユエリア」

 背を向けた彼女の腕を、クルスが掴んだ。彼はいつもなら黙ってユエリアを見送るはずなのだが。

「たまにはお昼、ご一緒してください」

 青年は歳に似合わないような、無邪気な笑みを浮かべた。



 二人は近くの石壁にもたれて、楽な姿勢で座る。クルスはユエリアに果物を一つ手渡すと、自分はお気に入りのパンを一つ手に取った。
 そのパンは表面が白く、中は干した果物の小さな欠片で彩られている。赤、橙、黄、桃色――全てこの村と村を囲む森が育んだ恵みだ。それらが尚一層、パンの甘味を引き立てている。
 そうしてクルスが口に運んだパンは、まだほんのりと温もりが残っていた。

「これ、やっぱりあなたが作ってるんですか?」

「……何か文句でもある?」

「美味しいです、とても」

 柔らかく細められた瞳が眩しい。ユエリアは受け止めきれなかった。彼女はクルスから顔を背けると、先程渡された果物に齧りついた。昼食ならとっくの昔に終えていたのだが。そして彼もまた、ユエリアが食事を既に終えているのだということは、これまでの日々で知っているはずだ。

 二人はしばらくの間黙って食事を続けた。ユエリアは口の中で果肉を転がしながら、空を見上げ――ふと渋面をつくる。もうすぐ嵐がやってくるかも知れない。気候が穏やかになると気温も上昇する。
 不意に、クルスが彼女の名を呼んだ。

「僕は一体、どんな人間だったんでしょうか」

「……」

「ずっと考えていました。でもやっぱり、解らないんです」

 そう言って、金髪の青年は縋るような、或いは真実を探るような目でユエリアを見る。
 ユエリアは、首だけを気だるそうにクルスへ向けた。彼は白くなるまで握った拳を、もう一方の手で包み込む。
 彼はきっと初めから、この話をするためにユエリアを食事に同席させたのだろう。

 ならば、望みに応えて、さっさとこの場を離れてしまおう。

「あんたは馬と共に、崖の上から落ちてきたのよ。……たぶんね」

 ユエリアは淡々と語り始める。空を見上げたまま。

「馬はその時既に死んでいた。あんたの着ていた服は泥だらけ、所々破けていたから捨ててしまったけど、素材は――質の良いものが使われていたわ。少なくとも、盗賊なんかが好むようなもんじゃない」

「動きにくい服装だったんですね」

「いいえ、そうじゃない。服の色よ。濃紅色だった。おまけに金糸で複雑な刺繍もあったわね。あんな派手な服じゃ、《森の王》にすぐに目を付けられる。もし仮に盗賊がいたのなら、彼らはもっと目立たない格好をするはずよ」

「そ、そうですか……ところで《森の王》とは?」

 空が蒼い。その真中に、我を主張する太陽。
 彼女は何故かぼんやりしだした頭で、クルスの質問にほぼ無意識に答えていた。

「《森の王》は、巨大な猛禽類よ。この国では最大の生き物だと思う。私達人間なんて、彼らの前では鼠同然ね。あんたも記憶を失う前は、噂の一つくらい知っていたんじゃない?」

「鼠同然……」

「そういえばあんた、脇腹から背中にかけて傷があったわね。あれも、もしかすると……」

 黙り込んだ少女の言わんとしていることを汲み取り、クルスも唇を噛んだ。
 そして、彼は思考の淵である綻びにつまづいた。

「僕は、その危険を知っていながら、森に足を踏み入れたんですね。では一体、何のために」

 ユエリアも、その時ばかりはクルスを真正面から見据えた。互いに座っているから、いつもはユエリアが彼を見上げねばならなかったが、今は違う。

 ユエリアは細く白い腕で背後の石壁にそっと手を置いた。かと思えば、無駄のない動作で立ち上がる。

「あたし達を、」

 自然、クルスは彼女を見上げる形になる。日の光の所為で逆光となり、ユエリアの表情は伺えない。
 彼女はあっさりと、まるで他人事のように言い放った。

「殺しにきたのかもね」