夢は楽園の彼方へと

「そんなこと、言わないで。私は、あんたに生きてほしいの。一緒にいるから、離れないから、だから、幸せになろう……?」
 その目から流れる涙が、とても綺麗だと兼家は思った。

 捕虜を連れて、兼家は法輪寺へと戻る。出る前と変わらない妖怪たちの多さに、どうしようかと兼家は溜め息を吐いた。
 ちらりと、隣の彼女を見る。以前捕まえた捕虜だと気づかれぬようにと兼家の上着を頭から被せている。しかし、一人でいることの多い兼家の傍に、誰かがいるということを目聡く見つけるものがいないとも限らないし、更に彼女が人間だと分かれば気が立っている連中に何をされるかわからない。
 彼女の手を無意識に強く握る。一瞬、彼女は何か言いたげな顔をしたが、兼家は気づかない。意を決して、法輪寺へと入った。

「そういえば、名前聞いてなかったな」
 法輪寺へ戻るも、なんとなく居心地が悪くなり二人で外へ出る。そのとき、ふとした疑問を口にすした。すると、人間は今更気づいたのかというげんなりした顔をして答える。
「代野結、依代の代に野原の野と花結いの結」
 溜め息交じりに紡がれた言葉は、彼女の名。初めて告げられたことに、何となく嬉しく思い。小さく、ゆい、と呟く。その兼家の言葉に、彼女はこくりと頷いた。
「私は、内匠屋兼家。もう、知っているか」
 名前を告げただけなのに、穏やかな気持ちになる。外は、日が傾いており暗くなり始めている。強い風が体を冷やしていくが、心はほんのりとあたたかく感じた。

 法輪寺で過ごす日々は、驚くほど何もなかった。親戚たちも、自分たちのことで精いっぱいなのか兼家のことに見向きもしない。おかげで、傍にいる彼女のことを知られずにすんでいる。いつこのささやかな平穏が終わるかわからないが、ただ二人でゆったりと過ごすの時間は、兼家の心を穏やかにしていった。

 夜、目が覚める。隣で寝ている彼女に安心感を覚えて、再会したときのことを思い出した。
 生きてほしいと、幸せになってほしいと望んでくれた人は、二人目だ。一人は、とうに亡くなった母。二人目は、今隣にいる彼女。
 あのとき、一緒に死んでほしいと願ったとき、彼女は泣きながら、一緒に生きてほしいと言った。そのときは何も言えず、ただ彼女の顔を見ることしかできずにいた。ただ、母以外に、生きてほしいと心から望んでくれる人がいると思わず、嬉しいと、心の奥で思ったのだった。
 なんとなく外へ出ようと考え、起き上がろうとしたとき、隣にいる彼女が目を覚ました。どうしたのかと思案する。いつの間にか、外には明るさが出ていた。
 寝ぼけた声でどうしたのか問う彼女に、少し外へ出ようとしたことを言う。それに何かを感じたのか、兼家の服の裾をつまんで一緒に行くと彼女が言った。ゆったりとした動作で瞬きをする彼女に、無理をするなと返すが、彼女は頑なに譲ろうとしない。
 なら仕方ないと言うように、兼家はふいと彼女を抱き上げる。いきなりのことで驚いた彼女が何か叫びだそうとしてたが、寝ている人を起こさないように、静かに、と言うと、黙り込んだ。そして、そのまま兼家は外へと出た。

 人のいない通りは、静かで考え事をするのにちょうどいい。兼家の邪魔をする煩わしいものが一切ないからだ。普段ならば。
 兼家の少し後ろを歩く少女は、完全に目を覚ましたのか安定した足取りをしている。はぐれないように、互いの手をつないで。
 手から伝わる温かさが、兼家の思考をいつもと違うものへと変えさせる。本来ならそんなことは考えないはずなのに、今はただ二人で過ごすこの時間がずっと続いてほしいと思っていた。それ以外は、考えられなかった。
 だからだろうか。ぽつりと、兼家は言葉を漏らす。それは、今まで考えもしなかったもの。
 一緒に逃げようと、そのことを口に出した瞬間、兼家は自分が何を言っているのかわからなかった。あまりのことに、思わず足を止める。彼女も驚いてか、何も言わない。
 今のはなんでもないと振り返って言おうとした瞬間、彼女の顔に笑みが浮かんだような気がして。なぜだろうかと思っていた。
 彼女が笑ってくれるのなら、いいのだろう。そう思い、兼家は意を決する。彼女とともに、生きるということを。
「西京都に、行こう。あそこは、こことは違って人と妖怪の差がないと聞いたから」
 これからお金とかを持って、今すぐ行こうよ。大丈夫、あそこにはいざとなったら頼りになる人がいるから。そう言って、安心させるように笑う。反応のない彼女に不安を感じたが、すぐにこくりと頷いてくれる。そして、優しい声で、一緒に生きようと、約束してくれた。
 そして、兼家は幸せな夢を見る。二人で、一緒に過ごす夢を。急いで準備しないとと意気込む兼家に、彼女はそんな急がなくてもと苦笑した。
 二人がともに生きようと、出雲を出ようと約束した日。この日は、烏滸大帝の命令に背いた帝一族の者たちが独断で白鷺塾と交戦し、法輪寺が攻め込まれる日だった。

 様子を見ると、先に行こうとしたとき。誰かに突き飛ばされて、倒れそうになる。先ほどまで自分がいた位置を見ると、彼女が誰かからの剣戟を受けていた。
 何が起こっているのかわからず、ただ茫然と彼女が攻撃を受けているのを見る。そんなに怪我をしたら危ないのに。今すぐ変わってあげたいのに、体は鉛をためこんだ様に動かない。
 誰かが来ることを願ったが、ここは人通りが少ない。
 彼女が相手の顔へ短刀を突きつけた後、こちらを振り返る。兼家の無事を確認したかったのだろう。まだ安心できないのに、彼女の顔を見ると兼家の心が安らいだ。
「兼家さん! 大丈夫で――」
 その後に続く言葉は、なかった。彼女の後ろから、誰かがまた刀を振るったのだ。前のめりで倒れる彼女を見た後は、何も考えられなくなり。気づいたら自分の持っていた刀を振るっていた。

 血のにおいが鼻につく。彼女を傷つけたものは、すでに黄泉の世界へと旅立っているだろう。
「嘘つき。一緒に生きるって、約束してくれたのに」
 兼家は、すでに目を閉じて意識を失っている少女に声をかける。目からは、涙がとめどなく溢れていた。
 愛してるなんて、言わないで欲しかった。叶わない約束なら、最初からしないで欲しかった。そんなこと、今更願っても遅いだけなのに。期待して、これ以上大切なものを失うくらいだったら、手に入れなければよかった。あの手のぬくもりを、もう一度知りたくなどなかった。
 ふと、彼女の物と思われる短刀が目に入る。手を伸ばして、そっと掴んだ。
「大丈夫、寂しい思いはさせんよ。私も、すぐそっちに行くから」
 だから、安心して。微笑みながら、彼女の頬を撫でる。そして勢いよく鞘から刀を抜くと、一気に刃を喉元へ突きたてた。

 

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