幸せはそこにありき

 倒れてから三日後、なかなか下がらなかった熱がなんとか下がり、立つことができた。長く臥せっていたため、違和感を覚えるがじきになおるだろう。
 まだ寝込んでいるとき、人間に何度かもっとちゃんとした食事をとれ、薬を買え、財布はどこにしまったなど言われた様な気がする。しかし、ぼんやりとしか考えられない頭では答えることができず、何ともいえない返事を返すことしかできなかった。
 人間に世話されたことに申し訳ないと思いつつ、傍にいてくれたことが素直に嬉しかった。握られた手のぬくもりを、思い出す。とても、優しかった。
 耳を澄ますと、台所のあたりから小気味いい音が聞こえてくる。人間が、何か朝食を作っているのだ。兼家の食生活のひどさに、自分がなんとかしてやると意気込み、兼家が臥せっている間に台所を占拠したといっても過言ではない。普段、なかなかちゃんとした食事をとらない兼家にとっては助かるものだが、どこから費用を捻出しているのか心配であった。
「ほら、できたで」
 いつの間にかできたのか、人間が食事を運んできた。目の前に出された食事に、目が奪われる。彩り豊かなそれは、栄養を考えられているのだろう。美味しそうなそれは、兼家の心を浮つかせた。
「美味いなあ」
 一口食べ、素直な感想を告げる。目の前で一緒に食事をとる人間は、こんなの当たり前のことだと言って食事を一気にかきこんでいった。
 よくわからないが、なんだか楽しいと、兼家は思った。

 捕虜には、離れの中を自由にしていいと伝えてある。この離れには、幸か不幸か見られて困るものも盗まれて困るものもない。そのため、自由にしても問題ないと兼家は思ったのだ。
 捕虜といっても、兼家は何をさせればいいのかわからない。とりあえず、適当に好きなことをやれと言っておいた。何をしなくてもいいとも、伝えてある。しかし、捕虜は部屋の隅を見るなり目を光らせ、掃除を始めた。一人で住むには広い離れは、ほとんど掃除などしていない。自室でさえ、隅々まで綺麗とは言い辛いものだ。
 まるで嬉しそうに掃除を始めた捕虜を、兼家は特にやることもないため見ることにした。忙しなく動く捕虜を、じっと見ている。彼女は気づいているのかいないのか、ただ体を動かしていた。
 数時間経ち、捕虜が抽斗の中を整理していると、何かを取り出した。それは、十字架がついているペンダント。あ、と声が出た。そして、彼女はこちらに振り向く。なぜ、こんなのがここにあるのかというような顔をして。兼家は彼女に近づくと、ペンダントを持っていた彼女の手から取り上げて自分で持つ。そして、ぽつりと呟いた。
「母上が、私に残してくれて、唯一残ったもの……」
 あとは、なくなってしまった。続く言葉は、唇が動くだけで音は発せられなかった。それでも、彼女はなんとなく気づいたのだろう。この家には、兼家の私物以外あまり置かれていない。
 なんとなく、懐かしくなって久しぶりにつけてみる。母の優しさを感じた気がして、捕虜からそっと離れた。

「なあ人間」
 呼ぶと、人間は振り返らずなあに、と答えてくれる。それだけで、なんとなく嬉しかった。
「今日の夜ご飯はなに?」
 兼家の問いに、それさっき聞いたやろ、という人間の呆れた声が聞こえる。知らなあい、ととぼけて言うと、仕方がないような声で、オムライス、という彼女の声がした。
 オムライスかあ、うまそうやなあ、と嬉しそうに言う兼家に対し、人間は鬱陶し気に邪魔すんなよ、という視線を投げかける。できるの楽しみにしてるわあ、と間延びした声で捕虜に言うと、兼家は居間で夕食ができるのを待った。
 暫く待って、人間はオムライスを持って今にやってくる。その顔はどこかげっそりしていた。出されたオムライスを見ると、そこにはすでにケチャップがかけられている。ご丁寧に、『ようかいさま』と書かれていた。
 気にせずそれを口に入れる。素直に美味しいと告げれば、人間は照れからこちらに向けていた顔を逸らした。
 これが幸せなのかもしれないと、なんとなく兼家は思った。

 昼のほんの少しの間、離れの一部の縁側に日が当たる。兼家は、よくそこで日向ぼっこをしていた。この日も、日がよく照っており気持ちよさに兼家は丸まって微睡んでいた。
 そっと、誰かが兼家の頬に触れる。それ気持ちよさそうに頬ずりしていると、手は頭のほうへと移動した。それはまるで母のようで。そっと、兼家は呟いた。母上、と。
 一瞬、兼家に触れていた手は離れる。しかし、すぐにその手は兼家の頭に触れていく。小さく、ごめんね、と言うのが聞こえた。

「なあ、あんた狭いところ苦手なん?」
 ふと、人間が言う。一瞬、なんのことか理解しなかった。
 そういえば、と兼家は今までの生活のことを振り返る。この離れで一番狭い場所といえば、厠くらいだ。そのときのことを思い浮かべて、はっとした。
「別にそんなじゃないし! そんなん気になるなら私が今から大丈夫だと証明させてみせるわ!」
 なんとなく、かっこ悪いと思われたくなくて見栄を張る。何も考えずに、口から言葉が出た。そして、捕虜の手を掴んで廊下の奥にある厠へと向かい、兼家はそこへ入った。
「今から扉を閉めるからな、大丈夫やから、狭いところがだめだとかそんなのはないからな!」
 勢い込んでいう。そして、扉に手をかけて思いっきり閉めようとした。
 しかし、あと数センチのところで止まる。それ以上扉は動かない。数分経っても、変わる気配がなかった。
「今日は調子が悪かったみたいや」
 ふう、とまるで運動したあとのように疲れた感じに出てきた兼家に対し向けられた視線は、哀れみのようだった。兼家は悟られていないと思っているが、彼女は理解したのだろう。これ以上言及されることはなかった。

 捕虜を豊楽院(ぶらくいん)へ集めると、大帝から仰せつかった。どうやら、大帝は捕虜を囮に人間側の頭領である鷺ノ宮を捕えようと考えてるらしい。
 大帝の命令は、絶対だ。ほとんど立場などない兼家にとっては、逆らうことなどできるはずがない。
 兼家は、何か言う捕虜を無視して豊楽院へと連れて行った。そこには見慣れた顔もあったのだろう、彼女は他の捕虜となった者たちを見るなり駆け寄って行く。それを面白くないような顔で兼家は見て、適当な場所にしゃがみこんだ。
 中には、捕虜となったもの以外に見張りの妖怪もいる。兼家も豊楽院の中に見張りとしている。これも仕事だと割り切って。
 兼家のもとへ戻ってきた捕虜は何か言いたげな顔でこちらを見る。それに対し、好きにしろと言うと、捕虜は困った顔をして隣にしゃがみこんできた。何か言うのかと思ったが、何も言わない。久しぶりに友人と思われるものと会っただろうに、どうしたのだろうかと思ったとき。彼女は、ぽつりと呟いた。
「あんたは、何がしたいん?」
 何の問いか、理解できなかった。何がしたいのか。兼家にはわからない。この豊楽院に彼女を連れてきたのは、大帝の命令があったからだ。それを言おうとしたが、恐らく彼女が聞きたいのは違うことだろう。考えあぐねいていると、彼女はいいや、と言って兼家の傍を離れる。
「ちょっと、みんなと話してくる」
 さっきも行っただろうに。その言葉を飲み込んで、彼女が去るのを見送った。
 やはり、彼女は人間のもとにいるほうがいいのだろうか。しょうもないことを考えながら、彼女を引き留める術を考えていた。

 

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