ひとひらこぼれたそれはなに

 冬の冷たい風が、瑠璃の頬をくすぐる。隣を漂っている幽霊は、近づきすぎないように一定の距離を保っている。
 ほう、と息を吐くと白く一瞬世界を染める。二月初めの寒さは和らぐことを知らず、立春を過ぎても春はまだ遠い。
「もうすぐ、バレインタインだね」
 玻璃が、楽しそうに言う。怪訝な顔で彼のほうへと顔を向けると、何が可笑しいのか肩を震わせた。
「お菓子を配り歩く日なんだって」
 バレンタイン。様々な書物を読んで、その単語は何度か見たことがある。しかし、バレンタインはお菓子を配り歩く日だったか。思い返してみるも、そんなものはない。再び玻璃を睨みつけるが、彼は気にせず続ける。
「僕も去年知ったんだけどね、天照では女の人が好きな男の人にお菓子を渡して愛の告白をするんだって」
 でも、人によってはお世話になった人にも渡したりするらしいよ。後に続けられた言葉に、瑠璃ははたしてそれでいいのかと頭を抱えたくなる。天照の、よくわからない行事の改変は今に始まった事ではない。考えないことにして、瑠璃は玻璃に続きを促した。結局彼が何を言いたいのかわからない。
「瑠璃ちゃんも、誰か気になる人とかいないの?」
 その質問に、瑠璃はげんなりした。玻璃は、事あるごとにいい人はいないのかとかはやく彼氏作りなよと言ってくる。
 荒神に所属しているため、瑠璃は結婚することができない。また、今はそういったものにうつつを抜かす気分もない。興味ないしそんな人いないと切り捨てると、玻璃は泣き真似を始めた。
 いつものことなので、無視をして足を進める。しかし、ふとかすかなことを思い出す。いつだったか、夢を見た。知り合いに似た誰かが、助けてくれたような気がして。ぼんやりとした記憶が、胸の奥に住み続ける。優しいその手のぬくもりは、今でも思い出せるのに、顔は、何故か霞がかかったように思い出せない。
 頭を振って、気にしないことにする。今日は、そんなことしてる余裕などないのだ。ある店の前で立ち止まり、瑠璃は一呼吸おく。週一回の楽しみとして、毎週金曜の夜、食事をとる場所。鶴亀亭。気合を入れて、瑠璃は中へと入った。

 十三日。いつも通りに、瑠璃は鶴亀亭へと出向いたのだが。今日は、いつもと違う。
 案内された席に座るも、落ち着きなくそわそわしてる。それを、近くにいる玻璃があたたかい目で見守っていた。
 慣れたように注文を聞きに来た店員に、いつも通りに答えようとして、噛んだりして。その様子は、やっぱり年頃の少女だなあと玻璃に感じさせた。
 食べ終わって、一息つき。何度も鞄を気にしたり、誰かを探すように辺りを見回したり。理由を知らないものならどうしたものかと思うだろう。しかし、明日の出来事などで察した人もいて、玻璃以外にも瑠璃に優しい視線を向けている人が何名かいた。
 なぜこうなったのか、瑠璃は先週のことを思い出す。確か、いつものように夕食をとっていたとき。青年が、いつものようにサービスをしてくれて。それを見た玻璃が思いついたようにお礼をしようと言って。なんのお礼か一瞬わからなかったが、すぐに思いつく。いつも、来たとき何かしら彼がサービスをしてくれるのだ。
 確かに何かお礼をしたいと前々から思っていたが、まさか玻璃が行事に絡めようとしてくるとは思わなかった。迷惑ではないだろうかと鞄の中に入れたお菓子のことを考える。いきなり、ただの客によくわからないものを渡されて、はたしてよいものか。ずっと悩み、結局玻璃におされて用意してしまった。
 意を決し、やっとの思いで立ち上がる。そして、会計のほうへと足を進める。そこには、先にいた客の会計を行っている青年の姿。思わず渋面をする瑠璃に、玻璃は他人事のようにがんばって、と言ってきた。
 先にいた客の会計が終わり、瑠璃の番となる。思わず声を裏返させてお願いしますと言ってしまったが、彼は気にせず会計を行う。先にお金を置いて、お釣りを用意してくれるそのとき。瑠璃は、鞄からお菓子を取り出して渡した。
「あの、これ、いつもサービスしてくれたお礼です……。えっと、買ったものですがよかったら食べてください、いらなければ捨ててくださっても結構なので!」
 最後のほうは早口になり、そのまま押し付ける。そして、そのまま走って外へと出た。何か言っていたが、瑠璃の耳には届かない。来週、また行けるだろうかと考えながら。お釣りをもらってないことに、気付かずに。

 

   

 


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