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水谷文貴。チームメイト。1年7組。
さかえぐち視点。







「おい、アホ谷」
「ふえ?」

いや、なに素直に返事してんだ。
聞こえてきた会話に心の中でツッコミを入れると同時、当たり前のように呼ばれた方へと振り返った水谷の顔面に、クシャリとそれは押し付けられた。

「ふぐっ?!何すん…っ…あ!?あー!!これっ!!?」

今度こそ文句を言いかけた声は途中で驚きと歓喜に色を変えた。
水谷が今両手で持ち、食い入るようにみつめているものは、何の変哲もないコンビニの菓子パンだ。少なくとも自分にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。
だけど水谷にとっては違ったようで、…どころか、格別意味があるもののようで、それはもう幼い子供のように瞳をキラキラさせていた。

刻は朝練終了後ホームルーム前、処は下駄箱を通過したばかりなり。

俺は彼らから少し遅れた位置から、他の野球部員や一般生徒達と同じくぞろぞろと移動しながらそのやりとりを見ていた。
おはよう栄口、とすれ違い様に声を掛けてくれたクラスメイト達に笑顔ではよ、と返す。


「それであってんだろ?」
「うん!うん!あってる!サンキュー阿部ぇー!!やればできんじゃん!」

水谷のはしゃぎように、登校時間特有の人ごみの中からいくつか、チラとこちらに視線が寄越された。
浜田さんを始めとした応援団の人たちのお陰で、俺たち野球部は西浦高校内においての知名度が非常に高い。それはもちろん野球部員全員で築いてきた戦績によるところもあるのだろうけれど、田島や水谷、それからなんだかんだで泉や阿部が何かと騒がしい、もとい賑やかなためによく注目の的となる所為でもあった。
不本意ながら、巻き込まれる形でそこに自分や花井の名前が連なることも少なくはない。
いつしか『なんだまた野球部か、括弧笑い』な文化が形成されつつあることを、我らが指揮官が知ったらどんな顔をするのだろう。

(怒るかな。いや笑うかなあの人は。てかモモカンだって、注目を集める原因のひとつだよなあ)

微妙な表情になりながら思案していると、不名誉な注目株のひとり、水谷文貴はさきほどの失言により阿部にウメボシを食らい、処変わって今は渡り廊下の主役となっていた。

「おまえらな…騒ぐのはせめて教室に着くまで我慢しろ」

主将であり、且つ目の前で小学生のような攻防戦を繰り広げているふたりと同クラスである花井が溜息を落とす。
水谷からは「だって阿部が、」阿部からは「おいコイツと同じ扱いすんな」とそれぞれから反論があがったが、花井はそれらには取り合わずふたりを追い越していった。

「チッ」
「あー阿部また舌打ちしたぁー、いくないよー?」
「うっせーよ…つかソレ、そんなうまいの?」
「え、阿部食ったことないの?ひとくちいる?」
「げろ甘そう」

花井の思惑通り、比較的静かになったふたりを横目に俺はお見事、と花井の隣に並びながら彼をねぎらった。

「ったく…仲いーんだか悪いんだか…」
「いいんじゃない?てか何あれ、罰ゲームかなんか?」

水谷の様子からあの菓子パンが水谷のお気に入り、あるいは大好物であろうことは察しがついても、阿部が水谷にそれを買い与える理由には、まさかならないだろう。

「ああ、昨日あいつ金なくてさ、」
「…って、どっち?」
「あー、阿部」
「へー」

階段を一段ずつのんびりと上る。いつもは慌しく二段跳ばしで駆け上がるところだけれど、今朝は時間に余裕があった。
踊り場を越えて体の向きが変わると、同じようにのんびりと階段を上ってくるみんなの姿が視界に入る。
茶色い髪が少し目立って見えた。

「めずらしいね、財布忘れたとか?」

なんとなく茶髪をみつめたまま花井へ返事をすると、
ふ、と視線の先の顔が上がって。
水谷と目があった。

(あ、ちがうぞ、おまえに言ったわけじゃ、)

一瞬慌てる、が水谷はただ、にぱ、と笑うだけだった。
思わずつられて笑い返す。
隣にいた巣山も水谷にならってこちらに視線をあげたけど、すぐにそれは元に戻って阿部を含めた三人での会話が再開された。
どうやら俺の声が水谷たちに届いてしまったわけではなかったらしい。
ちょっと、びっくりした。


花井によると、阿部は財布を忘れたというよりは、その中身の補充を忘れていたらしい。
朝練前に立ち寄ったコンビニでそれに気がついた阿部はなんとか少ない残金でその日一日をやり過ごそうとしたらしい、のだが。

「結局足りずに水谷から借りた?」
「いや、水谷の昼飯を強奪した」
「ぶっ」

思わず噴出した。
さすが阿部。水谷に対しては安定して遠慮がない。

「そしたらどうも、選んだパンがまずかったらしくて、…ってアレな、味じゃなくて、」
「あ、うんオッケ」

駄洒落染みたことを言ってしまったと思ったのだろう、花井が慌てて訂正を入れる。
からかう絶好のチャンスだけれど、今は意地悪しないであげよう、と「それで?」と促した。
続きが気になる。

「水谷のやつ、やれ超楽しみにしてたのにぃーだの、俺の一日の楽しみがぁーだのって、もう煩いのなんの…」
「あっはは!」

大袈裟なほど悲観した様子の水谷が容易に想像できる。
でも何より、この場合水谷は完全に被害者なはずなのに、この言われようはまるで立場が逆じゃんか。
そういうところが水谷だなあ、と俺はもう一度ちいさく笑った。

「なるほどねー。それであの阿部が水谷のパシリかあ」

口調はあえて花井にあわせておく。
俺はもちろん、花井も他のみんなも、こう言ってはなんだが阿部でさえも、水谷を嫌ってる…なんてことはない。
まあうざいとか空気読めだとか色々言うけれど、心からそう思ってるわけではないのだ。たぶん。…うん。少なくとも俺はそうなのだ。

水谷文貴という男は、いわゆる、いじられキャラだ。
そして野球部の調和を保つ上で、すごくすごく重要な存在だ。
俺は密かに水谷をそう認識していた。

もう一度踊り場を越えた時、今度は意図して水谷を視界に探すと、彼はさっきよりも遠くでお腹を抱えて大笑いしていた。
巣山も、阿部まで肩を震わせて笑ってる。
なんだ、どうしたおまえら。

(…いっか、あとで巣山に聞こ。)

水谷はよく笑うやつだ。
アイツの笑い声や紅潮した顔から、なんだか笑顔が伝染してしまう。
だけど別段悪い気はしないので、素直に持ち上がった口角はそのままにしておいた。

「おーい、そろそろ予鈴鳴んぞー、」

いつの間にか階段を先に上り終えていた花井が、いそげよー、と階下にまで届くように声をあげる。
それに顔を上げた水谷と、またぱっちり、目があった。
だけど水谷は今度はにっこり笑うことはせず、

「さかえぐちっ、ちょとっ、聞いて聞いて!あんね、ブふっ、ブラジルっ…!」
「っ、だっせ、ツボってやがん、の、」
「はい、阿部ブーメラン入りましたー」

巣山の追い討ちに水谷がまた爆笑する。

「おおーいブラジルがどうしたー。ブラジルになにがあったんだー」
「ぶふはっ」

手すりに掴まりひいひいと肩で息をしている水谷と、そんな水谷の背中をぱしんと力なく叩いて肩を震わせる阿部を見下ろしながら、やっぱりあいつら仲いいよなあと思う。
ふたりを置き去りにして先に隣まで上ってきた巣山に行こうぜ、と誘われたので、それに頷き返してから、もう一度階下のふたりへ視線を戻した。

「見捨てないで、すやまぁ!あべ、阿部が笑いじんじゃう!あ、しゃかえぐひっ、」
「!ふっ、」
「ぶはっっ」

水谷が謀らずも俺と阿部を笑い地獄へ突き落としたと同時に、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
ああなんだろ、なんか今日もいい一日になりそう。
ほんと、水谷って、









おもしろいやつ!
「あ、巣山ぁ、今日一限なんだっけ?」
(2015/02/10)
3年ほど寝かせていたのでたいへんな発酵ぐあい…
本当はここから自覚編に移る予定でした。
ところで教室への道順描写は完全に妄想の産物です。


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