自由な時間って、実は一番自由じゃないよね、勢いよくエンターキーを小指で叩いてキーボードから手を離す。小刻みに規則正しく聞こえる機械音がゆるゆると私の背後を流れ続ける。先日交わした女友達の台詞が頭に浮かぶけれど、気付かないふりをして無理矢理削除する。味気ない機械音はまだ規則正しく鳴っている。

今日は折角の休みでおまけに久々の快晴ときているのに、私はいつもの仕事場で無機質にキーボードを叩いている。周りを見渡すと、出社時よりも予想外に人が増えていて多少驚く。もっとみんな人生を有意義に過ごせばいいのに。開いた携帯の液晶画面には何の表示もない。無機質な深緑の画面を見つめると、角膜の奥が乾いていくのが分かった。それでも一滴の涙も出ない。

今日は折角の休みでおまけに久々の快晴ときているのに、私は家にひとりで過ごすことが出来なくて、今日も仕事場にいる。昨日送ったメールの返事はまだ帰ってこない。送った相手はなにしてるのかも、なにを考えているのかも私には分からない。

乾いた瞳が悲鳴を上げて私は小さく荷物を纏めて外へ出た。白くて清潔な壁の囲いから逃げ出す。緑が溢れるこの町には、不必要な程人が溢れている。

先程開いた画面を今開いても代わりがないことくらい、誰だって分かりそうなものなのに条件反射のように勝手に親指が画面を開いてしまう。変わらず見つめる深緑の画面の裏で、幸せそうなふたりが笑い声を立てて通り過ぎていく。

メールの送り先は今はきっと空っぽだ。私の知らないところで私の知らない誰かさんが増えていく。私は彼の知らない私を作り出せていないのに?

どうしていたんだっけ、ひとりだった頃は。開いた画面に新しいメールを送りつけますかどうしますかと問う深緑色の親友に少しだけ待ってと情けなくせがむ。いいのかよ、奴は今もお前の知らないところで知らない自分を増やしているんだぜ?お前が増えようが増えまいが塵ほどの興味も持たずに。彼がそう言い終わる前に鈍い悲鳴が上がった。

「あ、すみません」

携帯、大丈夫ですか?眉尻を下げて申し訳なさそうに謝る若い男の声で私はようやく我に返る。いえ、お気になさらず、私は大丈夫ですから。ちらちらと盗み見るような人々の瞳から逃れるようにして、情けなく転がった親友をそそくさと拾い上げて足を速める。行き交う瞬間、責めるような彼女と目が合った。あなたの方が悪いでしょ。そう語る非難の目から逃れたくて仕方なくて私はとっさに開いた扉の中へと親友を胸に逃げ込む。閉まる扉の音にを驚くほどに安堵を感じる。

とたんに落ち着いた店員の挨拶の声と甘い匂いに包まれた。静かに緩く流れるBGMの中で、人々が想い想いに流れていく。懐かしい匂い、懐かしい心地。

私よりずっとずっと緩やかに流れる空気の中で、固まっていた身体がほぐれていくのが分かった。落ち着いたオレンジのソファー。淡いベージュのクッション。少しだけくすんだ藍色のカーテン。

ああ、そうだった、ひとりのときは、わたしは自分ひとりと向き合えていた。例えば誰かに振り向いて欲しくて必死になる自分も、そんな自分を傷つけまいと無関心を着込み続ける自分も、それでもこうやって健気風に可憐風にメールの返信を待ち続ける自分もどこにも居なかった。

おかしいな、わたしは新しく増えた彼とわたしを一緒に見て、笑って、そうやって日々を増やして行きたかっただけなのに、どうしてこうも上手くやれないんだろう。

男が出来るとあなたはだめね。女友達の厚ぼったい唇がなおも私を責める。ひとりの時の方がよっぽど「生きている」感じがするのに。グラスに残る口紅の跡を指で拭き取って彼女は笑みを浮かべる。女ってなんでこんなに強いのかしらね。

女ってなんでこんなに強いのかしらね。ほんとうに。私は一面にひび割れて傷ついた親友に向かって笑みを溢す。さよならしよう、大丈夫、笑って生きていけるわたしが今なら、作り出せるから。




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