「今日も特等席ですね。」
「……こんな夜遅くに来るたァ、夜這いか?」
「違います!もうッ。こんな遅くまで外にいたら体冷えちゃいますよ?」









 攘夷戦争真っ只中。

 忌々しく不気味に光る刃が、いくら血に濡れようと、涙に濡れようと、今宵の枝垂れ桜は美しく風に靡く季節だ。こんな景色には似合わない、遠くから流れ込む微かな煙の匂いが、今もなお尊い命が散っている印なのかもしれない。
 それが国のためであろうと、愛する人が待っていようと。








「あまり部屋から出歩いちゃダメですよ?包帯が緩んでしまいますし。」
「お前の包帯の巻き方は堪能だ。今までどれだけの怪我人を相手してきたんだか知れねえなァ。」
「私にも分からないくらい、沢山の方の怪我を見てきましたよ。貴方のように、医師の言うことも聞かぬほど元気な方もいれば、私たちの声が届かぬまま息をひきとる方もいます。」




 晋助さんはそんな方たちに比べれば、まだ幸せな方じゃないですか。なんて笑って見せると、そうかも知れねぇ、なんて息を漏らすように小さく笑って見せた。

 煙管から漂う紫煙が、彼の吐息でゆらりと揺れている。彼に私の声なんて聞こえているのだろうか。

 そりゃ聞こえてはいるだろうけれど、夢現というかなんというか、私には見えない何かを、遠くに遠くに見据えてるような気がした。






「綺麗、」



 自分にしか聞こえないほどの小さな声。

 月明かりが照らす彼の顔は美しくて、淡い光を浴びる紫色の髪は、何か魔法にかけられているかのように艶やかで、思わず見惚れてしまう。
 彼も一人の患者なのに、変な話だ。見惚れてしまうなんて。










「ボケっと突っ立てねぇで、座ったらどうだ。」


 ぼんやり彼と景色を眺めていれば、私の間抜けた立ち姿に痺れを切らしたのか、自分の隣をトントン叩きながらそう言った。

 彼の隣。少しだけ嬉しかった。
 




「ねえ晋助さん。桜、綺麗だと思いませんか?きっと知らないんでしょうね、こんな世界のこと。何とも思っていない。」
「知らなくていい事も、見なくていい事も、腐るほど知ってきたし、見ちまった。戻れやしねェさ、時間も、記憶もな。」


 こんなに儚くて、消えてしまいそうな表情出来るんだな、この人は。
 そんな彼の言葉に、何か重くのしかかる錘のようなものがあった気がしたけれど、あまり触れてはいけないような気がした。





「…でも、何でも知ってる私たちが不幸なのか、何も知らない桜が不幸なのか、分からないものですね。」
「ああ……まあ、でも、お前と知り合えたことくらい、良いことだと思って過ごすのも悪かねェだろうよ。」
「ふふ、口説いてるつもりですか?」
「医者との恋も刺激があるってなァ。」



 銀時が喜びそうな話だ、と。たまにその名前を出す彼は、とても楽しそうだった。以前、銀時とは誰なのか聞いた時は、犬猿の仲だなんて言っていたが、嘘にもほどがある。イヤよイヤよも好きのうちとはこの事だ。
 そんな素直じゃないところも、なんだか放って置けないのかも知れない。
 



「晋助さんも、医者と恋なんてしてみたらどうですか?」
「何言ってやがる。」
「あら、ごめんなさい。ほんの冗談ですよ。」




 そうだな、なんて言ってくれないのは百も承知、千も承知と言うところだ。
 別に期待していたわけじゃない、分かっている。戦場に戻れば彼をもう目にかけることなんて、こんな風に並んで桜を見ることなんてない。

 桜を見て、きっとあなたを思い出すことしかできない。
 なんて切ないんだろう。こんな刹那に生まれた気持ちは、きっと貴方の所為ですね、なんて。




「なあ波瑠。」
「なんですか? 」
「お前は、何かを失った時、それをきっかけに自分を見失ってしまいそうになる時、どうすればいいと思う?」
「あえて言うなら、時に身を任せる、ですかね。何も出来なくなる時は、何もしなくていいのだと思いますよ。」
「…そうか。俺ァまだまだ馬鹿げた考えしかできないらしいな。」
「え?」




 不思議な問いかけの答えに、彼は嘲るようにククッと喉を鳴らして笑った。恐らくそれは、自分に対しての事なのだろうが。

 何も分からず彼の笑った顔を見つめると、傷のない左手で私の顎をそっと上に傾け、瞬間に、私の唇は彼に奪われた。

 奪われたなんてずるい言い方は良くないのかも知れない。
 奪うと言うには、あまりにも優しくて、暖かくて、あなたの体温を感じられた、一瞬に思えてとても長い時間に感じた。
 目を開けば、今までで一番優しい顔をした貴方がいる。





「晋助、さん?なんで、」
「帰ってくるかなんぞ分からねェが、もし俺が迎えにきたら、一緒に来てくれねえか。」






 帰ってくるかなんて定かじゃない、良い知らせがくるのも、悪い知らせがくるのも、毎日怯えながら過ごさなくてはいけない。
 こんなにも嬉しいはずなのに、これが求めていた事だったはずなのに、これ以上に恐ろしいことなんてなかった。
 





「…ほん、とに、馬鹿なんだから。」
「ああ、分かってらァ。もし俺が死んだとしても、テメェはテメェの時間を生きれば良い。ただ、俺が生きていたら、」
「死ぬなんて言わないで下さい。貴方はきっと、私を迎えに来ますよ、信じさせて下さい。貴方がここにいる間だけでも…」
「馬鹿言うな。死ぬなんてヤワなことはしねェ。だからまだ、大切な言葉は取っておかせてくれ。」







 静かに目を閉じて、ああ、ここに貴方がいる。
 貴方の温もりがある、そう思えるなら、私は何も怖くない。だから、私は貴方を待ち続けるに違いないだろう。あと何年待てばなんて分からずともだ。








「それなら、私は貴方が死ぬ前に、その言葉を伝えておきますね。聞き逃さないで下さいよ。」





 
 私の愛はあなたのそばに。それをどうか、







「愛していることを、忘れないで。」








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