夕暮れが池袋の街を赤く照らしだす。並んだ二つの黒い影。
二つの影の隙間を冷たい風が突き刺した。


(.........冷たいよ、シズちゃん。)


自分よりも一回り大きな手に触れようとして、やめた。でも、それでもいいから、もう二度と触れなくてもいいから、
ただシズちゃんの傍に居たかった。こんな冷たい時間でも、止まって欲しいと思ってた。


(大丈夫に決まってる、.....喧嘩してすれ違うのだって初めてじゃないじゃないか。....だから、大丈夫。きっと、また....っ)


些細なことで言いあう毎日。それは殴り合いの喧嘩ではなくて、ほんのささいな言いあい。
シズちゃんと俺の間にある、深い深いキズ。それは確実に俺の心までも抉っていった。
体の傷なら、まだよかったのにとこの頃思うようになった。戦争とも言えよう喧嘩をしてたときは、絶えず体にあった数多の痣。
恋人、と呼ばれる関係となってまもないころはまだ殴り合いの喧嘩もしてた。
紫色に変色した肌に触れて、いつもシズちゃんは申し訳なさそうな顔をして、一言ごめん、と呟いて___
でも、今はもう触れてくれさえしない。殴ってもくれない。俺の体に痣はもうない.....シズちゃんがつけたものは、なにもない。


「......なぁ、臨也。」

「な、に...」

「俺たち.........」


あぁ、ついにこの日がきたと思った。精一杯の虚勢で、シズちゃんの左手を掴んだ。やめて、それ以上言わないでよ、とその言葉を飲み込んで。
俺はシズちゃんが好き、それはきっと未来永劫変わることはないだろう。
でも、だからと言ってそこらへんの女と同じように泣いてただをこねる真似をするのはごめんだと、鍵をかけた。
鍵、なんて立派なものじゃないのかもしれない。すぐに切れるような、そう少しでも触れてくれればまた解放される、そんな細い糸でシズちゃんへの気持ちを縛り付けた。


「別れよう」

「.................うん」

「.....臨、也.....」

「...ッ、奇遇だね。俺も今それを言おうと思ってたんだ。」


無理に繋いだ手が、空をさまよう。冷たい空気、薄暗い空。
近くに居るはずの、シズちゃんの顔は見えなかった。冷えた指先にまだ残るシズちゃんの温もり。
忘れないよ、俺はシズちゃんの温もりをずっと覚えておいてあげる。


「........じゃぁ、な。」

「うん、ばいばい。....あぁ、明日から池袋に来る時は気をつけないとね、自動販売機や道路標識が飛んできて死ぬなんて嫌だからね。」

「......池袋には来るなよ。」

「...その台詞も久しぶり、だねぇ。じゃあね、シズちゃん。さよなら。」

「あぁ」


シズちゃんの後ろ姿が闇に溶けてゆく。
彼はきっと、こちらを振り向かない。それはシズちゃんの優しさであって、酷さだ。
本当は、気づいてほしかった、のかもしれない。俺がシズちゃんと別れたい、なんて思うはずないじゃん。
見透かしてよ、ねぇ。君無駄に感だけは鋭いじゃないか。こんな時だけ鈍感になるとか最低だよ、ねぇ、シズちゃん、ねぇ......。
強がるなって、言って。その煙草の匂いが染みついた体で抱き寄せて、怒りなよ。
いつもみたいに、これまでみたいに。強がってんじゃねぇよって、怒って、叱って___


ポツリ、と何かが頬を伝った。空を見上げると、そこには一つの輝きすらもなく、雲が広がっていた。
ポツリ、ポツリ、と雨が降る。次第にそれは本降りになって、俺の黒のコートを重く濡らした。
冷たい雨に混じって、少し暖かい何かが頬を伝う。しょっぱい、けどこれは雨だと見栄を張った。強がる相手さえもういないというのに。


ザーザーという音の間から聞こえる、優しい声。
所詮、幻聴。シズちゃんが俺の名前を優しく呼んでいたのなんて、もうずいぶん昔のような気がする。
傷は、治ってなどなかったのだ。表面だけがただ塞がって、喧嘩する度に深く、深く抉れて。
俺とシズちゃんの赤い糸はぷつりと音を立てて切れた。......赤い、糸なんてきっと無かったのだろうけど。
もし仮に糸は存在していたとしても、その赤はきっと血の赤だ。運命の赤い糸ではなかったに違いない。


全部、全部わかっていたはずなのに、それでも俺はシズちゃんに縋った。
俺の唯一の特別な存在。世界で一番大嫌いで、この世で一番愛していたから。


冷えた体を両手で抱きしめた。
指先に残る、ぬくもり。そこに、そっと口づけた。

(嫌、だ......嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ.....シズちゃん....シズ、ちゃ...シ...ず.....)

振り向いてよ、お願いだからもう一度振り向いて、俺をその目に映して。
前みたいに優しく髪を撫でて冗談だ、って言って笑って。
それでいつもみたいに、戻ろうよ。一緒に手を繋いで帰ろう。他愛ない話をしながら、傘を一つかってさ。
肩が濡れるのなんてお構いなしに、一緒に、並んで......


がくり、と膝をついた。
アスファルトに溜まった水がはねる。冷たい、寒い、冷たい、もう凍えそうなくらい。
わかってるよ、もう戻れない。一緒に笑いあった日も、泣いた日ももう過去のものだ。
僅か数分前に、過去のものとなり果てたのだから。


『じゃぁな』


何時の間に、こんなに弱くなってしまっていたんだろうか。
何時の間に、こんなにシズちゃんに依存していたんだろうか。

ねぇ、シズちゃん。俺はもう1人じゃ立てないんだよ。抱きしめて、欲しかったなぁ....。最後、でもよかったから。
........繋いだ手を、離さないで欲しかった。

帰って、きて。ここに。返ってきてよ、俺のところに。
嘘でもいいから、離さないって、言って。お願い、シズちゃん、シズちゃん..........

離さないでよ、置いてかないでよ、ねぇ........。


ねぇ、.............。



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臨也さんと静雄さんが付き合ってるなら、きっと臨也さんの愛の方が重い....というか
周りが思っているより静雄さんに依存してそう...という発想から生まれた意味不明なものです←

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