目の前を黒猫が横切った。思わぬ事態に無意識に口元が上がる。
だけど、まぁ俺に猫を踏む趣味はないから、と体を捻るのと当然のことながら次の瞬間には俺の体はかわいそうなことに固い固いコンクリートに叩きつけられた。
あぁ、黒猫が横切ってくれたおかげでどうやら悪いことが起こりそうだ。と、いうか実際現在進行形で怒ってるんだけど。
しかもどうやらこけるだけでは終わらないらしい。
一番俺はこういうのが嫌、なんだけどね。シズちゃん。
そう、シズちゃんやっぱり君は最低だよと心の中で悪態をついていると
振りかざしたままその場で停止させられていたコンビニのごみ箱がごとん、と音を立て地上に戻された。俺は猫をよけてこけた。だからそこをついて攻撃してくればよかったのに。
ねぇ、なんでやめちゃうの。ほら、いつもみたいに俺に投げつければいいじゃないか。
お願いだよ。シズちゃん。殺し合いの続きをしようよ。
「......なんでやめるんだよ。」
「萎えた」
「は!?何それ、馬鹿じゃないの。なに、怖気づいたワケ?」
シズちゃんは何も言わずポケットから煙草を取り出して吸い始めた。
こんなヤツ知らない。俺の知ってるシズちゃんじゃない。
暴れない平和島静雄なんていうものはいらない。
何を思ったのか、バーテンの格好をした男の手が俺の乱れた髪を直す。
なにこれ。あり得ない。あり得ないよ......。
俺とシズちゃんの間には越えられない一線がある。というか踏み越えてはいけないんだ。お互いに。
微妙な距離を保って今まできたはずだ。なのに今。俺の目の前でシズちゃんはそのまさに一歩目を踏み出そうとしているのだ。
いや、逆に引き込まれそうになっているのかもしれない。だとしたら、俺はどうなるんだろうか。
まるで行き先もわからない電車に乗せられた気分だ。がたがたと揺られて一体俺はどこに行けばいい?
そう、俺は怖いのかもしれない。
ひとつの線をまたぐのが死ぬほど怖いのだ。
「.....臨也」
聞きなれた声が路地裏で反響する。やめて、と首を振った。
呼ばないで、と耳を塞いだ。嫌だ、こんな優しい声で俺を呼ばないで欲しい。
戻れなくなる、から。今俺の心をざわつかす何かを認めたらきっと今の関係には戻れなくなる。もう戻れなくなるじゃないか。
「聞いてくれ、臨也」
「や、めて....」
「好きだ、俺はお前が好きだ。」
「知らない、そんなこと俺の知ったことじゃないよ。何、ついに頭までいかれちゃった?」
右手でポケットに忍ばせてあるナイフの刃をきつく握った。何かが切れる音がする。でも何も、聞こえない。キコエナイ、よ。だから俺は何もシラナイ。
好き、なんていう感情はどこかに昔置いてきたはずだ。なのに、なんで?
なんでこんなにも心がざわめく。
「....泣いてんじゃねぇよ、ノミ虫」
「泣いてなんか、ない」
「あぁ、そうかよ。じゃぁこれはなんだ。」
感情のコントロールができない。壊れたかのように流れるづける涙。涙腺崩壊ってこういうことを言うんだろうなとどこかで冷静な自分が苦笑する。
シズちゃんの指が俺の頬に触れる。そこが、熱を持ってあつい。
「.....っ離してくれる」
「離さねぇ」
「おねが....も、ゆるして。.....シズちゃんなんか大嫌いだよ」
「嘘つけ」
シズちゃんの目が俺を射抜く。イタイ、痛い。泣きすぎて頭が?それとも心が?
「....なに、自意識過剰?」
「臨也、俺はお前が好きだ」
「....、俺は........」
あぁ、戻れない。もう耐えられないと心が叫ぶ。俺は結局導かれるままに境界線を越えてしまったのだ。
子どものように泣く俺を、目の前の大きな体が包み込む。
あたたかいと思った。
きっと、俺はずっと.....。こうしたかったのだろう。
ずっとずっと、高校時代から。だから叶わない恋心を捨てたつもりになって、代わりにナイフを向けた。
そっと左手を背中にまわしてみた。と、目の前の男の目が優しく細められる。
シズちゃんは小さく笑った。
「臨也」
「も、なんなの」
この電車はどこに行くのだろうか。目の前の人間離れした男のみがその答えを知っている。
ひとつ我儘を言うならば。なるべく暖かいところが良い、が俺とシズちゃんのことだ。
おそらく環状線のように同じところを回り続けるのだ。一周、また一周と永遠にぐるぐると。
「絶対、逃がさねぇからな」
そう言ってシズちゃんは俺の右手の傷を舐めた。
そうやら途中下車はできそうにもない。俺より一回り大きな手と自分の手を自ら、絡めた。
*****
臨也さんは意外にシズちゃんに一目ぼれとかして
勝手に一人であきらめてそう...
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