紫陽花





「大嫌いだよ」



伝えたかったのは、そんな言葉じゃなかった。



言ってしまって、後に残るのは後悔と、歯痒さと、堪え切れないほどの胸の痛み。
好き、だ。うん、そう、好きなんだよ俺は。好き、好き好き....
俺はシズちゃんが好きだ。



雨が、降る。
ざぁざぁと煩いほど音をたてて。激しく、地面を濡らす。
泣けない俺の代わりに、空が泣いているのかもしれないと、そんなありえないことを思って笑ってみようとした俺の試みは無駄に終わった。
どれだけ苦しくても、悲しくても、俺は泣けない。
泣く、という行為自体を俺は失ったのだから。
涙はきっと心に堆積した悲しみや、苦しみ、そんな負の感情を溶かして外へと追い出すのだと思う。
そうでないと、人は壊れる。
人間なんて所詮、脆く儚い生き物でしかないのだから。
そのくせ虚勢を張る。なんて悲しい生き物なんだろう。


そして俺もそんな弱い弱い人間の1人でしかないのだ、と思う。
変わりたいと思って、でも変わるのが怖くて。傷つきたくなくて、でも傷つくことしかしらなくて。


無性に目が熱くなって、瞼を閉じた。
でも、それでも俺の目を涙の膜が覆うことはない。
俺の心に深く、抉るようにささった言葉の杭は抜かれることも、溶かされることもなく、延々と痛みだけを与える。



もうこれ以上突き刺すスペースすらないのに、君はいつでも上手く隙間を縫って俺の心を傷つける。
俺も傷つきたくないとか思ってるくせに、耳を塞ごうとは思わない。
憎しみでも、構わない。だから俺を、その目に映して、!

そう思ってる俺は一体どれほど惨めなのだろうか。
どれほど、くだらないいきものなのだろうか。



一段と強い風が吹いた。
屋上のフェンスを体の後ろで掴む。このまま手を離せば、俺の体は真っ逆さまに池袋の街に落ちて、道を赤く染めるのだろう。
そうすれば、きっと喜んでくれる人はたくさんいる。
残念ながら自分が好かれていないことくらいわかってるさ。


きっと、彼は嬉しそうに笑ってくれるのだろう。
俺が居なくなった世界を謳歌しながら、俺のことなど忘れてそれはそれは幸せそうに。
シズちゃんは生きていくのだろう。口元に笑みを浮かべながら。



シズちゃんの喜ぶ顔が、見たい。だってシズちゃんは俺にそんな顔をしてくれたことなんて一度もない、から。
でも、俺はいつもこの手を離せない。出会って、もう何年もたつというのに、俺はこの手を離せない。


シズちゃんの願いをかなえたい、でも死ぬのは怖いんだ。
俺は無神論者だから、死んだ後の天国とか、地獄とか、そんなの信じてないし。それに一人ぼっちは嫌だ。




「.....ゃ.....ん」


耳に残ったまま離れてくれない、大好きな大好きなシズちゃんの声。
胸が苦しくなって、息が詰まる。あぁ、このまま、消えてしまえたら楽になるのに。


ずるずると自分の意識とは無関係に、狭いスペースに座り込む。
梅雨、独特の湿っぽい空気がうざいくらいに体にまとわりつく。
雨が、街を濡らすのを見ながら、思う。この苦しさから解放されることがゆるされないのなら、いっそ。


外側から俺を溶かして、跡形もなく消してほしいと。



___「死ね。このノミ蟲野郎。」

  


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