ss10 | ナノ





ナイトツアーズ
[冠葉×晶馬]


 冠葉にとって昼と夜は、自身が姿を変える一つの転換点だ。
 昼は学校に通い学生としてふるまい、夜は企鵝の会の一員として破壊活動のため暗躍する。学校のお気楽に青春を満喫する友人たちといるときと、真っ黒な服に身を包んだ組織の連中といるときとでは、表情も性格も全く違っているのではないかと思う。
 変わらないのは、高倉冠葉は晶馬と陽毬の兄であるという呪い、あるいは祈りにも近い嘘で固められた真実だけだ。

 枕元に置いてある携帯を手に取り、時間を確認した。午前二時。そろそろ行かなければならない。布団から抜け出し晶馬を起こさないよう素早く着替えた。家の鍵を持って居間を出ようとしたとき、後ろから声が聞こえた。

「かんば?」

 振り返ると晶馬が布団を被ったまま、寝ぼけ眼でぼんやりこちらを見つめていた。冠葉が服を着替えていて、手に家の鍵を持っていることを薄明かりの下で認めたのか、晶馬は思い切り眉をしかめた。

「どこに行くんだよ」
「また女の子絡み?」
「あーいやだいやだ。さっさと行きなよ、あんまり待たせるとまたひっぱたかれるよ?」

 刺々しい口調で嫌味を並びたてられ、面倒なことになったと冠葉は思った。いったんこうなってしまうと、晶馬の機嫌が直るのには最低でも丸一日はかかる。明日学校で冷たくあしらわれ、それを山下あたりに茶化されるのが容易に想像できた。冠葉はこういうとき、定番の質問「私と仕事どっちが大事なの?」と問われているような気分になる。そんな甘ったるいものだったらどんなによかっただろうと即座に打ち消すのが常だ。
 冠葉が適当な言い訳を口に出そうとしたとき、丁度携帯のバイブ音が響いた。晶馬の鋭い視線を感じながら画面を覗く。組織からのメールだった。冠葉が在宅している時間帯、連絡は電話でなくメールを通して行われる。そうでもしないと、いくら鈍い晶馬でも冠葉が裏で何をしているのか気付いてしまうだろうから。
 メールの内容は簡潔だった。今日の計画は中止、詳細は追って連絡する。以上。何かあったのだろうが、冠葉にはどうでもいいことだ。陽毬の入院費、家族の生活費が稼げれば、あとは何がどうなっても関係ない。
 晶馬に嘘をつく必要がなくなり、これで明日も穏やかに過ごせると思うとほっとした。
 さて、外出の理由をどう言おうか。

「女のことじゃねえよ。コンビニに行こうとしただけだ」
「ふうん。何の用で?」
「小腹が空いたんだよ」

 晶馬は訝しげに冠葉を見つめていたが、やがてもぞもぞと起き上がると被っていたナイトキャップを外して立ちあがった。

「しょうがないなあ。だったら軽く食べられるものでも作るよ」

 冠葉が晶馬に甘いように、晶馬もまた冠葉には甘い。
 台所に向かおうとする晶馬を引きとめた。こんな夜中から料理を作らせるのはさすがに悪い気がした。

「いいって。だったらお前も一緒に行こう」
「どこに?」
「だからコンビニに」
「でももったいないよ。作った方が安上がりだし」
「気にすんな、俺がおごる」

 えー、と渋る主夫モードの晶馬を説き伏せるのは難しい。そんな晶馬が納得してくれたのは、自分が家を空ける理由が不純なものでないと知って安心したからかもしれない。もしそうだとしたら、嫉妬心を抱く恋人のようで可愛げがあるのにとパジャマから私服に着替えている晶馬を見て思う。


 外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
 街灯の明かりが照らす中を、近所のコンビニまで二人で歩く。横を歩く晶馬はやたらとあちらこちらに視線をさまよわせていて落ち着きがない。冠葉に見られていることに気付いたのか、恥ずかしそうに笑った。

「こんな夜に外に出ることあまりないから、何だか新鮮なんだ」

 晶馬は学校へ行く前、毎朝ほぼ欠かすことなく掃除、洗濯、それから朝食を作っている。朝からすることが山ほどあるので、早起きのため晶馬が夜更かし、ましてや外出することはほとんどなかった。
 もう季節は秋に差し掛かっている。昼間は暑いと感じる日差しも、今はすっかり地平線の向こうに隠れてしまっていて、代わりに冷えた空気が夜の町を包んでいる。昼と夜の気温差が冠葉は嫌いだった。早く冬になって昼も夜も寒くなってしまえば楽なのにと思う。

「全然違う町に見える」
「そうか?」
「そうだよ」

 深夜の町並みを、晶馬に倣って見まわしてみる。何の感慨も湧かない。それでも、自分にも晶馬と同じように考えていた時期があったのだろう。それは随分昔のことになってしまった。

「夜のコンビニの圧倒的な存在感なら、俺にもわかる」

 目前に迫るコンビニエンスストアの明かりが目にまぶしい。
 冠葉と晶馬は自動ドアを抜け店内に入った。暇そうに雑誌を読んでいる若い男以外に客の姿はなかった。

「で、なに買うの?」
「あーっと、まあ、適当に」
 
 元々こんなところに用はない。午前二時に近所で空いている店といったらコンビニくらいしかなかったのだ。さっきは腹が減ったと言ったが、ただの出まかせで食欲もない。
 何となく飲料のコーナーに行ってお茶のペットボトルを手に取ると、隣にいた晶馬が声を上げた。

「だめだめ、なんで500ミリのペットボトルなんて買うんだよ。2リットルのに比べて割高じゃないか」
「じゃあ2リットルの買えばいいのか? その大きさのもあるぞ」
「んー、ああ、だめだ。これあそこのスーパーで安い日狙えば80円は安く買えるし」

 その後も晶馬は、コンビニで商品を定価で買うことの愚かさを延々と冠葉の隣で繰り返していた。それを聞いていると、スーパーが安く商品が手に入る素晴らしい場所であるのが嫌というほどよくわかった。じゃあどうしてついてきたんだよ、と言いかけたが、そもそも気乗りしない晶馬を無理に誘ったのは自分だったことを思い出してやめた。
 冠葉は晶馬の両肩に手を置き、諭すように言った。

「お前の言いたいことはよくわかった。だから落ちつけ、今日は俺が全部出すって言ったろ」
「……そうなんだけど、つい言いたくなって。わかった、黙ってるよ」
「何か食いたいものあったら買ってやるから」
「ありがとう。ううん、何にしようか悩むなあ」

 どうしよう、と呟いて晶馬は商品棚の向こうに消えてしまった。
 適当な菓子を手に取りながら、もっと積極的に仕事をして金を稼いだほうがいいかもしれないと冠葉は思った。晶馬があれこれと口を出すのはもちろん高倉家の金銭事情が逼迫しているからで、彼だって好きで高校生としての気楽な友達付き合いを放棄し、スーパーの特売に走る生活を送っているわけではない。
 あいつらの言うとおりにすれば、金は今の倍以上は入るだろう。
 組織の連中は元幹部の息子である冠葉を指導者として擁立したいようだったが、冠葉はずっとそれをかわし続けてきた。奴らの主義主張になど興味はないし、これ以上深く関わりを持つと引き返せなくなってしまう予感がした。
 いや、まだ大丈夫だろう。言いなりにならないで、大勢いる構成員の一人として距離を保っていれば、もう少しくらい仕事を増やしても問題ないはずだ。そうしたら生活も楽になる。
 晶馬が主夫として奔走している姿は見ていてありがたい気持ちになる反面、もっと自分が大黒柱として家を支えていかなければと心が痛くなるときがあるのだ。

「僕はこれにするよ」

 ひょっこり顔を出した晶馬が小さなプリンのカップを冠葉に見せた。
 とろふわ、なんて言葉がプリントしてあるそれを持っていると、本当に晶馬が純真無垢な、子供っぽいただの弟に見えてくる。頭では、そんな単純なものじゃないとわかっている。晶馬にしても、自分たちを取り巻く事情にしても。





「もう秋なのに、まだ夏の大三角が見えるんだね」

 帰り道、晶馬が星空を眺めながら呟いた。歩くたびに、ビニール袋がこすれ合うしゃらしゃらとした音があたりに響く。

「秋の星座ってなにがあったっけ、兄貴は知って―――」

 るか、と聞きたかったのだろうが、その前に晶馬は何かにつまずいたらしく、前のめりに倒れていった。
 冠葉はとっさに手を伸ばし、晶馬の腕を掴んで引き戻した。力を入れすぎたのかひっぱられた晶馬の体が勢いよく戻ってきて冠葉に当たる。その感触とふっと鼻をかすめる匂いが、冠葉をどうしようもなく駆りたてる。

「あ……っぶねー……ありがとう、転ぶかと思った」
「上ばっかり見てるからだ。本当にお前はお子さまだな」
「だって、星見ることってあまりなかったから」

 だからしかたないだろ、と言う。
 こんな夜中に、晶馬と二人でこうしているのを改めて不思議に、そして嬉しく思った。
 三等星ばかりが鈍く輝く夜空に、流星群を降ってきたのを目の当たりにような気持ちだった。
 冠葉は晶馬の腕を握っている自分の手をそのまますっと下ろし、自分より少し小さく細い手に絡めた。

「危なっかしいからこうしといてやるよ」

 晶馬は子供扱いされたのが気に入らないのか不満げに冠葉を見たが、冠葉がまじろぎもせず見返すと視線を反らせてしまった。照れくさいのを隠すためか、ふてくされたような表情で、冠葉の手を握る。冠葉もまた晶馬の手を強く握り返す。
 二人だけの夜がいつまでも続いて、どこまでも歩いて行けたらどんなにいいだろう。

「昔はよくこうやって歩いたのにな」
「だって、僕たちもう十六だよ。この年で手つなぐの、恥ずかしいって」
「言われてみれば晶馬、顔赤いぞ」
「……っ冠葉!」

 晶馬がムキになって声をあげるが、つながれたままの手はあたたかい。見なれたはずの深夜の町は、隣に晶馬がいるだけで愛すべき世界に変わり、夜は一瞬で明るいものになる。
 夜に昼を混ぜてみたら、きっとこんな具合に輝くのだろう。

「でも、夜ならまあ……いいかな。誰も見てないから」
「それに、誰も聞いてない。お前が昔みたいに『冠ちゃん』て俺のことを呼んでもいいってことだよな」
「はあっ? なにそれ意味わかんないし!」

 冠葉がずい、と晶馬に顔を近づける。身体が密着する。恥ずかしがって避けようとする晶馬の顔を、冠葉は手をつないでいるほうとは反対の手でこちらに向けた。こうなった冠葉から逃げ出すのは無理だと、晶馬もわかっているのだろう。
 晶馬は諦めたように「全くもう」と言い、伏し目がちのまま、

「……冠ちゃん……」

 小声で冠葉を呼んだ。
 懐かしさに浸る前に嬉しさと晶馬をからかいたい気持ちでいっぱいなり、冠葉は意地悪な笑みを抑えられずに晶馬の顔を覗き込んだ。

「ほら! 言ったんだからこれでいいだろ!」

 晶馬が怒ったように言うと、冠葉の肩を叩いた。
 鈍い痛みが伝わるが、今の冠葉にはそれすら愉快に感じた。

「いってえ、手加減を知らないのかお前は」
「だって兄貴がからかうから」

 いつまでこうして普通の兄弟のように暮らしていけるだろう。
 もしかしたらこれが最後かもしれない、冠葉は晶馬と楽しく応酬する度にそう思うことで、記憶を焼きつけておこうとする。 

「今度からコンビニ行くときは僕もついて行く。一人で行くなよ!」
「へいへい」

 冠葉の返答を聞いて機嫌が戻ったのか、晶馬は嬉しそうにくせ毛を揺らして歩いている。

 次があると期待するのも、悪くない。
 こうして二人で星空の下を歩くことが、近いうちにまたあるかもしれない。

 ただ今度は手をつなぐだけじゃ済まない可能性がある。それまでに自制心を養っておかないと。晶馬の手のひらの体温を感じながら、冠葉は密かにそう思う。




 その日の朝、二人は仲良く揃って寝坊をした。普段ならこんなことありえない、兄貴のせいだ、と晶馬から「やっぱり深夜にコンビニ行くのは禁止!」こう言い渡されるまで、冠葉の気は休まらなかった。弟に手出しする恐れがなくなったとはいえ、残念に思う気持ちのほうが大きく、ため息をつきながらコンビニで買いこんだスナック菓子を一つ、頬張るのだった。
 





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