※死ネタ
※前半臨也視点、後半新羅視点






シズちゃんが俺を庇って撃たれたのは、ある晴れた心地よい昼下がりのことだった。
いつもみたいに適当に入った小洒落たこじんまりしたカフェでお茶をして、ふたりでなにをするわけでもなく池袋を歩き回る。シズちゃんは微笑んでいてくれていたし、俺も幸せだった。
猫の鳴き声がして、俺たちは好奇心を隠しきれずに路地裏へと入った。小さくてふわふわな、愛らしい猫。けれどそれさえいなければ、きっと、きっと今でも俺たちは。
血まみれのシズちゃんを抱きかかえながら、俺は必死で新羅に電話をかけた。声も腕も足も唇も震えるものだから、彼は話の半分も理解できていなかったのだろう。けれど、それでもいいのだ。シズちゃんが怪我をしていて危ない、ということと、今俺たちのいる場所さえ分かれば。
幾分の時間が過ぎたろうか、黒バイクが来たころには、シズちゃんはだいぶ意識が朦朧としていた。

「運び屋、お願い、お願いだから早くシズちゃんを、助けて、お願いだから」
『分かっているから早く静雄を離せ!』

早く治療しなければという思いと、彼を離すのは惜しいという気持ちが相反する俺に痺れを切らした彼女は自らの体から無数に伸びる影でさっさと彼をサイドカーに乗せてしまった。

『お前も早く後ろに乗れ。しっかりつかまっていろよ』

ひどく緩慢な動きで、彼女の腹に腕をまわす。どうか早く新羅の家に着くようにと、もうそれしか考えることができなかった。




臨也が信じられないほど悲愴な叫び声で入ってきたものだから、僕は用意していた手術器具を危うく取り落としそうにすらなった。いまだ混乱状態に陥っている臨也をセルティに任せ、なるほど危険な状態である静雄を手術室へ運ぶ。
彼は、今まで見たことがないほどの怪我を負っていた。

「くそ、命知らずな奴らだ」

マスクの内側で思わず罵声がこぼれた。彼を死なせるわけにはいかないのだ。闇医者である岸谷新羅が、たとえどんな人物であろうとも患者を死なせることをよしとするわけがない。それがたとえどんな人物であろうとも。それがたとえどんなに絶望的な状況であっても。



「……新羅!」

手術室から出ると、憔悴しきった様子の臨也が僕に飛びついてきた。彼がここまで慌てるのも珍しい、というか見たことがない。それほどの存在なのだろうか、平和島静雄という男は。こんなプライドの高い男を焦らせるほどの、存在であったのか。

「しず、しずちゃんは、どうなの、なおるの、ねえ、ねえねえねえ新羅!」
「落ち着いて。まだ分からないよ。……あとは、正直あいつの回復力に頼るしかない」

どさりと音をたててソファになだれこむと、セルティが横から気遣うようにコーヒーを差し出してくれた。ミルクと砂糖がちょうどいいくらいに入れられたそれをありがたくもらうと、不意に臨也がふふ、と笑い出した。

「そう。そうなの、じゃあ、じゃあもう、安心だね、しずちゃんは、がんじょうだから、こわれないもんね」

ふふ、とくるりくるりと回りながら笑う旧友を知らず知らずのうちに眉をしかめて見つめると、臨也は思い出したかのように「これから毎日来るよ」と言った。

「シズちゃんのお見舞いに。はは、なんだか俺、健気な彼女みたい」



その宣言どおり、臨也は確かに毎日僕の部屋にやってきた。
あるときは分厚い本を片手に。あるときは血まみれのナイフを片手に。あるときは果物の入った袋を両手いっぱいに。
彼が来る時間は決まって夕方六時四十五分。これっぽっちもこちらの事情を考えていないのだ。たとえば、夕飯だとか。
臨也はなにをするわけでもなくただ静雄のそばに椅子を持ち出してその痛々しい寝顔を見つめるだけの日もあれば、誰も聞いていないのに薀蓄を語りだしたり、実にさまざまなことをする。
それら全てに共通することといえば、彼はうちにいる間ずっと静雄の手を握りっぱなしだということだけだろう。
毎日毎日違うことをやらかしても、それだけは不変のものだった。



静雄が死ぬまでは。




冷たくなった頬にそっと手を滑らせる彼の背中からは、なにも感じ取ることはできなかった。ただ、静雄から離れる意思だけはないのだろうとぼんやり思う。
結局僕は幼馴染を助けることができなかった。

「臨也、そろそろ静雄から離れて。ご遺族に連絡しないと」
「どうして」
「そりゃ、葬式するために決まってるだろう」

臨也から反応があることに安堵し、至極まっとうな答えを返す。いや、返したはずだった。
僕がそう言うや否や、臨也はいきなり懐からいつものナイフを取り出し、僕とセルティに向け突きつけてきたのだ。
影をゆらめかせた彼女に緩く静止の手をかざす。きっと彼女はどうして、と言いたいのだろう、白衣の裾を引っ張る。
それをできるだけ無視して、泣き喚く臨也に視線を戻す。

「嫌だ、そんなものしない! 葬式なんかしない、させない、絶対にだ!」
「なにを言ってるんだよ」
「やだ、シズちゃんに鯨幕なんて似合わないよ!」

ぶんぶんとナイフを振り回すが、今の彼に危険などすこしも感じない。錯乱しすぎているのだ。とは言っても僕は喧嘩慣れしているわけではないから、常に気を張っておかなければならないのだけれど。

「……臨也、静雄は死んだんだ」

ぴたりと、臨也の動きが止まる。背後でセルティが体をこわばらせるのが分かった。静雄は彼女にとってもかけがえのない友人であったのだ。
折原臨也の恋人という肩書きだけを、彼は所持していたわけではない。彼は田中トムの大切な部下でもあったし、ヴァローナ嬢の目標、あるいは先輩でもあったし、平和島幽の唯一の兄でもあった。なにより、岸谷新羅の幼馴染なのだ。彼を臨也だけが独占することは、もはや許されないことであった。

「そんなことない。それは嘘だ」

まるで棒読みな臨也の台詞に、セルティが蹲る。肩を震わせている彼女は、おそらく首さえあれば大粒の涙をこぼしていたのだろう。大切な友人の死を悼むために。壊れてしまいそうな彼の恋人を哀れむために。

「そうだ」

臨也はまるでいいことを思いついた、というような顔で僕にひとつの思いつきを口にした。
彼の思いつきは、たいていはいい結果に繋がらないことを知らないとしても、それは僕を激昂させるには十分な言葉だった。

「今日から俺がシズちゃんになる。死んだのは折原臨也のほうだったんだ」

気が付けば僕はセルティの制止も聞かずに、臨也の真っ白な頬を力いっぱい殴りつけ、細い首筋をひっつかんだ。

「なにを馬鹿なことを言ってるんだ! そんな細腕で、好きになった奴のことも守れないで、そんな奴が池袋最強を名乗るってのか!?」
「じゃあ……じゃあ、俺はどうすればいいんだよ、シズちゃんもいないこんな世界で、どうやって、どうしたら」
「そんなことくらい自分で考えるんだね。あいつが命を賭して守ったんだ、それを裏切るなんて許さない」

手を離すと、ふらりと臨也は玄関へ、闇へ消えていった。
息を切らし唇をかみ締める僕と、いまだ肩を震わせ続けているセルティを残し、たったひとりで。




ついに臨也は静雄の葬式には来なかった。
心配そうに時折彼の名前を出すセルティに微笑みかけるものの、正直自分自身も不安だった。あんな状態の臨也を、放っておくべきではなかった。
ひとり後悔していると、すこし高めの音の呼び鈴が鳴り響いた。くたびれた白衣を気にする気力もなく、外にいる相手に聞こえるわけないのに「はいはい、どちら様ですか」とモニターを覗き込むと、馬鹿みたいな例えだが、たしかに時が一瞬止まったような気がした。

『新羅、どうかしたのか、……!?』

モニターには、やけに嬉しそうな臨也がひとり映っていた。



臨也は部屋にあがると、我が物顔で僕の特等席であるソファに座り込んだ。そのいつもどおりの彼に逆に異様な雰囲気を感じ、セルティにはコーヒーをいれてもらうことにした。何故か彼女には、今この空間にはいてほしくはなかった。

「どうしたんだい、腹立つほどに上機嫌じゃないか」
「やだな、友人が幸せそうなんだから君も幸せそうな顔しなよ」

是非そうするべきだ! などとわけの分からない臨也に、どうかしたのかと尋ねる。きっとこのまま放っておいたら、一生このままだ。

「ふふ、知りたい?」
「そうだね、わりと」
「おや、珍しいね。他人に興味のない新羅が……今日、シズちゃんとデートしてきたんだ」

やはり先日は言い過ぎたかと反省していると、彼はなんでもないような軽やかな口調で、それこそ静雄が生きていた頃のように弾んだ声でそれを言った。
一瞬呆けた顔をしてすぐに顔を曇らせると、臨也は苦笑し口を開く。

「べつにおかしくなっちゃったなんてことはないから安心してよ。ただね、俺、気づいたんだ」

ぎし、と背もたれに全体重をかけてソファに沈み込む臨也の顔を凝視する。
僕は馬鹿になってしまったのかもしれない。彼の言っている意味が、まったくもって理解できないのだ。

「シズちゃんは死んで煙になってしまった。その煙は空にのぼって世界に霧散したわけだ。シズちゃんは世界に溶けた。世界になってしまった。だから、シズちゃんはいつでも俺のそばにいてくれるんだ。いつまでも、ずっと」

臨也はなおも嬉しそうに語る。僕はただ、呆然と見つめるだけ。それだけしか、できなかった。

「ずっと願ってた祈りが、叶ったんだ」

臨也は誰もいない空間に向かって優しく微笑む。

「やっとひとつになれたね、シズちゃん」


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