※来神




泳ぐのは、得意なほうだった。
だから俺は慢心していたのだろう。足がつり、水面が遥か遠くの頭上に逃げていってしまう錯覚さえおこした。

──あ、やばい。

溺れる。

そう自覚したとたん、ごぼりと空気を吐き出してしまう。
死んでしまう。死んでしまう。死んでしまう。
死にたく、ない。
もがくたびに俺の中からは酸素が抜けていき、かわりに級友の姿と声を思い出す。




忠告だと、彼は前置きした。
「臨也。君は、この世界をどこまでも自由に泳いでいけると考えているようだけれど。残念ながらそれは勘違いだな」
眼鏡の角度を直しながら──真面目な話をする前に眼鏡を直すのは、もはや彼の癖のようなものだ──その童顔をめいっぱいしかめつつ、俺にその忠告とやらを言い聞かせた。
「君は広い海を泳いでいるわけじゃあない。自分でとても浅いビニールプールを作って、その中で安堵の息をついているだけにすぎないんだよ」
つまり。
「つまりさあ、なにが言いたいわけ」
面倒だ。その気持ちを包み隠すこともなく、俺はぶっきらぼうに新羅に続きを促した。
新羅はにこりと綺麗に笑うと(でも、とても演技がかったものだった)、すっぱりと言い放つ。

「つまるところ、そうだなあ、まあ、あまり調子のんな、かな」




不愉快だ。
そういえば、ドタチンにも内容は真逆なれども似たようなことを言われたことがある。まるで示し合わせたようだったので、その日一日中俺は不機嫌になったものだ。

「お前はまるで、自分で溺れるのにちょうどいい深いプールを作っているようだな」

不快だった。
まるで俺の全てを分かっていますというような口調が、たまらなく。
「君に俺のなにが分かるってのさ」
「分かんねえよ、なにもな」
なにそれ、とお得意の反論をしようとしたとたん、彼に「だってお前、なにも言ってくれねえんだもんよ」と淋しそうに笑って言われてしまう。
正直自分は彼のこの顔に弱い。珍しいということもあるが、何より俺はドタチンに甘い。

彼は購入したばかりの無糖缶コーヒーをさしてうまくもなさそうに音をたてて啜る。俺も彼に倣って、冷たいいちごオレを吸う。不自然に甘ったるい。
「……でも、俺はなにも言わないよ」
同情されるの、嫌いだから。
唇を尖らせて言えば、また彼はあの保護者然とした顔で笑ったのだ。全く、面白くない。
「そういうひとりで抱え込むところが、いけねえと思うんだがなあ」
今度こそ俺は無視をした。




ああ、なんだよ、俺って、こんな思い出しかないわけ?
もっと楽しいこととかあったじゃん。他人を嵌めたり、廊下にガソリンばらまいたり。
そこでふと考える。
ある人との思い出が、全くといっていいほどないのだ。
いや、あるにはある。ただそれは、俺だけが笑顔で彼自身はどうして全く、激怒した顔ばかりというどうしようもないものだった。

──あー。もっと、ちゃんとした思い出作っとくべきだったなあ。
普通の友達みたいに、普通じゃないふたりで、普通のことたくさんと、普通じゃないことちょっぴり。
俺は彼と一緒にまともになりたかった。彼の、彼の唯一に。恋人でも友人でも、いっそのこと、敵でも。それでも、よかったのだ。

ごぼりごぼり。
誰も俺には気づかない。俺はひとりで悲しい思い出に殺される。
重い。重いよ。ひとりじゃあ、抜け出せない。
助けて、誰か助けて、誰か、誰か。


──シズ、ちゃん。


意識したとたん、なんだか悲しくなって涙が溢れたけど、水の中で流す涙なんて意味がない。すぐに塩素くさいプールの水に紛れこむ。
もう、腕も動かない。
シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん。
なんだかんだ言って、俺なんかに本気で、全力で、全身全霊で向かってきてくれたのは彼だけだった。

淋しいよ、シズちゃん。



「臨也!」



ぐいっと腕から引っ張りあげられたのは、そう思ったのとほぼ同時だった。
誰だよ、せっかく人が感傷に浸ってたってのにさ、皆見るなよ、金髪が水できらきら光って眩しいよ、ねえ、だからだよ、涙が止まらないのは。
水からあがったからか、涙はとても分かりやすく俺の頬をなめらかに滑り落ちた。
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