W(姫君の玉の輿)

 翌日。王の執務室に、浮かない顔のままエリゼは向かう。付き添いのメイド以外には誰も傍にいない事が、ただただ安堵。
 それにしても朝から唐突な呼び出しだ。昨夕にさり気なく伝えられたが、重大な内容なのだろうか。ならばもっと早くに仄めかす言葉があってもおかしくはないが。

「お早う御座います、義姉上」

 歳相応の可憐さを漂わせる声。そしてエリゼを義姉と呼称するのは、この王宮では一人しか心当たりがない。

「ネア様、お早う御座います」
「私もご一緒して宜しいですか?」

 勿論、是非一緒に。ふわりと自然な笑みを湛え、即座に許可する。
 彼女が現れた事でエリゼの心はそれまでよりも華やかさを得た。一人でいる事に感じていた感覚は偽物だったのかもしれない。弾き出した解答を自然と受け入れる位には。

「陛下のお呼びとは、一体何で御座いましょうね」

 極々ありふれた会話の糸口。隣をゆく姫君は、王宮に来て間もない義姉の言葉に面白げに笑い。

「きっとビッグニュースですわ」

 そう返した彼女に、エリゼは意外性を感じずにはいられなかった。
 ビッグニュース? そりゃあ、こうして呼び集めるくらいであるから、重要な事柄なのは理解出来る。だがそれは、果たして彼女のように楽観的に捉えられる内容なのだろうか。
 違和感を感じたまま、エリゼはとうとう目的地に辿り着き。既にカインとキーユがいて、何故だか彼女の心はどくんと悲鳴をあげた。まさか、この呼び出しの原因は彼等か。
 直前まで確かにあった安定が不安定へと形を変え、気持ちの窮屈さも相まってエリゼは息が詰まりそうになる。嗚呼、速く時間が過ぎて欲しい。何故こんなにも心が逸るのだろう。

「皆揃ったな。では早速だが」

 重々しく空間を遮る扉が唸るように軋み、玉座にて彼等を待ち受けていた王が腰を上げる。そうして落ち着かない彼女――エリゼの一日が始まった。

「今日は皆に重大な発表があって集まって貰った。キーユ」

 この国で唯一金色の冠を頂く事を許された王国の主が、その血を継ぐ王子と姫君達に歩み寄る。と思えば名指しで呼びかけ、それに一礼して応える第一王女が横並びの列からそっと外れ。

「この度、キーユがハイヴタイア侯爵家に降嫁する事が決定した。婚姻の日取りは一ヶ月後、城にて執り行われる」

 空間が揺らぐ。ざわついたのはエリゼ一人。他者は皆、微笑みを以て賑々しさを彩る。見れば当の本人すら、祝いの言葉を述べる弟妹に穏やかな感謝を零している。
 王家に入ったばかりの彼女が、既に察知していた彼等より反応が劣るのも無理はない。だがエリゼの心はショックを受けるに留まらず、更に影へ影へと進もうとする。
 これまで漠然と、何時までも己の近くにいるであろうと無意識的に信じていた“定説”が崩れた。その次の一瞬で、エリゼは“王女”であるキーユの立場が“侯爵家の一員”に変わる事に、偶然か必然か、己の身の上を少なからず重ねていた。その方向は真逆だが、実情は同じだと。

「おめでとう御座います、姉上」
「有難う。カイン、ネア」

 一人の世界へ突き進むエリゼを尻目に、姉弟達は互いに笑顔で言葉を交わす。目の前で起きている筈の光景を他人事のように俯瞰して、エリゼは今頃気付いた。“ビッグニュース”の指す先が、キーユの降嫁だと。
 嗚呼、私も何か言葉をかけなくては。焦りでもなく巡ってきた思考に従い、エリゼも声を発した。

「びっくり致しましたわ。侯爵家へ嫁がれるなんて」

 不自然でないだろうか。ただその事を気にかけながら、気高さと芯の強さを宿す双眸に胸の内の動揺を悟られぬよう笑いかける。
 そして、キーユがそれにどう返したかと言えば。

「そうね……エリゼ。明日の午後、二人でお茶会をしましょう」

 ドキリ。何故かドキリと心臓が跳ねた。ただの当たり障りのない“お誘い”であるのに、まるで自分が罪を犯してそれを暴かれるような心地さえした。今朝からどうかしている。他愛のない事に、何を恐怖するのだろう。

「承知致しました。お誘い、有難う御座います」

 誤魔化してなど、いない。喜んで受け入れるのは、至極当然だ。

*************

 翌日の昼下がり。麗らかな風が流れる庭園の一角に、二人の姫君が明るさを齎す。
 きっと周囲の花々に負けず劣らず、華やかな“お喋り”が繰り広げられているのだろう。そのように思える光景も、表情が見える程の位置に来ると180度印象を変えられる。
 気の強さを表すかのような濃く染まったカーマインのドレスを纏う女性――王女キーユ――とは対照的に、円卓を挟んだ向かいには公爵令嬢であった頃を彷彿させるターコイズのテーラードスーツを着こなすエリゼ。

「カインから聞いたの。貴方が何か、思い悩んでいるようだと」

 かたん、とカップの底がソーサーに当たる。自然発生に見せかけようとした音が最後で崩れ、エリゼは情けないと己に毒づく。
 自己嫌悪を早々に切り上げ、彼女は眼前で慈愛を零す義理の姉に瞬きを返す。言葉なき応えにキーユは自分に話してみないかと、促しをかけるが。

「いえ……キーユ様の御心を、煩わせるような事では」
「嗚呼、確かに貴女は気を遣い過ぎね。話したくないのなら良いけれど、私に遠慮はしないで」

 やんわりと断りを入れる義妹に苦笑し、弟が不満に思うのを納得する。同時に彼は、それが魅力の一つだとも惚気ていた。
 気遣いでも遠慮でもない、とは言い切れず、エリゼは有耶無耶の内に誤魔化す。王宮を離れて幸せに暮らすであろう人間に、気軽に話すべき事かという惑いは消えない。

「そう……それじゃあ仕方ないわね」

 追及を留めたものの、キーユはあからさまにほっとする双眸を見逃しはせず。何か彼女の気を紛らわせ本音を聞き出せる良い話題はないものか……と考えて、「嗚呼」と手を打つ。

「そう言えば、私達正反対ね」
「……え?」
「だって、貴女は貴族から王族に、私は王族から貴族になるんですもの。面白いわ」

 そう、ですね。音にしてから自分でも「嗚呼、これでは」と解ってしまう心情に、エリゼは最早はぐらかす気も失せ。
 キーユはと言えば、何気なくかけてみたカマが功を奏した事に僅かばかり意外性を感じながら、気の変わったらしい義妹の言葉を静かに待つ。

「私は……立場が変わってしまうのが、怖いのです。キーユ様は、恐ろしくないのですか」
「まあ。貴女ほどの人間が、何故恐れるの? 肩書きが変わっても、それまでの自分が全部なくなる訳じゃないでしょう」

 恐る恐る話してみた悩みは、実にストレートな意見に圧倒されて。心の何処かで他人事のように眺めている自分が、至極尤もだと己を嘲笑する。

「陛下より発表されたからには、私は城で王族ではなく公爵家の一員と見做される。それと同じで、貴女も既に王女として、引いては次期王妃として扱われているのよ」

 己の役割を理解しなければならないのは今も昔も変わらないでしょう。例え要求されている事は違えども。

「それでは大叔父様……前シェスター公爵は、未だに王族と言える?」
「! それは――」

 自然な流れで挙げられた身内の名に、顔を跳ね上げるエリゼ。瞬時に彼が今の地位にいる経緯を思い出す。
 そうだ。元王族であった祖父は当時の王の命により、後継者のない状況に喘いでいたシェスター家へやってきた。

「お祖父様はもう公爵家の人間ですわ」

 僅かに震えを残しつつ、しかし声ははっきりと。徐々に晴れてきた思考にエリゼの瞳は以前の輝きを取り戻す。
 時が経っているので難があるかと思った例題に納得したらしいエリゼに安堵し、キーユは続く彼女の言葉に聞き入る。

「私は、自分がずっと『公爵令嬢』で在り続けると思い込み、それが当然だと無条件に信じていました」

 でも、その考えこそ奇異だ。立場や役割の変わらぬ人間などいない。その事を知識として知っていながら、現実として見ていながら、何時もそこから無意識に自分だけを省いていた。
 気付かずにいた自分が余りに恥ずかしい。こんな簡単な事を無視していたなんて。
 項垂れるエリゼに激励が与えられる。

「今までの貴女を否定せずとも、公爵令嬢で在るが為の努力を、王族で在るが為の努力に変えれば良い」

 言いながら立ち上がり、キーユは恭しく一礼。何事かと目を見張るエリゼに近寄り、膝の上で硬く握りしめられた
手をそっと持ち上げて。

「王女エリゼ。いえ、“次期王妃”」
「……はい」

 呼ばれた肩書きに拒絶や恐怖を示さなくなった彼女に喜び、まるで公の場であるように引き締めた声で。

「侯爵家の者として申し上げます。どうか次期国王となるカイン殿下の支えとなって下さいませ。それが私の、勝手ながらのお願いで御座います」
「今はまだ力不足ですが、私なりに尽力致します。有難う、“ハイヴタイア侯爵夫人”」

 照れ隠しかはたまた純粋に可笑しさを感じたか。どちらからともなく、両者からは微笑みが漏れ。やがてネアとカインまでもが現れ、此処に四人の王子王女が揃う。
 両手を交えている訳をカインが尋ねるも、キーユが見事に誤魔化して、更にエリゼもそれに乗る。
 明らかに以前とは違う婚約者の明るさに戸惑いを隠せないカイン。一体本当に何があったんだと疑問符が飛び交う兄に、きっと良い事ですわ、とやはり面白げに笑む妹ネア。
 嗚呼、幸せだ。王族である自覚を得たエリゼは、王子の婚約者となった日以来、初めてそう信じたのである。

(※6月1日現在追記編集中・ページが増えるかも)


姫君の玉の輿 完結(13/05/12)・追記(13/06/)


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