U(姫君の玉の輿)

 開いたその先にいたのは壁のように立ちはだかる大男。すぐさま隊長ともみ合いになるが、そこに隊員等が助太刀すると一気に劣勢となった。どうやらこちらのように武器はないらしい。それが幸いだった。

 ふわりと漂う香りが、その先の異様な空間を演出している。窓はあるのに新鮮な風は一向に感じられず、此処が密室である事を如実に示す。
 大男の向こうには、屋敷に似つかわしくない強固な鋼鉄の檻とそれに包まれるベッドがスペースの三割を占めていた。
 隙間から見える人物はその玲瓏な瞳を隠しているが、正しく捜し求めていた婚約者の公爵令嬢。

 カインが奥手にいる2つの顔――屋敷の主と控えるメイドを睨める。読み通り、彼女はこちらに逃げていた。眼光がより鋭利になる。口火を切ったのは、男爵側。

「お初にお目にかかります、カイン・ロードン王子殿下。私……」
「名乗らずとも知っている。トルマン・リーゼン男爵」

 自己紹介などいらないとばかりに遮ると、これは光栄だと苦笑する男爵。その顔が、どうにも憎らしくて好きになれない。名前の音が似ているのもまた腹立たしい。

「私の予想より一日も早い。流石、貴族の頂点に立つお方」
「貴殿の御託はどうでも良い。我が婚約者を引き取りに来た」

 やけに余裕綽々の態度である。こちらを出し抜く切り札でもあるのか。そう思わせるには充分な程、彼は落ち着いていた。この大勢はどう贔屓目に見ても、男爵側が追い詰められているというのに。

「一応訊ねておこう。貴殿の目的は何だ」

 硬い声は普段の柔らかい口調とのギャップが大きい。それがより王族としてのオーラを醸し出している。

「殿下から訊ねて頂けるとは、話が早くて助かります。“一応”と仰った辺り、答えは想定されていらっしゃるようですが」
「問いには簡潔に答えよ男爵」

 カインが強く求めても、男爵は意に介さない。仕方ありませんと肩を竦める。

「爵位最高の地位、公爵を要求致します。本来ならば貴方を攫って、そこで申し上げるつもりでしたが」

 本人を目の前にして堂々と宣うとは、度胸だけはあるらしい。尤も、そんなものに怯む気はこちらとてさらさらない。ただ言質を取りたかっただけだ。
 隊員達の後ろに控えている側近が、ボイスレコーダーを構えている。これが重要な証拠になり得る事、後世の王宮に拉致対策の研究材料として役立つ事は明白。

「それで――わざわざ私に言わせたのですから、与えて頂けるのですよね?」

 実に尊大な顔付きで確認する男爵。若干腸が煮えくり返ったが、この程度で苛立っていては相手の思う壺。目下重要なのは彼女を無傷で救い出す事だ。幾ら挑発されようと釣られてはいけない。

「さあ……断る、と言ったら?」

 培った腹黒さで男爵如きに負ける気はない。顔色が僅かに変わった男爵にほくそ笑み、反応を待つ。

「やはり、そう簡単には行きませんか。それならそれで判っていた事。ならば……」

 一筋縄ではいかないのはお互いに承知している。だがその次に放たれた男爵の一言に、カイン等は唖然とする。

「エリゼ様との婚約を破棄して下さい。彼女は私が頂きましょう」

 側近は彼の態度に感じていた違和感を此処ではっきりと認識した。これが奥の手だったとは、誰が想像したろうか。レコーダーはただ静かに、その異様な空気ごと吸い込んで記録する。
 有り得ない。カインは動揺――と言うよりは困惑――していた。爵位を渡さないのと彼女が何故関係するのか。意味が理解出来ない。
 こいつは一体、爵位と彼女とどちらが真の目的なのか。両方狙っているのだとしたら、相当な厚顔無恥である。

「厚かましさだけは公爵級だな、貴殿は」

 怒りはとうにそのメーターを振り切った。お陰で却って頭が冷える。カインはただ笑って、露骨な嫌味を零した。ただまあやはり、「恐縮です殿下」などと返すあたり大したダメージは与えられなかったが。

 檻の中で只管黙る彼女が気になる。此処まで一度も物音を発しないのは、静観を決め込んだ証か。男爵に手懐けられたか。
 それとも――こちらを信じてくれているのか。

「さあ、如何しますか殿下。私にどちらを……嗚呼寧ろ『どちらも』でしょうか」
「知っているか男爵。“二兎を追う者は一兎をも得ず”だ。つまり――」

 嗚呼、何と図々しい男だ。それでこの僕に勝った気になるなんて。王族を欺いた気になるなんて。随分と安っぽいプライドだ。反吐が出る。

「お前はどちらも得られない。今此処で、全てを失う」

 こんな奴に“貴殿”という敬称を用いる必要はない。貴族の風上にも置けぬ、こんな奴には。
 男爵は表情を固めたまま、急に息を吹き返したカインに末恐ろしい感覚を抱いた。増していく威圧が空間を王子側に有利に導く。

「僕に楯突くなど百年早い。男爵の名が聞いて呆れる」

 直立不動でいたカインの足が、一歩また一歩と進み出す。胸元を探り拳銃を取り出すと、彼は銃口を男爵の額にごつりと当てた。

「檻の鍵を渡せ。死んで爵位どころじゃなくなる前に」

 誰の目にも脅迫に映るカインの双眸が、男爵を睥睨する。冷酷な言動に、彼も命が惜しいのだろう。男爵は震えながらもそっとポケットを探り、無抵抗に従う。
 まるで霊にでも取り憑かれたよう。弱々しく平伏す男爵に、カインは惜しげもなく嘲笑をくれてやる。

「それで良い。そのままじっとしていろ」

 どちらが悪人か判らない。
 隊員等に向けて目配せすると彼等は一瞬びくりと肩を震わせ、しかし必要以上に臆する様子もなく無言で男爵とメイドを取り押さえる。
 その間に檻は開き、拳銃をしまったカインが帯刀していた剣に持ち替えると、扉に繋がっていた縄は真っ二つに切られた。

「遅くなってごめんエリゼ……大丈夫かい?」

 愛おしそうに頬を撫で、心からの謝罪を吐露するカイン。そこでようやっと、エリゼは大きな瞳を瞬かせる。

「本当にね。待ちくたびれたわ」

 来ないのかと思った、などとからかっても、彼はそれに乗らない。余裕はもうなかった。堪らず彼女を抱き締める。

「感動の再会は後よ。すべき事があるでしょう。私の事はどうでも良いから先に役目を果たしなさい」

 こんな時にも呆れるほど冷静な婚約者に良い意味で辟易し、カインは向き直った。男爵等を見遣り、声高に告げる。

「只今を以て、トルマン・リーゼン男爵の爵位剥奪を決定する。尚、既に王の委任を受けてあるので抵抗は無意味と思え」

 委任状と記された白い紙が、元男爵の頭上に掲げられる。それを凝視するのは彼のみで、メイドは肩を震わせて俯く事しか出来なかった。

「よって、この屋敷と土地は国が押収し管轄する。――以上」
「横暴だ! こんな、こんな事が――!」

 やっと声を出せるまでに立ち直ったらしい。トルマンが叫ぶ。だが、カインにとっては負け犬の遠吠え。

「我が妻に手を出しておいて……笑わせる。今度はお前が檻に入って反省しろ」
「ちょっと、誰が妻よ誰が。勝手に肩書きを変えないで頂戴」

 即座に入ったエリゼの小さな突っ込みも愛しい。

 ――かくして事件の首謀者は、共犯者の大男やメイドと共に隊員等に引きずられ、やがて消えていった。
 公爵令嬢拉致事件、これにて解決だ。

「さあ、僕等も行こう。歩ける?」

 晴れ晴れとした声音が彼女を気遣う。睡眠時に攫われたのだから、靴は履いてないだろう。

「見縊らないで。これしきの事……きゃっ」

 それ以上に空腹とあの甘い香料の影響が大きく伸し掛かった。そう言えば昨日の夕飯以降何も口にしていない。ましてこの部屋の香りに毒され、檻からは動けず。ずっとベッドで横たわるか起きるくらいの動作しかしなかった。
 身体に力が入る筈もなく見事に足は縺れ、檻に凭れる形となる。隣の王子が無遠慮に笑い声を上げ、彼女の羞恥心はドカンと増した。

「くっ……笑わないでくれる貴方!」
「ごめ、いやだって、君が露骨に無理するから……」

 ああ可笑しい。それと同時に、酷く安堵する。彼女が無事で良かったと。

「こういう時くらい、婚約者を頼って頂けませんか? お姫様」

 両手を広げて歓迎を表すと、エリゼはかあっと真っ赤になる。身体が小刻みに揺れているのは、羞恥からか、それとも。

「あ、あのね、貴方、何が、お、お姫様、よっ……ってこら! 止めなさい! 下ろして!」
「ふふっ……はいはいお姫様、駄々をこねるなら後でね」

 全く手に負えないな、我が姫君は。横抱きにして、騒ぐだけの元気があるエリゼの抵抗にも介意せず屋敷を後にした。


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