T(姫君の玉の輿)
その日は泥のように眠った。夢を見る余裕もない程疲れていたのかと、此処にきて初めて実感した。
流石に根を詰め過ぎたか。反省して、今後は自重しなければならないな。こんな腑抜けた状態では彼女に一喝される。それでは意味がない。
「――今、何時だ……?」
寝室は暗い。いや、此処は自室のベッドじゃない。ああそうだ。ふらふらしているからと側近に休憩するよう言われて、吸い込まれるように仮眠室のベッドに倒れ――そこから先の記憶はぷつりと切れている。
しかし倒れ込んだにしては、やけに丁寧に靴を脱いで布団を被っているのが不思議だ。無意識に自分で整えたのだろうか。まさか、そんな訳はない。我ながら奇妙な光景を想像してしまい、後悔と共にかき消した。
「何時間寝てたんだろう」
空中に問いかけても、目ぼしい返答など見つからない。ただ部屋のしんと冷えた空気が漂う闇と同化していた。
気怠い体を無理に起こし、現状把握に努める。頭が酷く痛い。鈍器でかち割られている気がする。
案の定、立ち上がろうとすると目眩を起こして前のめりにふらついた。寝起き故か視界には靄がかかり、状況理解の要は本来の役目を果たさない。一時的な現象とは言え、何たる耄碌っぷり。
「カーテン開けなきゃ……」
力の入らない両手で、僅かな光を漏らす布を掴む。その瞳に注がれるは、惜しげもなく輝く満月の光。もうとっぷりと夜は更けていた。どんなに長くてもほんの数時間だろうという期待は粉々に砕け、無残な真実を告げられて困惑。
何故こんな時間まで誰も起こさなかったのか。王宮総出で流行りの放置プレイでも楽しんでいたのか。もしかしたら起こす声に自分が気付かなかっただけかも知れないが。
急激に、どっと残りの力が抜けた。カーテンを掴んだままの両手は小刻みに震え、数少ない気力を振り絞ってへたり込まないよう尽力する。その手が中々離せない。骨を抜かれた魚のように体がへにゃふにゃで、薄っぺらい布の支えがなければとても立っていられない。
もし一人で自室まで戻れたとしても、この醜態を一瞬でも彼女に見せてしまう可能性は否定出来ない。薄暗いこの場にいたとて煽られる孤独感がすっきりしない脳を脅迫し、弱腰になろうとする。
「――仕方ない。今日は此処で過ごそう」
明日になれば誰かが来て、必ずこの部屋を確認するだろう。そう信じてしまった方が楽だった。
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何も知らぬ振りをしていなさい。例え教養があろうとも、異性の好意には疎くありなさい。
嗚呼――懐かしい。母と乳母の教え。幼い頃は事あるごとに諭されていた。
貴女は世に名高き公爵令嬢。だからこそ地位を利用しようと不逞な輩が近寄るのです。それに騙されてはいけません。常に清く美しく、そして強く。彼等の下心を見抜き、容易く気を許さぬよう心がけなさい。
手の内を見せず、しなやかにあしらい、流れるように去る。それが、公爵令嬢たるものですよ。
「――夢……」
覚めた。だだっ広いベッドはその面積の殆どが冷たく、心許ない。そして部屋は暗く、最低限の明かりすらない。
深夜に一度寝た意識が浮き上がるのはこれが数度目。しかも夢の後に。内容は朧気だが、子供の頃だった気がする。女性が優しくこちらに微笑みかけていた。
「それだけ……? 何か他にあったような……」
己の曖昧な記憶をつついたところで思い出せはしない。事実、うんうんと頭を痛めても空っぽだ。
早々に諦め、さてもう一眠りと蹲る。未だに戻らない部屋の主の事など、夢と一緒に奥底へと置き忘れて。