U(姫君の玉の輿)

 翌日エリゼを訪ねると、彼女は何処か遠慮がちにベッドに横たわり静かに寝息を立てていた。こちらの方が身分が上とは言え女性の寝姿を遠慮なく見てしまって無躾な事をしたと思ったものの、足はそのまま滑り込んだ。

「誰……?」

 整わない気怠げな声、若々しく大人びた美しさのあるそれに思わずどきりと肩を跳ねる。

「僕だけど……起こしたかな」
「! で、殿下?」

 途端にばたばたと慌ただしい衣擦れの音がして、すっかり眠りこけていた彼女は隈を作りながらも朝の挨拶を済ませる。余りの慌てぶりに心中で笑った事は黙っておこうとカインは誓った。

「起きたばかりで悪いけど、朝食が終わったら色々聞かせてくれる? 今回の事」

 顔の筋肉が強張るのが分かった。エリゼはどう反応すべきか逡巡し、恐々と頷く。

「大丈夫。そう萎縮しなくても、悪いようにはしないよ」

 ね、と微笑みを向けられても、そう素直に受け入れようとは出来なかった。

*************

「シェスター家は代々貿易会社を営んでいるの。10年前にお父様がお祖父様から受け継いだ頃、パーティーがよく催されたわ」

 懐かしい思い出のようにエリゼは目を細めて語り始めた。カインはただじっと目の前の彼女から目を離さない。

「思えば出会った時から信用仕切れない何かがあったのよ、あの男には。お父様も私も気付いていたのに……」
「その男が、原因なんだね」

 認めたくないけれど、と悔しさを滲ませて彼女は顔を顰める。

「あいつはお父様を裏切った。反逆にも近しい行為よ。ただの一般社員が、大勢の人間を引き連れてシェスター家を滅ぼそうだなんて……」

 その時の恐怖が蘇ったのか彼女は2・3度身震いし、だが突然、重要な事が浮かんだらしく跳ねるように立ち上がった。

「そう言えば、屋敷から逃げる時にお父様と約束していたわ! 何故今まで忘れていたのかしら、私ったら!」
「約束?」

 次々と顔色の変わる彼女に若干引きつつも、カインは“約束”について聞き出す。慌て気味に話すエリゼを落ち着かせて。

「『日が変わる頃、家族全員噴水の街で落ち合おう』と言われたのよ! こうしちゃいられないわ、行かなくちゃ!」
「ちょ、ちょっと待って。君一人で行く気かい? そんなの危険だ!」

 カインが引き止めるもエリゼは女性とは思えない力でぐいぐいと扉へ近付く。これが“火事場の馬鹿力”というやつか。

「エリゼ落ち着いて、エリゼ! 一人は無茶だ!」
「邪魔をしないで! 早く行かなきゃ、」
「落ち着けエリゼ!」

 荒げた声は寝室中に響き、忙しない呼吸を繰り返すエリゼが固まる。

「良い? 此処にいる限り、僕に断りなく勝手な行動はしないで」

 静けさの勝る空間が居た堪れず、エリゼは眼前の瞳に泣き出しそうに訴えた。

「でもこれは、私の家の問題じゃない」
「馬鹿だな。君が此処に逃げ込んだ時点で、僕にも関わりがあるんだよ」
「だ、けど、迷惑じゃ……」
「大丈夫。そんな事ない」

 一転して不安げに見上げる蒼い双眸に、カインは力強くそう告げる。

「噴水の街……東南か。少し遠いけど騎士隊長にも手伝って貰おう。彼は情に篤いから、喜んで付いて来るよ」

 突っ走ろうとするエリゼに代わって冷静に事を進めるカインは足早に部屋を飛び出し、騎士隊長の元へと向かった。

*************

 一行が城を出発して数時間。一足先に着いていた騎士隊長がエリゼ達が見えた途端真っ赤なマントを翻してやって来た。

「ある程度見回しましたが、まだそれらしき方にはお会いしていません」
「そう。引き続き宜しく。僕等も探すよ」
「は、お気を付けて」

 隊員達を指揮する彼を斜視し、エリゼは先を行くカインに遅れじとドレスを大きく靡かせる。周辺の確認も忘れず、一刻でも早く会いたいと逸る気持ちを抑える。
“噴水の街で”と決めてはいたものの、“その中の何処で”とは何も言われてない。この街に来た事は何度かあるが、それでもこの辺りの地理に明るくはない。心当たりは――――

「もしかしたら……」

 そう言える場所は、唯一。

 何か発見したのか急に引き返すエリゼに気付いた時には既にかなりの距離を空けられており、カインは全速力で追い掛ける。彼女の姿が近くなると丁度あるペンションに一直線に入って行く所だった。
 普段息せき切って走るなど全くないので、最後の方にもなると足が縺れかかってしまっている。疲れたと思う暇なく駆け込むも彼女はそこにおらず。拍子抜けしていると上階から幾人かの声が耳に入った。

「お父様、お母様、セル……!」

 紛れも無い彼女の稟とした声。嬉しさを噛み締めているだろうその心情が苦もなく想像出来る。

「エリゼ、良かった……」
「無事だったんだな、姉様……良かった」
「何時落ち合えたの? 三人共」

 最早カインの存在など誰一人気がついていない。かと言って弾む話を切ってしまうのは失礼だ。

「そう、お父様は最後に逃げ出したのね……私も一緒に残れば……」
「無理はしなくて良いエリゼ。それよりも、こうして家族全員会えた事を……おや、そこにいるのは……?」
「あ、そうだったわ。私、カイン殿下と此処に……」

 その名が放たれた瞬間、彼女の両親に衝撃が走った。

「な、何だって? 王子殿下がわざわざ私達を!?」

 何時現れようかと思案していたが結論が出る前に表に引っ張り出されてしまった。飛び上がらんばかりの大仰な態度に押されつつ、微笑を湛えて彼等の前に立つ。

「ご無事で何よりです。シェスター家の皆様」
「殿下……嗚呼、何と御礼を申し上げれば」
「彼女と積もる話もあるでしょう、一度城へ参りませんか」

 軽やかな誘いに、非公式なイベントでもないのに城に入るなどと渋る当主を説得し、エリゼ達は昼下がりに街を後にした。


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