第弌話:第弐頁
一通り叫び終わると少年は黙り込んだ。クルスが目の前に座り込んで彼の柳眉をじっと見つめるが、彼は微動だにしない。
頑なに目を合わせようとしない少年に、何か事情があるのだろうかと推測する。理由までは解らない。それよりも何故森で倒れていたのだろうか。
「ねぇ、どうしてあそこに倒れていたの?」
まず気になった事を、声色を最大限穏やかにして問う。表情を出さない少年に、取って食う訳ではないと意思を表す。
「……降りてきた」
伝わったのか、下手をすれば独り言かと思うほど小さな声ではあるが答えてくれた。しかし返された言葉の意味が分からない。
「え? 降りてきたって……何処から?」
とりあえず素直に聞き返すと、少年はやっとこちらを見、真剣な眼差しでクルスに言った。
「天界からだ」
天界――およそ今まで聞く事のなかった単語が飛び出し、混乱しだす。
「えーと……天界って?」
失礼のないよう、なるたけ冷静に知っている風を装い問い返す。少年は嫌な顔をする事もなくしれっと答えた。
「この空のさらに上だ」
至極普通の事だとでも言うような堂々とした受け答えに、今度こそ思考は固まった。
――空の、上? ちょっと待って、空から落ちたら普通死ぬじゃん。
他に気にすべき事もあるだろうが、一気にそれが言える程の思考は持ち合わせていなかった。これ以上考え込むと脳がパンクしそうなので、苦し紛れに新たな質問を生み出す。
「そっ、か。あ、ねぇ、名前は何て言うの?」
「私は天禰。……其方は?」
思いがけず返され、クルスは慌て気味に名を述べる。
「えーと、私は来栖。クルスって言うの」
「そうか」
取り立てて機敏な反応を示すでもなく天禰が頷く。名前が難しそうなイメージを抱いたので、失礼かとは思うが聞いてみる。
「アマネ君? って、どういう字を書いてそう読むの?」
その場にあった紙とペンを渡し、書いて欲しいと頼む。少年――天禰がさらさらと名を記す。
「……こんな字だ。これでアマネと読む」
少年とは思えない堅い言葉と共に、クルスの目の前に名前が書かれた紙が広がる。これもまた、少年とは思えない綺麗で繊細な筆致だった。
「うわぁ、やっぱり難しい字だ。思った通り」
「そうか」
「それにしても天禰君、字が凄く綺麗だねー、羨ましい」
「……そうか」
感情豊かに喋るクルスに対し、天禰はただ一言返すのみ。否、こういう状況に慣れていないように見えた。そうして二人で話し込んでいたその時。
「天禰様ーっ」
家の外から声がする。しかも天禰"様"と呼んでいた。何が起こったのか分からず疑問符を浮かべるクルスを横目に、天禰が家の外へと向かう。慌ててクルスもそれについていった。
――今の誰? いきなり何?
考える暇もなく疑問が次々と浮かぶ。彼に聞けば、全て解決するだろうか。そうして家を出ると、眼前に居たのは――否、飛んでいたのは、翼を靡かせる綺麗な青緑の鳥だった。
――あれ? でもさっき確かに……。
「天禰様!」
そうそう、そんな声が……って、え?
「遅かったな、照前。何をしていたんだ」
「"遅かったな"じゃ御座いません! 貴方が唐突にこんな事をなさるからですよ」
ちょっと待って君達、何で普通に会話してるの? 何で驚かないの。それより何より、何故、天禰"様"?
最早自分は悪い夢でも見ているのかと疑いたくなる。訳の分からない事が矢継ぎ早に起こり、いよいよ脳が緊急事態を訴えてきた。頭を真っ白にし、こちらを放っておいて話し込んでいる1人と1匹を前に、思考する事を放棄しただ呆然と見ていた。
「あ、あのー……」
冷や汗を浮かべながら、クルスが会話を中断させる。これ以上混乱させないでと目が密かに懇求していた。天禰が振り返り、「嗚呼」と呟く。一方、鳥は何事かといった感じでこちらを見ていた。
「済まない来栖。今お前が気にかけている事を話そう」
「あ、有難う……」
どっと疲れが沸き起こり笑顔が笑顔らしくならないが、そんな事はどうでも良かった。この疑問さえ解決出来れば。それだけで構わないから。
「お待ち下さい天禰様、何方です?」
「案ずるな照前。怪しい者じゃない。来栖と言って、私を助けてくれた者だ」
疲れ果てたクルスの代わりに天禰が諭す様に答える。天禰がそう言うのだからと、鳥(照前)はそれ以上追求しなかった。
「そうでしたか、これは失礼をば」
「いい加減元の姿に戻れ」
元の姿? その鳥、もしや人? も、もう駄目、頭がぐるぐるする。
「来栖!」
ふらふらと外壁に倒れ込んだクルスを、天禰がしっかりしろと駆け寄る。
「でも、分からない事が多すぎて頭がふらふら……」
「それは分かった。今話すから」
壁に寄りかかりながらよろよろと立ち上がり、天禰がその背を支える。照前が人に戻ったのを確認すると、お前も来いと手招きする。それに静かに頷くと、照前は天禰の後についてクルスの家へと入り、森はまた何時もの静けさを取り戻した。
家のダイニングテーブルを挟んで、クルス、そして天禰と照前。天禰が開口一番、クルスに問いかける。
「まず何処から話そうか」
「……天禰君て何者? 子どもなのに、何か偉い人なの?」
一時は混乱して倒れるかと思ったが、家に入り余裕を取り戻した。とりあえず彼等の正体を知らねばなるまい。
その事か、と、無駄なまでに冷静な天禰が言うと、一呼吸置いて返答した。
「先程も言ったように、私達は天界からこちらへやってきた。そしてその質問についてだが、私はその天界で神をしている。と言っても、天界の存在を知っているかだが」
窺う様に天禰が見つめる。
「うーん、解らない……」
はっきり知らないと言うクルスにがっかりする訳でもなく、また淡々と話を進める天禰。
「私はその天界であらゆる神々を束ねる長として存在している。神の上の神と言った所か」
「えぇっ、凄い!」
「……他には何かあるか?」
"神の上の神”の言葉に瞳をきらきらさせて素直に驚くクルスを、天禰は些か理解し難いと言いたげな目で見る。
「後は照前さんについてかな。何となく想像したけど、神様の部下みたいな人なんだよね。そして鳥に変身出来る」
「照前は私の直接使者だ。そして、あらゆる鳥類に変化出来る」
「へぇー」
「そして、天界で唯一天禰様を注意する事が出来るのですよ」
最後ににっこり照前が笑うと、天禰はバツが悪い表情になり、それを見てクルスは思わず笑ってしまった。
「次、何かあるか?」
心の中ではムッとしていたが、乱す訳にはいかないと冷静に問い掛ける。心なしか、少しずつ感情が見えてきた。
「じゃあ――どうして神様達は、此処に降りてきたの?」
何だかかんだと聞いてきたが、クルスが一番気になったのはこの事だった。