Dark.1:Page.2
嫌な夢。それはあの頃の――いや、つい3ヶ月前まで自身が置かれていた環境。
大罪を犯した訳でも無いのに、薄暗い場所で男ばかりのむさ苦しい処で偉そうな奴らに虐げられる日々。それは奴隷と言う、最も忌まわしい屈辱的な身分。
なりたくてなった訳ではない。気が付いたらそうなっていたのだから、悔しさや怒りや恨みをぶつける相手がいない。
ただただ、憎かった。嘲笑いながら自身を平然と虐げる大人(奴等)も、そしてそれに何も出来ずにいた自分も。
だが、それはある日突然に、誰も予測していなかったあの出来事で全てが変わった。奴隷場を狙う義賊、もっと正確には奴隷解放を謳う集団の襲撃。半分どうなるのだろうとパニックになりながらも、冷静な自分が気づいた。“これは、チャンスじゃないか”と。
そうだ。此処から逃げて、この忌々しい環境を離れて。そして、自分は――
そう思うと自然と体が素早く動き、使えそうなものをを持てるだけ持って抜け出そうと手当たり次第に手にしては、金属が擦れ合う音、血の匂いのする戦場と化したそこを段々と離れていって。必死に、ただ必死に、一度誰かの会話で盗み聞いた裏口を記憶のままに探し当て、そして――
それからは、まるでそれまでの日常が、日常だったものが不思議と遠く感じて。ただ一人黙々と、予てからの目的の為に旅を続けている。
まさかそれに、途中からとはいえ付いてくる奴がいるなんて思いもしなかったが。
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あどけなさをまだ残した寝顔に、さわさわと葉が風に揺れる音が触れる。
ひらり、一枚の緑葉が舞い降りた。そして無防備に揺れる少年の髪にふわりと落ちる。その後、何かがその葉を動かした。
――誰だ?否、何だ?
意識が浮き上がってきた少年は訝しげに、それでも表情はなるたけ崩さずに視界を少しずつ開いた。
「……ん……」
「あ、悪い。起こしたか?」
開かれたその眼に大きく映ったのは、(こう言うのは実に不服だが)自身と一緒に旅をしている男、カイトだった。
こちらの驚きなど見向きもせず次第に離れていく彼を見れば、右手で先ほど自身の顔上に落ちてきたであろう葉をくるくると回し、玩んでいる。
途端に少年の寡黙な顔に深く溝が出来た事を、カイトは気付かなかった。
「……何だ、一体」
なるたけ低い声で凄むと、カイトは驚いた表情で言った。
「おわ。お前、何をそんなに怒ってるんだ」
落ち着けと促すが、少年、二コルは眉間に皺を寄せたまま、こちらを睨みながらむくりと上半身を起こした。
「煩い。いきなり近づいたお前が悪い。そんなもの、放っておけばいいものを」
「いや、だって、何となく、さ」
しどろもどろになりながら、ははとカイトが苦笑する。気安く顔に近づいた事を咎めているのだろう、恐らく。
二コルは真顔ではぁ、と疲れた様に溜息を吐くと、そそくさと立ち上がった。
こいつのこんな底抜けに明るい性格など、面倒で一々気にしてはいけない。向こうだって、こちらのこんな性格のことなど、気にしてなんていないのだから。
そう一人納得し、それ以上何も言わずにいると。後ろですっくと立ち上がったカイトをこちらが一瞬見やると、二コルに悪戯っぽい笑みが向けられた。
「……?」
他にまだ何かあるのかと怪訝な目つきで疑ったが、どうやらこちらの予想は外れていたようで。
カイトは屈託のない笑顔のまま、こう言い放った。
「わざわざ葉っぱを取ってやった礼は?」
「……はぁ?」
脱力した。何だって?礼?どうしてそんなもの、お前に。そもそも、こっちがどうこう言う前にそっちが勝手にやった事だろ。
知らず二コルの顔からは悶々と言いたげな言葉が聞こえてきて。
それを見下ろしながら、カイトはこの意地っ張りめと尚深く笑って、目の前に浮かぶ、解せぬという表情を礼の代わりに受け取る事にした。
行くぞと言うカイトの言葉に、二コルは表情を少し元に戻した。とりあえず、礼はしなくていいらしい。尤もそれに越した事はない。
そうして、次の街へとまた無言の旅が続くのだった。