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 渡し船というもの、極端に言うと船という乗り物に乗って川を渡る事はこれが生まれて初めてだった。勿論その乗り心地がどんなものなのか、人から見聞きしたこともない。
 それらの前情報がなかった故だろう、対策を取る事も体勢を整える暇もなかったニコルは、揺られて数分も経たない内に見事に酔ってしまった。

「だ、大丈夫か……?」

 生まれてこの方乗り物という乗り物には酔った事のない図太い神経の持ち主であるカイトは、自分とは真逆の繊細さにどう声をかけて良いか考えあぐねた挙句、至極当たり障りのない気遣いを口にした。
 だがそれはかえってニコルの気分を害したらしい。大丈夫かなどと聞かずとも目の前の蒼い顔がそうではないと語っている。

 生憎渡し船には救護室や仮眠室といった設備はない。何せ船自体が小型で如何にも年季の入った木製なのだ。
 そもそも川を横切るだけで、そう距離はない。幾らこの国を二分しているとまで言われる大きな川を通るとはいえ、向こう岸まではせいぜい十数分程度。
 可哀想だが慣れぬ乗物からの洗礼を図らずも受けてしまったニコルには、耐えて貰わねばならない。それにこの状態では例え仮眠室があってもとても気は休まらないだろう。

「………………」

 今日の目的地でもある川べりの港町・フラバムに着いた頃には、顔面蒼白で口を押さえたまま固まった少年が何かを吐き出しそうな苦しみに悶え生気を失っていた。
 カイトがふらつきながらも早く陸地を踏みたい一心で歩こうとするニコルの体を支えどうにか船着き場に下ろすと、彼は周囲の奇異な視線に気付かず倒れ伏し、そのまま記憶は遠のいた。

*************

「鵠檀の騎士様、ようこそお出で下さいました」

 宿場街・クエルの町長だという壮年の男性が、数度目の全国行脚の目的地に腰を落ち着けた騎士達を労う。
 町長宅(ここ)に辿り着くまでに一悶着あったらしいが、隊長であるキサキが特に何も言わないので既に解決したのだろう。

 ――鵠檀の騎士というのは、数年前、それまで市長や町長などある程度の権力者が雇う私的警備員しかいなかったこの国に初めて誕生した、首都における特別警察であり認可を受けた公的機関である。あくまでも現在は首都の治安維持のみを担当しており、地方へ出向く事はない。
 しかし首都での働き振りとその評価が高い事からいずれはこの国全体を守護する機関として発展させる為、首都での警備の合間を縫っては隊長自ら地方に赴きその存在を明確に印象付けている。
 経費節約の為か原則として宿屋や施設などでの宿泊は不可となっているのが少々しんどい。

「このような頼もしい方々が一日でも早く国全体に認められるよう、私共も祈っております」

 最早定番と化した常套句。わざわざこの言葉の為だけに出かけているようなものだ。だがこの積み重ねが一番大事なのだと創設者が煩いので仕方ない。幾ら隊長であるキサキとて、彼に雇われている身分である。

「では、そうなった暁には是非宜しく頼む」

 機械的な台詞を機械的に述べ、キサキは隊員達(一部)を連れてまた首都へと舞い戻る。彼らの姿が見えなくなるまで、町長は静かに見送った。

*************

 酔いが回り気絶したニコルが目を覚ました。
 コンクリートの上で倒れたあの感触が残っているかと思いきや、正反対の柔らかいそれに違和感を覚え飛び起きると、真白のシーツ、そして薄緑の掛け布団が視界に映った。

「此処は何処だ」

 酷く痛む頭を鬱陶しそうに両手で押さえつつ、更に辺りを見回す。
 木目調のタンスにテーブル、椅子。花のイラストがあしらわれた壁には小さな絵画が飾られている。
 どれもニコルには見た覚えのない空間だった。

「そう言えば、船に酔って……渡り切って船を下りた後……」

 ――余りの気持ち悪さに所構わず倒れてしまったのだ。そこまで思い出して、ニコルは唐突に青ざめた。あの何とも言えない重みのある倦怠感と嗚咽が彼を襲う。

「う……吐き気、が……」

 余計な事をするんじゃなかったと後悔するが、反省したとて鈍い痛みは治まってはくれない。時折噎せ返る度に胃液が喉元まで上がってくる。
 仕方なくまたベッドに臥せり掛け布団を肩まで被ると、痛みが少し和らいだ気がした。

「畜生、もう二度と船になんて乗るか……」

 掠れた声で恨みを述べると、ニコルは意識を奥深くへ追いやった。

*************

 日が変わり、透き通る朝の光がピンポイントでベッドを照らす。あの後一度も目覚めないまま眠ってしまったニコルの瞼に、容赦なく突き刺さる陽光。観念して薄く目を開けると、体調はすっかり戻った事が分かった。

「良かった……」

 ほう、と心底から溜息を吐いて、ゆっくりと上体を起こす。部屋を見回すが、昨日と何ら変化はなかった。

 誰が自分を此処まで運んだかは知らないが、大方カイトだろう。どうせ宿代を払うのはこちらだし、金銭面で彼が苦労する事は今の所ない。
 それなりに整えられた、豪華と言う程奇麗な部屋ではないが、あの最悪な気分がなくなったのだから少々高くても構わない。威勢良くベッドから立ち上がると、椅子の背に掛けられていたマントと武器、小物を入れた袋を持ち颯爽と部屋を出る。
 清々しい気分で宿屋の主人に料金を払い、宿屋に隣接しているパブで酔い潰れたというカイトを引き摺りながら早々に宿を後にした。


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