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 昨日は閑散としていた通りも、朝だからか人が溢れていた。市場と化したそこを何とか掻い潜り、どうにか人波を越えた所でほっと肩を下ろした。そしてなるたけ早く通りから離れていく。
 あの山の麓までは、この距離ならせいぜい半時間で十分だろう。目視でそう判断すると、迷わず歩みを続ける。喧騒が段々離れていく様子を実感し、少し心を落ち着かせる。
 どうにも育った環境の所為か、人ごみやそれに近い場面、そこで絶え間なく広がる喧騒というのは非常に苦手だ。

(……いけない。進まなければ)

 ふと考え込んでいた自分に気付き、気持ちを修整する。今感傷的になったとて、何の利益にもならない事はとうに理解している筈だ。

「お、もうすぐじゃねーか?」

 カイトが遠くを指して山が近付いた事を知らせる。それに二コルが気付くと、確かに山の麓がはっきりと視界に入った。
 一歩づつ、それは確かに近付いている。二コルは表情を引き締め、尚力強く地を踏みしめた。いついかなる時も決して油断はならない。

 思っていたよりも早く麓に辿り着き、しかしそこで休憩など取る訳ではなくすたすたと先へ進む。目的地はまだまだ遠い。
 落ちている枝を拾い、少しでも足が楽になるようにと杖代わりに用いる。勿論、会話は相変わらず。空気は穏やかなのに、響くのは足音や衣擦れの音のみ。風は殆どない。

「後どの位だ……?」

 沈黙に耐えかねた訳ではないだろうが、カイトが至極当たり障りのない質問を前方に投げかける。二コルはさぁなと一蹴したが、一瞬考えて更にこう言った。

「今日中には着くだろう」
「……そうか、分かった」

 二コルが珍しく会話をしてきた事への感動に暫し打ちひしがれ、単調な返答をした事には気が付かなかった。俄然やる気が湧いてきた。元々、体力は人一倍どころかそれ以上にあるが。
 一人意気揚々とカイトが歩いていると、前方の二コルが何やら苦々しそうな表情でこちらに顔を向けていた。何かあったのだろうか。

「どうした?」
「いや、別に……よくもまぁ呑気に鼻歌など歌えるものだな」

 何と、振り返ったのは自身の奇怪な行動にあった。瞬間赤面しかけるが、そんなに表に出ていただろうか。正直全く意識していなかったのだが。
 気が付くと、二コルはもうこちらに顔を向けてはいなかった。何と言うか、連れない奴だ。まぁ、そこが魅力と言えばそうなるのかも知れないが。
 とにかく今は、この山を進む事に集中せねば。
 幸い、此処はまだ平和そのものだ。山に住む生物にはいつ鉢合うだろうか。出来れば戦いなく過ごしたいのだが。

「……此処で一旦休憩する。休んで良いぞ」
「あ、おう」

 二コルが少し広がった比較的平坦で切り株の多い場所に足を止める。手頃な物に目星をつけると、些かゆっくりと座り込んだ。

 カイトはと言えば、面倒だからと、身近にあった凸凹の切り株に勢いよく座り込もうとした所で切り株と自身の体の間に腰から提げている武器を挟み、それはそれは痛がっていた。言うまでもないが、二コルから馬鹿にされた目で見られたのは確かだった。

 あちこちを見まわしている二コルが、何か見つけた様な顔をしている事に気づいた。どうやら周りの木々になっている赤い実が気になるらしい。恐らく食用に出来ると思っているのだろう。もう十分食料はある筈なのだが。
 ぼんやりそんな事を考えていると、また二コルがこちらを見つめている。しかも、さっき感じた視線と雰囲気が同じ気がする。また何か変な事をしているのだろうか。途端に慌てて自身の周囲を見回す。
 しかし何も思い当たる節は見当たらず、早とちりかと顔を上げると、二コルがこちらを見下ろしていた。
 顎で何かを指す動作をすると、こちらが立ち上がるのを待たずして先に行ってしまった。もう行くという事なのだろう。

 そこからはまた、暫くは無言が続いた。今何合目まで登っているのか、標となるものは全くない。道筋に人が通った形跡が辛うじてあるのが幸いだ。
 確かにさっき見た時には、山としては小規模の部類に入るのだろうと考えたりもしたが、それでももう少しは立て看板なりが存在していても良いものなのに。
 それとも、そんなものなどなくても簡単に攻略できる程度だと暗に示しているのだろうか。何にせよ、初めてきた者には些か不親切に感じる。
 最も、皆がその様に思っているのかと言えば、そうではないだろう。現に、前を行く小さな体の二コルは、先ほどから文句一つ言わず黙々と足を動かしている。
 それも若さなのか、単に何も気にしていないのか、それは後ろからでは分からないが。

 そうして時間を忘れてひたすら足を酷使し続けていると、数歩先で二コルが立ち止まっているのが見えた。

 どうしたのかと声をかけようとすると、二コルが向いているその方向、その先に、雄大な景色が広がっていた。思わず足を止め、感嘆を漏らす。
 二コルの表情は相変わらず硬かったが、そんな事すらも今は気に留めずに。ただただ、山の向こうを眺めていた。足の疲れなど、不思議と微塵も感じない程だ。


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