(死際-02)

 ある所に、屋敷に閉じ込められている美しい女性がいた。
 女はその屋敷の持ち主である青年に一身に愛されていた。……否、それは愛という真っ直ぐで人聞きの良いものとは言えないだろう。
 青年は全てにおいて彼女に傾倒しており、仕事は熟していたが、屋敷では彼女から、彼女のいる部屋から中々離れない。愛というには度を超えた感情を女に対して抱いていたのだ。
 女は自由のない窮屈な我が身を恨むことも、必要以上に束縛する彼を憎むこともなかった。ただただ慈愛の女神の笑みを携え、篭の鳥として過ごしていた。

 女が屋敷から逃げ出す素振りも垣間見せず、青年に管理されるがままで数年を経たある日、事件が起こった。――いや、正確には、女が事件を起こした。

*************

 虫の音すらも聞こえない静かな月明かりの夜、一人部屋には些か広い空間で女は青年が来るのを待っていた。
 屋敷の最上階の一番端の突き当たりが、篭の鳥に与えられた世界。
 青年は来訪を知らせることもせずに入ってきた。だがそれはこの屋敷に来てから毎日のこと、女は寧ろノックがないからこそ青年と分かって良いと考えていた。

 窓の外を見たまま、女は青年に囁くように挨拶した。

「今晩は」

 最初こそ笑顔でいた青年の表情は段々と苛立ちが露わになっていた。平生から、僅かでも女が自分以外に視線を向けると笑い声さえピタリと止める。それ程までに青年は溺れていた。

「今日は星が綺麗よ」

 女は気付かぬといった風に、暗闇に浮かぶ光を見つめていた。青年は女の様に両手を震わせ、今にも何か叫びそうだったが、幸いにも見計らった女がそこで振り返り、それは免れた。

「嗚呼、やっと私を見たね。それで良い、それで良いんだ」

 安堵からか青年の頬が緩むと、女は精神を静めるかのように目を閉じ、そしてまた開いた。

「ねえ? 貴方何を隠しているの?」

 決して甲高くはない穏やかな声音が言葉を紡ぐ。それは何らかの意図が含まれていた。

「ああ、これかい? いやなに、大したものじゃないよ」

 女が尋ねると、青年は背後に隠し持っていた銃を徐に取り出し、壊れた笑顔でそれに答えた。隠蔽も悪びれもしないあっけらかんとした口調は、自分の行いに間違いはないと言わんばかりだった。
 女は一片の驚きも寄せず、見せ付けるような彼の動作に苦笑を漏らしただけだった。

「君を永遠に私だけのものにしたいからさ」
「まぁ……」
「その方が君にとって幸せなんだよ。君は私だけに愛されているべきだ」

 気の高ぶり始めた青年の口運びに、この空間には場違いな微笑みを持って女は諭すように語りかけた。

「貴方はもう私を手に入れているでしょう? まだ御不満かしら?」
「ああ、そうさ!」
「我が儘な方ね、篭の鳥を捕まえて傍に肌身離さず置いているというのに」
「煩い!」

 眉間に皺を寄せてとうとう青年は声を荒げた。血走った目は最早女を映してはおらず、ブロンドの髪は青年の一挙一動にさらさらと揺れているだけだった。

「君の全ては私のものだ! それをより確実にしなければいけない!」
「だから……わざわざ殺すの?」
「そうだ、そうしなければならないんだ!」

 光が射している筈の青年の瞳には普段の面影は何処にもなく、彼は女の向こう側に向けて力一杯叫んだ。
 女は浮かべていた微笑みを消し、愚か者を見る目つきで青年に問うた。

「可哀相な男(ひと)……私がそんなに欲しい?」
「可哀相? 何を言っているんだ君は。私だけが君を愛していれば良い、当然の事だろう!」

 女の憐れみの視線に、青年はそう見られる意味が解らないと訴える。

「君を支配しているのは私だ、どう扱おうと勝手だ、なのに何故君は渋る!」
「私は渋ってなんかいないわ。ただ……貴方が支配しているのは私の体だけ」
「……どういう意味だい、それは」

 狂気の中に微かな冷静さを取り戻した青年が、女の放った言葉にやや間をもって反応する。
 女は更に続けて言った。彼女の手には何処から取り出したか、何時の間にか拳銃が握られていた。

「私に対する貴方の支配は肉体的なもの……つまり、貴方は私の精神まで支配してはいない」
「……な、」
「そして貴方の精神は私に縛られている。私は貴方の精神を支配しているのよ」

 淀みなく女がこれは曲げようのない事実だと付け加えると、青年は怒りで震え上がり、握っていた銃をするりと落とした。拾うことを忘れたのか、月明かりに照らされている彼女を睨みつけたまま動こうとせず。
 女はその様子に取り立てて何を思う訳でもなく、青年が何もしないままでいるのを良いことに、実に緩慢な動作で彼の心臓を2回撃ち抜いた。

「さようなら、貴方」

 呆気なくくずおれる青年は既に物言わぬ人形と化し、それを視界に入れぬよう女は窓から飛び降りる。

 真夜中に響いた2度の銃声は、女に自由を、青年に終焉をもたらした。
 その後の女の行方は、誰にも知られぬまま。



死際-02
(囚われていたのはどちら?)

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