小説 | ナノ




「本当に行くのか」

 その日は、皮肉なほどよく晴れた日だった。
 見送りに居たのはひときわ背の高い、強面の男一人。
 駄目押しのようにそう聞かれ、俺は笑ってしまった。

「あったりまえだろ。いまさら何言ってんだよ」

 警察庁。
 その高いビルを見上げ、更にその上の青空を見上げた。
 雲ひとつない、本当にいい天気だ。
 旅立ちの日にふさわしく。

 ここは、いうなれば俺の生まれ故郷であり、実家だった。
 そうしてそこで働く事は当然のことであり、きっと死ぬまでここを出る事は無いと思っていたのに、今、俺はスポーツバック一つを持ってここを去ろうとしている。
 他の荷物はもう新居に送ってある。
 バックの中には警察内に置いてあった私物がほとんどだ。
 生まれてから死ぬまで居るはずだった場所から自由になる為に、そりゃもう苦労した。
 色々な手を尽くし、助けを借り、そして俺はやっとこの檻から自由になれた。
 それに一番助力してくれたのは、誰であろう目の前の『元』相棒だった。

「新居も決まったし、仕事の目途もついた。後は俺がここからおさらばするだけだ」
「探偵か……」
「情報収集も兼ねてる。一石二鳥だろ?」

 夢見た事はある。
 こうして自由になり、この閉じられた世界とは違う、別の世界へ飛び立てる日を。
 だけど、その夢の中では俺は一人ではなかった。
 たった一人の家族が、弟が傍らにいるはずだった。
 ある日、痕跡も残さず失踪した弟の遥。
 あらゆる方法でその行方を辿ったけど、何一つ分からなかった。
 様々な事件現場で鍛えた能力を持ってしても、分かったのは小さな頃からのしつけ通り、ハンカチとティッシュは持って行ったというちっぽけな事だけで、しかもその代償は三日間の昏睡というのだから、我ながら情けない。
 だけど、そのちっぽけな情報は、遥が自らの意思で居なくなった事を指していた。

(なぁ、遥。どこにいる?)

 どうして、なんで?
 どこへ、どうして?
 深い、深い暗い眠りの中で、遥は背を向けていた。
 夢だったなんて分かってる。
 昏睡状態だった俺が見た、夢より深いイメージのようなものだったってことぐらいは。
 だけど、あれは現実の光景だったと思えてならなかった。

 遥は背を向けた。
 警察という組織、生まれ育った場所――――そして兄貴である俺も。
 背を向け、捨てて行き、遥はどこかへ行ってしまった。
 その理由を俺は知らない。
 警察の連中は裏切ったんだと言ったけど、遥が俺を裏切るなんて事、あるはずがない。
 じゃあどうして?と問われると……答えられないけれど、それでも。

「お前にも緒方にも世話掛けちまったな」
「気にするな。それぐらいしか出来ないからな。それに…完全に自由、というわけではないしな」
「十分だって。それに社会に出るには身元保証人ってのは必要だしな」

 秘密警察犬は、人間じゃない。
 いくら姿形は人間でも、人権は無いし、当然戸籍なんてものはあるはずがない。
 そんな俺が警察を出られた背景には、まあ色々と面倒な問題がてんこ盛りにあったのだけど、どうにかそれをほぐす様にお互い妥協していき、今、俺はここに立っている。
 結果からいえば、俺には首輪は付いたままだ。
 例えば居所は常に知らせておく事。旅行に行くとか遠方に行くときも同様に許可というか連絡をしなければいけない。
 それに、俺が死んだりしたらその死体の権利は警察が有する事になってる。
 一応、生きてる間は自由にさせてくれるってことだ。
 死んだ後は解剖されるかもしれないし、人体(というのか狼?)実験されるかもしれない。それでも、俺はそれらの条件をすべて飲んだ。
 死んだ後なんてどうなろうと勝手にすればいい。
 俺は、今現在。家族が居なくなったから探すという、当たり前の行動を取れる自由が欲しかったのだから。

 心配げにこちらを見る元相棒を見上げる。
 ったく、何食ったらこんなにデカくなるんだかって位デカイ。
 こうして見上げる首の角度は、もうすっかり慣れてしまった日常の一つだった。
 毎日のようにこうして見上げ、隣にいる事が当たり前だった人間。
 遥と居る時に感じる幸せとは違う、だけど安心できる場所をくれた相手。
 俺の自惚れじゃなければ、それはお前だって同じだと思う。
 だからさ、そんな顔するよな。

「ったく。べつにこれで二度と会えなくなるわけじゃないだろ。そんな目、するなよ」
「いや…ただ、警察はお前にとって枷になってしまったんだなと、思ってな」
「あー…まあ、そうだな」
 
 警察が当てにならないと、少なくとも遥の件では俺は心底そう思ってる。
 警察の力では、遥の居場所を探り当てるのは難しい。たぶん。
 それよりかは、俺が自由に動いた方が辿りつけるような…そんな確信がある。

 警察犬を辞めたい。
 そう泣きながら告げた俺に、お前は「わかった」と、ただそう言ってくれた。
 それがどんなに嬉しかったか知ってるか?
 分かってくれた事が、どんなに心強かった事かを。
 相棒っていうその場所はとても居心地がよくて、失いたくないものだったけどさ。
 ごめん、それとこれとは違うんだよ。

「…べつにさ、お前とのコンビを解消したいからってわけじゃないぜ?それに…お前だって、もし若葉や梓の為なら、必要なら俺と同じ事をしただろう?」
「……そうだな」 
「そういうこと」

 何を優先するか。それは人によって違う。
 少なくとも俺は警察犬としての使命や仕事より、家族のほうがずっと大切だったってだけ。
 お前と一緒に仕事するのは楽しかったし、困難にぶつかっても二人なら何とかなるって、そう思えた「相棒」っていう関係は、俺にいろんなものをくれたよ。
 言葉にはしないけどさ。だって恥ずかしいじゃん?
 その色んなものの中には、信頼とかそういう物もあって、もっと違う言葉でいえば絆とかそういうものも。
 血のつながりとか、恋愛とか、友情とか、そういうものとは違う何かで繋がっているって思わせる、それが「相棒」なんじゃないかと思う。
 俺は、家族の為にこの『場所』を去るけど、それぐらいで切れてしまうものなんかじゃないだろ?
 仕事のパートナーという肩書はなくなってしまったから、もう『元』相棒だけど。
 そんなの関係ないぐらい、俺の中ではお前はドンとでかい存在なんだよ。


「洋」
「ん?」
「なにかあったら、いつでも言え。オレに出来る事ならいつでも力になる」
「おう」
「ただし、俺もお前の力が必要になったらいつでも行くからな」
「えぇ?!それって…仕事でも?」
「民間協力だ。――――お互いさま、だろう?」

(ああ、ったく)

 一方的な、例えば保護者と被保護者のような一方通行な与えられる関係ではなく。
 助けられ、そして助ける。
 お互いさまな、そんな風な。

 なんで笑みが浮かんでしまうんだか。

「仕方ねぇなあ!ま、暇だったら助けてやるよ!仕事以外でもな!」


 寂しくないって言ったら嘘になる。
 だけど、そばを離れるぐらいでどうにかなる様なら相棒なんていわない。

 
 だから、振り返らないで前を向いて、この場所を去って行けるのだ。

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