小説 | ナノ




「好きだよ、探偵さん」



 言ってすぐ、違うなと思った。想い人は、いくら好きという言葉を散りばめても、頷かない気がした。

 それでも、一度言った言葉は撤回できない。大人しく反応を待ってみる。



「忘れられない、奴がいるんだ」



 彼は取り乱した様子を、微塵も見せなかった。俺が好きだと思った、丸くて大きな紅玉の瞳が、凛と俺を見据えている。

 俺も驚かなかった。彼に想い人がいるなんて、百も承知だった。百も承知で、彼に告げた。



「あの、刑事さんだろ。相棒だったっていう」

「だったじゃねぇ。今でも相棒だ」

「ゴメンゴメン。その相棒さんは、恋人いないの?」

「恋人?いねーよ」



 否定して、彼は自嘲気味に口角を上げて笑った。



「美人の嫁さんに、可愛い娘はいるけどな」

「やるねぇ」



 黒を印象付けさせる外見に、威圧感を感じさせる体躯。俺に負けず劣らず物騒な雰囲気に思えたが、優しい人物なのだろうか。一角の人物であることは間違いないと確信しているけれど。



 なんせあの刑事は、気まぐれで掴みどころのないこの人を、捕えて放さないのだから。



「家庭一つ、崩壊させる気は?」

「微塵もねーな。吐き気がする」

「アンタらしい」



 何の迷いもなく、バッサリと言い捨てられた。浮かぶ表情は、嫌悪以外の何物でもない。変な所で潔癖なこの人らしい反応だった。そこがまた好ましいと俺が微笑んで見せれば、彼はバツが悪そうに顔を背けてしまった。



「ならその刑事は、過去にする事が出来るんじゃないか?」

「出来ないから今俺は、飛びつきたい位好みの毛を持った男の告白を、断ってるんじゃん?」



 そして心底残念そうに、俺の髪を一房手に取る。丁寧な手つき行われるその動作は、俺も嫌いじゃなかった。うっとりと夢心地になっていく表情の変化は、見ていて柄にもなく胸が高鳴りそうになってしまう。



「あーあ、マジで若の毛は俺好みなのに……若ならヤクザとか男とかを付けたしても、付き合って良かったのに」

「ひどいな……今それを言うか?」



 餌だけ食われて逃げられたみたいだ。不機嫌さを隠さず顔を顰めると、彼は目を丸くしたかと思うと、不意に顔をくしゃくしゃっと歪ませ、ポロポロ透明な雫をあの紅玉が零し始める。

 こちらが驚いてしまった。



「俺だってツライんだよぉ。なのに、馬鹿みてぇにアイツ好きでさぁ。荻も馬鹿だから、俺がいっくら好きだって言っても、てんで気付かねーの」



 しくしくと泣き始める彼を、俺は抱き締めずにはいられなかった。そうでなければ、今にも一気に崩れてしまいそうだった。

 同じ男なのに腕の中の彼が小さく細く感じて、本能的に腕に力を入れてしまう。服の胸元が濡れる事も彼の切情を受け止めているようで、不快さは微塵も湧かなかった。



「緒方に聞けばアイツ、彼女がいた時期も少なくなかったから恋愛ベタなわけでもねーのに、俺はまるで対象外。『そうか、俺もだ相棒』?ふざけんじゃねーよ!」



 涙でくぐもった声が悲痛すぎて、俺は子供でもあやす様に背を擦ってやった。すると、箍が外れたように彼の細腕が俺の背に回され、強い力で抱き返される。



「荻はズリーよ。相棒って言えば、俺が喜ぶって思ってんだぜ?あぁ嬉しいさ、でもそれと同じくらい悲しい……俺が尽くせば尽くすほど、アイツは俺を『良い相棒』で済ますんだ」

「やめちまいなよ」



 強く強く抱き合いながら、俺は彼の耳元に唇を寄せて囁く。



「ソイツは優しいかもしれない、いい奴なんだろうな。だけど探偵さんは余計、進路も退路も塞がれて辛くなるだけだ。嫌いになれないから、好きが募るだけだから」

「……まあな」

「なら、忘れろ。そんな感情全部。思い出にして、昔の事だと笑えるようになって、そしたら前に進めばいいさ。俺が、手を引いてやる」



 現に今俺達は、まるで恋人同士のように抱き合ってる。アンタは今壊れないように俺を求めて、心を開いて吐露してまでいるじゃないか。

 俺は器用な方だし絶対、俺との方がうまく付き合えるから。



 望む愛を、与えてやる事ができるから





「俺を好きになってよ」

「……思い出?」



 肩が揺れ表情は見えなかったけど、彼は泣き笑いのような声を出した。



「言っただろ?ツライって。馬鹿みたいに好きって。俺はこの恋にまだ、全力になっていいくらい未練がましく執着してんだ。真っ只中に立って、身じろきさえとれない。

 これを過去にするなんて、俺自身が許さない」

「……それは、アンタにとって難儀すぎるんじゃないか?」

「若ぁ、俺アイツが好きなの。好きで好きで、アイツのためなら身体張っていいくらい好きなの。自分でも気持ちわりーぐらい、荻が好き」



 彼はスルスルと腕を俺の背から解き、優しく俺の胸を押して顔を上げた。泣いたためか目が充血していて目元も紅くなっているのに、柔らかく微笑んでいる。童顔のわりに、つくづく色のある表情をする人だ。



「若が俺を、思い出にすべきだな」

「俺が?」

「おう」



 迷いも躊躇いもなく、彼は言い切った。そして俺を後押しするような表情で、俺を見上げている。



 その顔の目の、一点の曇りのなさに、初めて彼を怒鳴りつけてやりたいと思った。



「ふざけるな」

「え……」

「ふざけるなって言ったんだよ」



 離れかけていた彼の手を勢いよく引く、彼は咄嗟の事にバランスが取れず、よろりと俺の方に傾いた。



 俺だって、過去にするつもりは微塵もない



 こんなまさに、寝ても醒めても、な感情を



 そんな簡単に綺麗さっぱり、片付けられてたまるか



 矛盾してるな、と心の片隅では思いつつも俺は彼の顎を掬いあげ、そのまま驚きで薄く開いたその口に噛みついてやった。

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