小説 | ナノ




 なんでだろう。
 不思議と嫌いになれない奴だった。





【やあ、探偵さん。元気かい?】



 朝一番にする事は、PCを立ち上げ、依頼メールの確認をする事。
 そうしながらくるくるローラーで抜かりなく事務所中の掃除をする。質の良い毛があったりしたら、これまた抜かりなく保存保存。
 今日も元気に仕事を始める因幡洋は、メール着信を知らせる音に顔を上げた。

 依頼か?と受信メールを開こうとすると、そのアドレスに「うん?」と首を傾げた。

「ミラクルクルミじゃん」

 以前、依頼を受けた客のアドレスはすべて入っている。
 そのアドレスは、一度依頼を受けた事のある客のものだった。
 蔵見というその客は、バリバリの裏社会の人間だ。俗にいうヤクザ、しかも若頭という地位にある男で、元警察犬の身としては喜んで依頼を受けたいような人種ではない。
 しかし、この男。それは見事な黒髪長髪、しかもサラサラストレートという、筋金入りの毛フェチとしては一蹴できない髪を持っていた。
 調査相手が因縁のあるヴァレンティーノファミリーだという事もあり仕事を受けたのが縁で、こうして時折連絡を取ったりする仲になったのはまだ記憶に新しい。

(依頼か?)

 そう思ったのだが、開いたメールを読むと、そうではない事が分かった。
 挨拶から始まった文章は、数日前の敵揶祭での事だ。無事逃げられたのかという事らしい。



【警察も来てたからな。堅気のあんた達に迷惑が掛かったりしてなかったか気になってね。大丈夫だったかい?】



「はいはい、大丈夫だったぜ〜と」

 哀しい事に、なぜか条件反射的に身を隠していた。
 もう警察犬ではないのだし、気にしなくてはいいとは思うが、己がなんだか犯罪者寄りの思考になっているようで、ちょっと落ち込む。

 それはともかくとして、ヤクザなのにずいぶんと律儀な男だ。
 前々から思っていた事ではあったが、蔵見はヤクザという事を除けば付き合って楽しい相手ではある。
 礼儀を弁えているし、物腰も穏やかで、語り口も乱暴な所がない。
 圭や人見知りの優太も懐いていて、ヤクザなのが勿体ないなぁと思わなくもなかった。
 ないがしかし。
 たぶん、それはあり得ない事なのだろう。

 次の文を読んで、洋は眉を寄せた。



【せっかくの祭りだったのに、残念だったよ。そういえば、どうやって手錠を外したんだい?びっくりしたよ】



(まずったかなぁ……)

 優太や圭が危険に晒されていると知って、とっさに狼に変身してしまった時の事だ。
 鍵を外した形跡もないのに、姿だけが突然消えれば、そりゃあ変に思うだろう。
 幸いというか、あの騒ぎで変身した瞬間は見られてはいなかったようだが、これは些かまずかったかもしれない。

 別に、狼男だと明言しているし、隠すような事ではないのかもしれない。
 だけど、と洋の中で躊躇するものがあるのはどうしようもない。


『……あいつらは、やっぱり人間じゃねえんだな』


 昔、まだ警察犬だった頃。
 その刑事は、荻ほどじゃないけど気の合う奴で、荻と同年代のまだ若い警察官だった。
そいつは普通に洋に話しかけ、時には一緒に笑い合ったり、冗談を言ったりもして、密かに洋は「同僚ってこういうのをいうのかな」と内心、ちょっと嬉しかったりしたのだ。
 あの時までは。
 ある事件の時、洋は犯人を追う為、初めて荻以外の警官の居る現場で狼へと変身した時だ。

 それは、面と向かって言われたわけではない。
 たまたま立ち聞きしてしまった会話だった。
 別に悪意から出た言葉ではなかったと思う。
 だからこそ、余計にショックだった。
 仲間になりきれない、人間になりきれない、そんな自分が。
 分かっていたくせに、今更傷つく自分が、馬鹿みたいだと思った。


 昔の話だ。
 でも、その時の小さな棘はまだ消え去ってはいない。

「……案外、へぇーぐらいの事なのかもしれないけどな」

 脳裏に浮かぶのは二人の助手たち。
 大切なあの子たちは、怒ったり笑ったりして、自分の手を握ってくれた。
 人間とか、狼男とか、そんな事関係なく『因幡洋』という自分の手を。
 その嬉しさを、いつか伝えられたらいい。密かに洋はそう思っていた。
 たった一人の家族を失った後に得た、その温かさがどんなに大切か。
 きっと二人は知らないだろうから。
 ……いつか伝えられたらいいな。
 照れくさくて今はまだ伝えられないけどさ。

 棘の痛みは、遥のように諦められない故の痛みだと分かってる。
 荻や、優太や圭、それに緒方や若葉。
 皆の温かさを知ってしまったからこそ感じる痛みなのだと。

「あんたはどうかな」

 答えの帰らない文章の向こう。浮かぶ面影は、どう変わるだろう。

 警察犬として生まれた事は否定しない。
 普通の人間だったら……と考えた事が無いとは言わないけど、もしそうだったらそれはもう自分ではきっとない。
 狼男で、警察犬で、それ故に悩んだり傷ついたりした事は、結局は自分の核を成すようなけして無くせないものだ。

 そんな自分に似たものを蔵見には感じる。
 
 あの穏やかな笑顔や口調や物腰、その奥にある、その手に持つ獲物の日本刀のような鋭さ。
 たぶん、ヤクザとして生きてきたこともひっくるめて今の蔵見が居るのだろう。
 裏街道を生きてきた辛さや哀しさ、汚さも含めてのあの男なのだ。

 それは、自分の内にある棘と同じようなものだと思う。

「………」

 少し考え込んだ後、キーボードを叩く。

 気まぐれだったのかもしれない。
 返信に、こんな一文が入れてみた。


【そりゃ狼男探偵だからな。狼になってに決まってんだろ】


 本気にするだろうか?
 それとも冗談だと思うだろうか?




 翌日。
 返信に返信のメールが届いた。

 こんな宛名で。



【拝啓 オオカミさん】


 その宛名を見て、何故か口元が笑ってしまった。
 

【水臭いな。それならそれで一声掛けてくれりゃよかったのに】


 さて。
 これはどの位、本気にしているのだろう?

 不安と期待と。
 ざわめく心のさざ波は、どうしてかいつもより強い気がした。

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