心操くんは、三月の戦いではまだヒーロー活動をしていなかったはず。それもあって明言することは伏せた。
 大きな戦いは、いつか、ではなく、すぐそこに迫ってきている。
 確か、蛇と名のつく病院。市民病院や大学病院みたいな、大きな病院だった。
 それが建っている市で、ワンフォーオールとオールフォーワンが、かち合う。
 ……エリちゃん奪還作戦の時、おそらく私の個性は発動していた。どれほどの後押しになったかは分からないが、いつも以上に発揮していた、からこその発熱だったと、今なら考える。
 裏付けは、相澤先生に体調を確認されたこと。もし何もなかったなら気にもしないだろうが、身に覚えのある『何か』を感じたからこそ、気にかけ尋ねた。そう推測できる。
 だから今回も雄英で、安全なところから祈ればいい。何もできない、ただの救護対象となる一般の女子高生。守られる側の存在は、ヒーローの足手纏いになってしまうから。
 それでも、もし、心操くんと確かめたことから得た予測が正しいのなら。
 この目で直に見ることで、個性の力がより強く発揮されるのなら。
「行った方が、いいよね」
 今回の戦いで亡くなる、犠牲者の数といくつかの顔を脳裏に浮かべ、自身に言い聞かせるようにつぶやいた。

 
 ブレザーの下にカーディガンを着込み、手袋とマフラーが必須となっているここ最近。ホームルームを終えて、寮に帰る前に、職員室へひょっこり顔を覗かせる。お目当ての先生を探して何日目の何度目か。今日は、いた。
「先生」
 緊張を抱きながら、近寄って声をかけると、特徴的なフレームを目元にかけた女性教諭である、ミッドナイトが顔を上げる。
「あら。何かしら」
 言葉は用意していたものの、一瞬詰まり、そして改めて間近で見たその姿に目を引かれた。
「先生のコスチューム、寒くないんですか?」
「え? ええ、寒さで悴んで動けないようじゃあ、ヒーロー活動できないでしょう? 防寒機能がちゃんと付いてるわ」
「いいなあ」
 つい思ったことが口からこぼれてしまったが、今の会話のおかげで緊張で固まっていた口元が少しほぐれた。そうして、持っていたマフラーごと、ぎゅっと自分をかき抱くように両手を回して、言葉を続ける。
「あの、先生、すみません。ちょっとだけ、一度だけ、お願いを聞いてもらってもいいですか」
「お願い? 私に?」
 こくこく、と頷いて、必死さをアピールする。強張っていた腕の力を緩め、肩幅くらいに両手を広げて、椅子に座ったままの先生を見下ろした。
「私、あの、先生の、ミッドナイトのファンで。だからその……ハグ、してください……! あとあの、インク切れのボールペンとかでいいんで、何か、何でも大丈夫なので、先生の物をいただきたいです……!」
 誰かが、健気なファンじゃねえか、と楽しそうに言う声が聞こえてくる。
 先生は目をぱちくりさせた。親交のない生徒からいきなりこんなお願いをされたら困るだろうし、最悪断られるだろう、と予想していたので、拒否の可能性を嗅ぎ取り慌てる。
「いや、あの違くて、あ、違うこともないんですけど決して、決して! 変なことに使ったりとかしないので! 大事にするので!」
 勘違いされないようにと必死に言い募った。緊張と目の前にキャラクターがいることに、どぎまぎして、おしゃべりが下手くそになってしまう。
 ミッドナイトとの関わりは少ない。担当授業にも当たらないので、こうして職員室での姿を見る以外は、ほぼないに等しい。
 だからどちらかは断られてしまうのは、仕方ないと割り切るにしても、せめて片方だけでも。どちらかと言えば、青春好きな人だから、ハグの方がまだ可能性があるだろうか……。若い芽が、同性の先生に憧れてハグを求めるシチュエーション。自分で思うのも何だが、この緊張しながらも求める姿勢に打ち震えてはくれないだろうか……。
 うーん初々しさが足りないので却下! と心の中で判決を言い渡してくる、大人なもうひとりの私に、あっちへいけと意識外へ放り出す。
「……緊張してるのね、ほんとに健気! 特別よ
 ゆったりと立ち上がった彼女は、優しげに微笑んでそうっと抱きしめてくれた。身長の差があって、全身が包み込まれるようだった。そして何より、いい香りがしてやわらかい。主に何が、とは言わずもがな。
(抱きしめてくれた……)
 力を込めず抱擁してくれるのに対して、私も先生の背に手を回した。先生はこんなに細くて素敵な体型なのに、私の腕が短いからだろうか、回した両手同士を繋ぐことはできなかった。
 
 間近にある気配が離れていこうとするのを感じて、回していた両手を引き戻す。ミッドナイトは微笑みをひとつくれて、席に座り直した。
「あとは、物?」
「アッ、ハイ!」
「そうねえ」
 先生はぐるりとデスクを見渡し、目に止まるものがなかったのか、今度は引き出しをひとつひとつ開けていく。
 物もくれるんだ。体当たりで言ってみるものだなあ、とその様子を見つめる。
「基本的に使わないものは入れてないのよね」
 家はさておき、職場は最低限の物しか置いてなさそうだものね、なんて勝手な印象を抱きつつ、おとなしく待つ。
「んー、これでもいいかしら? と言っても私物じゃなくて学校の備品なんだけど、この色だけ余っちゃってるのよ」
 苦笑しながら差し出されたのは、何の変哲もない五色セットで売っていそうな付箋のうちのひとつだった。学校の備品だろうが、ミッドナイトがしばらく所持していた物なら、それは私物と言っても過言ではない。
「いいんですか! 先生が持たれてる物ならなんでもいいです!」
「でもこれじゃ本当にただの備品よねえ。あ、そうだ」
 付箋の塊を裏返して、筆立てにあったペンを手に取り、キュキュ、と文字を走らせたそれを再び差し出される。
「これでもいい?」
「いいんですか
 さっきよりも大きな声が出てしまい、とっさに口元にマフラーを押し付けた。書かれたのは、ミッドナイトのサインだったのだ。
 賞状でも賜るかのように、両手で恭しく受け取る。
「ありがとうございます、大事にします……!」
 手のひらに乗せた付箋をそのままに、先生の目を見てお礼を言う。まさかサインという名の、名前入りの物をもらえるとは思っていなかったので、感動に打ち震える。彼女は目を細めた。
「イレイザーから聞いていたけど、あなたの個性、素敵ね。誰かを笑顔にする個性。ねえ、私も、あなたに好かれているのかしら?」
 悪戯っぽさを含んだような微笑みで、ミッドナイトが言った。
 それに対して私は大真面目に、こっくり頷く。
「雄英の先生、ヒーローのみなさんは尊敬してますし、好きです」
 だから。
「ずっと元気で長生きしてください」
 犠牲者や被害者を減らすことは可能かもしれないが、いずれにせよ、日本の秩序は崩れ、ヴィラン黎明期がやって来る。私の小さな力が後押しした程度で、それは止められない、暗く澱んだ闇の時期。
 私は、普通科、女子高校生一年、透田印与。ただの子ども。有象無象のひとつ。
 輝く星々のようなヒーローは、己を賭して市民を守る。敵を屠ることなく捕らえる。間違いなくかっこいい。だけど、憧れだけでは成れない職業。実力はもちろん、何より強い意志と覚悟が問われるお仕事。
 それに成った人々の背中を守れはできずとも、支えることは、きっとできる。この小さな手でも。
 声は小さくても、存在は薄くても、汚れや涙を拭うハンカチを差し出すことは、それになることはできるのだ。
 ぱちり、と瞬き、不意をつかれたような表情になったミッドナイトに、私はひとつ、決意を新たにした。
  





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